介護離職からのおひとり様快適生活

定年まで数年を残して介護離職したのち、父を自宅で看取り、その二年後に母も天国へ。風の時代の上昇気流に乗りながら、日々の暮らしでの気づきと心象風景を綴っています。

赤毛とソバカス

ジャスミンの香りと夜の夢



高校3年の頃から、

ときどき行っていた、

吉祥寺の赤毛とソバカス。 


当時僕が住んでいたのは入間市で、

吉祥寺まではそれなりに距離があったのですが、

免許を取ったダチの車でときどき行っていました。


僕は3月生まれなので、

免許を取ったのは高校を卒業してからでしたからね。


当時はジャズを聴いていなかったので、

もっぱらロック喫茶のほうへ。


赤毛とソバカスは、

ロック喫茶とジャズ喫茶があったのね。


で、僕がリクエストするのは、

ピンク・フロイドとかイエスとか、

プログレが多かったのですが、

ある女の子が、

エドガー・ウィンターの、

ジャスミンの香りと夜の夢をリクエストして、

そのアルバムジャケットが壁にフックされて、

レコードが回り始めた、と。


他の人がリクエストしたアルバムを聴くことで、

聴く音楽の範囲が広がるということはあり、

エドガー・ウィンターとかジョニー・ウィンターも、

その流れで多少は聴くようにはなったのですが、

昨日唐突に、

その女の子と、

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ジャスミンの香りと夜の夢が思い出され、

久しぶりに聴いてみようかと、

思った次第。




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赤毛とソバカスにまた行きたい(もうないけど)

高校時代のときどき行っていたロック喫茶、赤毛とソバカス。

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吉祥寺にあったのですが、高校3年ともなれば、車の免許を持っている友達もいて、そいつらの車で吉祥寺に。


赤毛とソバカスは、ジャズ喫茶もあったのですが、当時は僕も仲間もだれ一人、ジャズを聴く者はおらず、当然ロック小僧で、ツェッペリンとか。


まあ、僕は、イエスとか、クリムゾンなんかをリクエストしていたのですが。あとは、ピンク・フロイドね。プログレが多かったですね。






ただ、当時一番耳にしたのが、ジェフ・ベックだったと思います。

ファンが多かったんでしょうね、その必然として、リクエストも多かったのだと思います。

確かに、ジェフ・ベックのギターはすげえとは思います。僕も、今でもたまに聴いています。


で、それはさておき、やっぱ、クリムゾンをリクエスト。






イエス、キング・クリムゾンときたら、ピンク・フロイドをリクエストしないわけには行きませんね。

と言うことで、




当時の、プログレ御三家と言うか、何と言うか。

思春期にいい音楽をたくさん聴いていたおかげで、老後も、これらの曲を聴くたびに、当時の楽しかった日々がよみがえります。

今でも年に三日くらいは、ひとりプログレ祭りで、プログレを聴きまくることもあります。


今日は、泣かせてください

吉祥寺に、赤毛とソバカスという、ロック喫茶がありました。ジャズ喫茶も同時にやっていましたけどね。

高校時代、授業をふけて、友達の車で、吉祥寺に行き、赤毛とソバカスで、ジェフ・ベックとか、聴いていました。

そんな、40年以上前の出来事を思い浮かべ、今日、不覚にも泣いてしまいました。

さとう宗幸の青葉城恋唄の歌詞で、「瀬音ゆかしき杜の都 あの人はもういない」というのがありますが、あんな心境でしょうか。


あの頃、ロックばかり聴いていました。もう、アノ日々は戻りません。

あの頃、何にでもなれると信じていたあの頃。青かったあの頃。

友だちとバカばかりやっていたあの頃。

でも、好き勝手に生きたおかげで、後悔はありません。

忌野清志郎が死んで、何年になるのでしょう。

RCサクセションの「トランジスタラジオ」ではありませんが、僕も、御多分にもれず、授業をさぼって、友達の家で、麻雀をしたり、ツェッペリンを聴いたり、していました。

あの、赤毛とソバカス、吉祥寺の日々。

友だちのGTRで、吉祥寺に行き、埼玉県民からすれば、吉祥寺は、カッケー のですよ。

で、友達の、シャコタンの車で、吉祥寺に行って、飯を食って、赤毛とソバカスへ。

泣けます。

で、当時は、ハイライトを吸っていたのですよ。

ハイライトを吸いながらコーヒーを飲んで、何時間も粘ったなあ。

ちなみに、今は、たばこは吸いません。

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地下にあった、ロック喫茶と、ジャス喫茶。赤毛とソバカス。

今は、もうない。

今は、もう、どこにも、無い。

まあ、高校時代は、ジャスは聴いていませんでしたが、その後、マイルスとか、コルトレーンなんかも聴くようにはなりましたけど、それはだいぶ後の話。

高校時代は、ロック一色。

今度、吉祥寺に行ってきます。もう、赤毛とソバカスはないけど。近鉄デパートも、もうないんでしょうね。


赤毛とソバカス(ロック喫茶)の思い出

高校時代は、結構遊んでいました。

友達の車に乗って、吉祥寺の赤毛とソバカスに行って、よく、レッド・ツェッペリンとか、ディープ・パープルを聴いていました。

当時僕は埼玉県の南端にある、入間市というところに住んでいて、よく都内にも遊びに行っていました。

父が、横田基地に勤めていた関係で、結構福生にも行きました。

福生と言えば、村上龍の、「限りなく透明に近いブルー」でしょうか。

吉祥寺に近鉄デパートがあり、その近くに、赤毛とソバカスはありました。隣がジャズ喫茶でしたね。

地下にあったことは覚えています。当時僕はハイライトを吸っていて、なんだか背伸びしていましたね。

昔のことを思いだすのは、年を取った証拠でしょう。

全くの風来坊だった僕は、いったいどれほどの町に移り住んだのでしょう。

思いだせるだけ振り返ってみると、実家を出て最初に住んだのが、板橋区仲町です。大山ハッピーロードが近くにあり、便利でした。

そのあと、統一教会に入ってしまい、赤羽で暮らしました。そのあとが小岩、葛西、です。

いやいやちょっと待った、板橋に行く前に、新潟の湯沢で、ひと冬を過ごしました。スキー場でバイトしたのですね。

思いだしました。湯沢の後は、高尾です。高尾に男女4人で家を借りていました。そのあとは、逗子に行きました。

そうです。板橋に行く前は、そうした街を移り住みました。

さらに、30代になってからは、イギリスに行き、チチェスターという小さな町で、暮らしました。

そのあとは、実家に戻り、坂戸市というところにマンションを買って住み、また親の介護で実家に戻りました。

たぶん、まだ、他にも住んでいる町があるような気がします。記憶に残っているだけを列挙しましたが、まだありそうだなあ。

また思いだしたら、書いてみます。
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