昨年末と、
今年の初めに、
親戚の葬儀に参加して思ったのは、
日々の暮らしがすべてだということ。

そしてまた、
2月には、
友人が65歳という若さで死に、
彼の実家を訪ねた3月、
また思うところあり。
中華を統一し、
長い戦国時代を終わらせた政(始皇帝)の栄光は束の間で、
死後は宦官の趙高にその屋台骨を乗っ取られ、
政を支えた荀子の弟子、李斯も殺されますが、
その李斯も、保身から、
同じく荀子の弟子、韓非を葬り去っており、
才あるがゆえに警戒され、
妬まれるのもまた、よくあること。
数多くの英雄、豪傑の、理想、
そして、駆り出された無名兵士たちの、
戦場で流された夥しい血の代償が、
あまりにもお粗末なのは人の持つ業の故か。
一つの中国を主張してやまない習近平も、
いつ、ことを起こすか、
わかったものではありません。
プーチンのウクライナ攻めはなおも止まず、
虐殺の怖さを誰よりも知っているはずのイスラエルが、
ガザでの残虐行為をやめる気配はありません。
世界には、
他にも、
紛争中の地域がいくつもあり、
まさに狂気の世界。
そうした中、
今日も平和に暮らせている僕は、
厳かな気持ちに、
ならざるを得ません。
今日はこれからアルバイトに行くので、
これで終わりますが、
日々の暮らしがすべてであると、
思っています。