これは、僕の友人の多くが知っていることですが、35歳までの僕は、本当にダメなやつでした。

何がって、ろくに働かないというか、職についてもすぐに辞めるで、35歳時点での、一番長い職歴が、マイシティハウスという不動産会社で、2年ほど、そして、もう一つが、避雷針を作っている、当時あった電電公社の下請けの会社で、そこが2年半、くらいでしょうか。

それ以外は、どこも1年未満。ひどいのは半日でトンズラ。
まあ、職種も様々で、変わり種としては、チリ紙交換、テレビ番組のエキストラ、あとは、今でいう催眠商法の高額の布団売り。

催眠商法については、途中でこんなのやってられないと、現場である山形県の天童市から、逃げ帰りました。お金は一円も稼げず、交通費の持ち出しだけ。

転職は30代のときに一度数を数えたら、135でした。これにはもちろんアルバイトも入っています。でも、135と言っても、人は信用しません。盛ってるんじゃねえの、と思われるだけです。でも、本当のことです。まあ、半日で逃げ帰ったのも、数に入れての話ですけれど。

でもはやり、それを職歴に入れるのもどうかと思うので、ある程度の期間働いたということで言えば、30くらいに落ち着くのでしょうか。

しかし35からは、安定しました。友人Oの紹介で、ビル管理会社に入ってからの人生は、ギアチェンジしたかのように、平安な日々となりました。

やはりなんと言っても、続けられる仕事であったことが大きいです。そして、決まったお金が継続して給料として入ってくることで、精神的にどれだけ安定したかわかりません。

経済の安定は、精神の安定につながります。

35以降の転職は、2回だけです。一度は46歳のときに、不動産仲介会社に入りましたが、三日くらいでやめました。その後、新宿のビジネスホテルで、11年勤め、父の介護離職で、今に至っています。

イノシシ年で、よく猪突猛進と言われます。考えもなしに突っ走る傾向は、ありましたね。今も多少はあるかもしれません。まあ、しかし、よくここまでやってこれました。自分の力ではありません。いろんな人に助けられてきました。

自分の力は小さいです。だけど、運はとても良いと思っています。