「23年間介護、59歳、貧困」の続きになりますが、Oさんの問題点は、兄弟が4人(Oさんは次男)いるにもかかわらず、全く協力が得られないことでした。

ただ、僕が素朴な疑問として思ったことは、おそらく他の兄弟にもそれ相応の言い分があるだろうということでした。親の介護を全くせず、経済的なサポートもしないということは、かなり異常です。

たった一日、トラックに乗り合わせて、話しただけなので、あまりその辺のことを深く訊くこともできず、ただ、Oさんがはっきりと明言したことは、4人兄弟が全て、バラバラで仲が悪いということでした。

兄弟が多ければ、たとえば、一人ぐらいは気の合う者がいるような気がして、その辺も訊いたのですが、みんなバラバラでお互いに仲が悪く、父親の葬儀に来たのは二人の弟のうちの一人だとかで、長男ともう一人の弟は葬儀にも来なかったそうです。

成り行きでOさんだけが介護することになったのかもしれませんが、一人で、親の介護を負担した23年間は、想像するだけで大変だったのだろうということはわかります。

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僕の場合は、介護離職後4か月の介護で、父が老衰で亡くなったため、ほとんど介護を負担に感じたことはありませんでした。

だから、僕とOさんとを安易に比較することはできません。

兄弟がいても、協力を得られないのならば、むしろ一人っ子介護のほうが、感情の縺れがないだけましでしょう。人を恨むことは、それがまして身内であったならば余計に、心理的ストレスは大きいものになると思います。

「重い介護負担と兄弟からサポートがないという追い打ち」が、Oさんを追い詰めていったのだと思います。

兄弟や社会への不満を口にしていたOさんですが、唯一救いを感じたのはその表情が、あまり険しいものではなく、飄々としていたところです。

おそらく、度重なる失望が、Oさんを諦観へと導いたのかもしれません。諦観が良いほうに展開すれば、仏教的な悟りへとつながるのですが、そこに至るまでには、Oさんの場合、かなりの乖離があると思いました。

介護についての兄弟への恨み、そして、医者や病院、市役所など、社会に対する恨みを口にしていたOさんですが、もう一つ僕が気になったのは、金銭管理の拙さでした。

お金がないと言いながら、僕には理解不能の支出をしていたのです。

長くなったので、Oさんの金銭管理については、また改めて、書いてみます。