介護離職からのおひとり様快適生活

定年まで数年を残して介護離職したのち、父を自宅で看取り、その二年後に母も天国へ。風の時代の上昇気流に乗りながら、日々の暮らしでの気づきと心象風景を綴っています。

Oさん

独身50男の親の介護の悲惨さについて

嫁のいない独身男は、自分で稼ぎながら、介護もしなければなりません。

嫁がいれば、自分は仕事に専念し、専業主婦の嫁に親の介護をしてもらうこともできます。

または、嫁も、空いた時間にパートでもすれば、家計の足しになります。

つまり、夫婦であれば、助け合いながら、親の介護を分担できます。ただし、良い夫婦関係を築けていればの話だとは思うのですが。

僕が独り身なのは自業自得なので、父親の介護が必要になって長年勤めていた会社を辞めたときも、さしたる葛藤はありませんでした。

ただ、兄弟がいれば、どうだっただろうとは思いました。

嫁もいない、兄弟もいない、50代おひとり様にとって、頼れるのは自分です。セルフヘルプ。自助の精神。

で、昨年、父の介護に専念し、すでに高齢だった父は、その後4か月ほどで他界しました。

そして今年、1月、僕と同じ50代で、兄弟がいながら悲惨な介護生活をしているOさんと、アルバイト先で知り合いました。このOさんについては、以下の記事で書いています。

23年間介護、59歳、貧困

このOさんは、僕のブログにときどき出てくる、友人Oとは違います。

頭文字がともに、「お」なので、アルファベットでは、Oと表記するしかないのです。

介護の話に戻ります。

で、そのOさんについては、以下の記事でも書いています。

重い介護負担と兄弟からのサポートがないという追い打ち

Oさんも僕も、ともに50代後半、独身の貧困層です。

ただ僕は、自分がローコスト生活者なので、お金のかからない生活が苦ではありません。

そのため、僕自身は自分のことを豊かだと思っています。豊かさというのは、なにもお金だけで測られるものではありませんからね。

僕は、そこそこに食べられて、あとは好きな本でも読んでいろいろなことを考えているだけで、けっこう幸せを感じられる安上がりな男なのですよ。

その辺が、僕とOさんとの違いです。


「お金がない」と言いながら

「お金がない」と言いながら、Oさんは、僕には理解不能の支出をしていました。

まず、びっくりしたのが、電気代です。老いた母親との二人暮らしなのに、月2万円はかかると言っていました。僕も、母との二人暮らしですが、電気代が多くかかった月でも、1万円どまりです。たいがいは、数千円で済みます。

「それはかかりすぎですね」と僕は言いました。5人家族ならそのくらいかかっても理解できますが、どう使えば、2万円も電気代がかかるのか。

それだけではありません。石油ストーブなどの灯油代に1万円はかかるとも言っていました。

僕は家を新築した際に、そのときはまだ24時間勤務で家を長い時間離れなければならないこともあり、暖房はすべて電気と決めました。だから我が家は灯油代はゼロです。

僕もOさんも、雪国に住んでいるわけではありません。ともに埼玉県民です。秩父や三峰山のほうに行けば、寒さも変わってくるでしょうが、それでも、雪もあまり降らない恵まれた土地です。

聞けば、2万円の電気代の多くを占めるのは、暖房費ではないかと言っていました。電気代と灯油代で、すでに3万円の支出です。

年寄りは、一般的に寒がりですから、昼間家にいる母親が、ずっと暖房をつけているのでしょう。そのエアコンが古ければ、電気を食うことは想像できます。

あまり根掘り葉掘り聞くのもどうかと思い、食費やその他については聞きませんでした。電気代に無頓着なOさんのことですから、食費などもかなりかかっているのだと推測できます。

ただ、市営団地ということで、家賃は年収に応じて違うということは言っていました。

余計なお世話かと思い、黙ってはいましたが、Oさんの場合、煙草代も大きいと思いました。副流煙を浴びながら、僕は肺の痛みに耐えていました。狭いトラックの室内に充満する煙がOさんの人生を蝕んでいるように思いました。

煙草がいくら値上がりしてもやめる気はない、と言っていました。そして言い訳のように、その代わり酒は飲まないのだと言いました。

僕は焼酎派で、鹿児島の芋焼酎を飲んでいますが、家で飲む限りは、一か月3000円もあれば十分です。タバコなどよりも、間違いなく健康にいいはずです。焼酎は、糖質ゼロですからね。

たまに、発泡酒も飲みますが、安い酒屋で24缶セット買いすれば、税込みでも一缶当たり90円台でゲットできます。

「お金がない」を口癖にしている人は、本当にお金がない生活を送ります。これはほぼ間違いがなく、人は言葉に左右されるからです。

お金がないと愚痴をこぼす代わりに、家計を見直すべきです。自力でできることに、まずベストを尽くす。それが先決です。

実は今日、14日も、会社から電話があり、夕方から来れないかと言われましたが、夕方からだと帰りは深夜になるので、母の介助のことを考え、断りました。

僕の母は、できれば運転の仕事はしてほしくないようです。僕自身も、電話がかかってきて必要なときだけ駆り出される仕事では、気持ちが安定しません。

今、もう一つ別の会社の面接を受けています。そちらは結果待ちですが、地道な工場労働です。母の介助を考えると、そちらのほうに、気持ちが傾いています。

今は、介助で済んでいますが、今後さらに年を取っていくと、介護になるかもしれません。先はわかりませんが、少なくとも、介助や介護と両立できる仕事でなければなりません。

あとは、節約の腕を磨き、やりくり上手になることですね。今日はライフがポイント5倍なので、そちらに行きます。ライフ、ベルグ、マミーマートが、今、利用しているスーパーです。

重い介護負担と兄弟からのサポートがないという追い打ち

「23年間介護、59歳、貧困」の続きになりますが、Oさんの問題点は、兄弟が4人(Oさんは次男)いるにもかかわらず、全く協力が得られないことでした。

ただ、僕が素朴な疑問として思ったことは、おそらく他の兄弟にもそれ相応の言い分があるだろうということでした。親の介護を全くせず、経済的なサポートもしないということは、かなり異常です。

たった一日、トラックに乗り合わせて、話しただけなので、あまりその辺のことを深く訊くこともできず、ただ、Oさんがはっきりと明言したことは、4人兄弟が全て、バラバラで仲が悪いということでした。

兄弟が多ければ、たとえば、一人ぐらいは気の合う者がいるような気がして、その辺も訊いたのですが、みんなバラバラでお互いに仲が悪く、父親の葬儀に来たのは二人の弟のうちの一人だとかで、長男ともう一人の弟は葬儀にも来なかったそうです。

成り行きでOさんだけが介護することになったのかもしれませんが、一人で、親の介護を負担した23年間は、想像するだけで大変だったのだろうということはわかります。

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僕の場合は、介護離職後4か月の介護で、父が老衰で亡くなったため、ほとんど介護を負担に感じたことはありませんでした。

だから、僕とOさんとを安易に比較することはできません。

兄弟がいても、協力を得られないのならば、むしろ一人っ子介護のほうが、感情の縺れがないだけましでしょう。人を恨むことは、それがまして身内であったならば余計に、心理的ストレスは大きいものになると思います。

「重い介護負担と兄弟からサポートがないという追い打ち」が、Oさんを追い詰めていったのだと思います。

兄弟や社会への不満を口にしていたOさんですが、唯一救いを感じたのはその表情が、あまり険しいものではなく、飄々としていたところです。

おそらく、度重なる失望が、Oさんを諦観へと導いたのかもしれません。諦観が良いほうに展開すれば、仏教的な悟りへとつながるのですが、そこに至るまでには、Oさんの場合、かなりの乖離があると思いました。

介護についての兄弟への恨み、そして、医者や病院、市役所など、社会に対する恨みを口にしていたOさんですが、もう一つ僕が気になったのは、金銭管理の拙さでした。

お金がないと言いながら、僕には理解不能の支出をしていたのです。

長くなったので、Oさんの金銭管理については、また改めて、書いてみます。


23年間介護、59歳、貧困

7日に、トラックでの配送のアルバイトに行ってきました。助手席に乗り、ルート配送の手伝いをしたのですが、運転手は、Oさんと言い、僕と同じ50代で独身。

さらに共通していたのは、父親の介護の経験があることでした。しかし、Oさんの介護は、23年と長く、壮絶なものだったようです。

境遇が似ていることから、僕に親近感を持ったらしく、初対面にして、人間関係は問題なく進展しました。

ただ一つ、つらかったのは、彼が車内でタバコを吸ったときです。狭い空間にたばこの煙が充満し、たちまち僕の肺は副流煙の侵入を受けて、痛みを感じました。

窓をあからさまに開け放つのも嫌味かもしれないと思い、我慢しました。僕自身も以前はタバコを吸っていたため、多少の煙は大丈夫ですが、トラックの室内は狭いため煙の濃度は半端ではありません。

12時半から始まった仕事を終えたのは19時半でした。

所沢、春日部、岩槻を周りました。仕事自体は難しいものではありません。トラックは4トンで、後ろが見えにくいため、バックをするときには注意が必要です。

Oさんは市営団地に住んでおり、今は母親と二人暮らしだそうです。

住まいの状況は違いますが、母親との二人暮らしという点でも共通点があります。

ただ一つ、大きな違いがありました。

それは、彼が極めて悲観的な人間だということでした。会話の端々で、それを感じました。

僕は、どちらかと言うと、楽観的な人間です。

Oさんは、医者を恨み、兄弟を恨み、住まいを提供している市を恨んでいました。彼がそれらを話すときは、僕は同意するでもなく、聞き役に回っていました。

病院に対する評価も僕とは正反対で、彼の父も僕の父も、同じ病院に入院していたことが分かったのですが、彼は「あんなひどい病院はない」と言っていました。

僕は、病院には感謝しかありません。医者も看護師も、みなよくやってくれていました。

同じ病院に対して、これほど評価が分かれるのはびっくりしましたが、彼があまりに病院をけなすので、僕は褒めるわけにもいかず、黙っていました。

彼は男ばかりの4人兄弟の次男で、長男はじめ、他の二人の弟も、一切、介護に協力してくれなかったとぼやいていました。お金も一切出してくれなかったそうです。

親と同居している彼だけが、介護の負担を負ったそうです。

彼は、老朽化した市営団地に老いた母と住み、その暮らしぶりの悲惨さを訴えていましたが、確かに、彼からは、貧困にあえぐ人の雰囲気を感じました。

23年間の介護の末、今は市営団地に母親と二人暮らし、59歳、独身、貧困。それが、Oさんでした。

長くなったので、Oさんについては、また改めて、書いてみたいと思います。
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