昨年5月まで働いていたアルバイト先では、老害先輩社員に何度も怒鳴られましたが、ちょうどそのときの僕のテーマが、エゴの研究、でした。
2年弱在籍していたそのアルバイト先で、格好の研究材料として存在していたのが、その老害先輩社員。
理不尽なことで怒鳴られると、通常は、反発心を持ちます。
怒りの気持ちも、湧いてくるでしょう。
そこまでは、普通の反応です。
僕も普通の人間ですから、同じ様に反応します。
ただ、その頃僕は、すでに、気づき、を得ていましたから、感情だけで自分がいっぱいになることはありませんでした。
犯罪者の多くが、感情に振り回されて罪を犯します。
なので、これから僕がお話しする、ちょっとした技術を知っているだけで、かなり、危険を避けることができるようになります。
その、老害先輩社員に理不尽に怒鳴り飛ばされたときを例に話をします。
怒鳴られる理由のない僕は、まずは、怒りよりも驚きがありました。
その後、さらに怒り続ける彼に対し、僕の中にも怒りの感情が芽生えました。
その感情に任せて怒鳴り返す、こともできたし、そのままでいることもできます。
若い頃の僕であれば、倍返しで怒鳴り返して、喧嘩になるところですが、ちょうどエゴの研究をしていた僕は、その状況を客観視したのです。
つまり、あ、怒りを感じている自分がいるな、と、俯瞰して眺める意識に自分の視点を置きました。
すると、怒りの感情との間に、距離ができます。
これを僕は、スペースと呼んでいますが、このスペースがあると、感情に振り回されることのない客観的視点を持つ位置にとどまることができます。
そしてさらに、「その客観的視点を持つ位置にいる自分を認識する意識、がある」ことに気づきます。
その広がりのある、静かな意識になると、自他の区別のない客観性のある広大な世界、僕はそれを宇宙と呼んでいますが、宇宙の位置に自分の存在を置くことができます。
言い換えれば、宇宙的視点と一体化した自分、なので、そもそも、自分、という意識すら希薄なのですが。
で、僕は、その静かな位置で、感情からは距離を置いた眼差しでその老害先輩社員の前に立っている自分を、見ています。
そのような状態を維持していると、次第にその先輩社員も、正気を取り戻していきます。
そのうちに、彼は、つまらない理由で怒った自分に恥ずかしさを覚えたのか、気まずそうな顔で立ち去っていきました。
こうした、すぐに怒る傾向のある人は、そう簡単に治るものでもなく、また怒りだす場面に、その後も何度も出合いましたが、だんだん、僕に対しては、怒る度合いも、回数も、少なくなっていきました。
こうしたことも、体験を重ねるごとに、抵抗なく、楽にできるようになります。
何事も、練習ですからね。

以下の動画も、参考になるかもしれないので、貼り付けておきます。
感情に巻き込まれないための方法が、わかりやすく解説されていると思います。
上祐氏も、カルト教団での体験を通過して、自分本来の歩むべき道を歩き始めているようです。