介護離職からのおひとり様快適生活

定年まで数年を残して介護離職したのち、父を自宅で看取り、その二年後に母も天国へ。風の時代の上昇気流に乗りながら、日々の暮らしでの気づきと心象風景を綴っています。

老害先輩社員

人生を楽に生きるための練習



昨年5月まで働いていたアルバイト先では、老害先輩社員に何度も怒鳴られましたが、ちょうどそのときの僕のテーマが、エゴの研究、でした。

2年弱在籍していたそのアルバイト先で、格好の研究材料として存在していたのが、その老害先輩社員。

理不尽なことで怒鳴られると、通常は、反発心を持ちます。

怒りの気持ちも、湧いてくるでしょう。

そこまでは、普通の反応です。

僕も普通の人間ですから、同じ様に反応します。

ただ、その頃僕は、すでに、気づき、を得ていましたから、感情だけで自分がいっぱいになることはありませんでした。

犯罪者の多くが、感情に振り回されて罪を犯します。

なので、これから僕がお話しする、ちょっとした技術を知っているだけで、かなり、危険を避けることができるようになります。


その、老害先輩社員に理不尽に怒鳴り飛ばされたときを例に話をします。

怒鳴られる理由のない僕は、まずは、怒りよりも驚きがありました。

その後、さらに怒り続ける彼に対し、僕の中にも怒りの感情が芽生えました。

その感情に任せて怒鳴り返す、こともできたし、そのままでいることもできます。

若い頃の僕であれば、倍返しで怒鳴り返して、喧嘩になるところですが、ちょうどエゴの研究をしていた僕は、その状況を客観視したのです。

つまり、あ、怒りを感じている自分がいるな、と、俯瞰して眺める意識に自分の視点を置きました。

すると、怒りの感情との間に、距離ができます。

これを僕は、スペースと呼んでいますが、このスペースがあると、感情に振り回されることのない客観的視点を持つ位置にとどまることができます

そしてさらに、「その客観的視点を持つ位置にいる自分を認識する意識、がある」ことに気づきます。

その広がりのある、静かな意識になると、自他の区別のない客観性のある広大な世界、僕はそれを宇宙と呼んでいますが、宇宙の位置に自分の存在を置くことができます。

言い換えれば、宇宙的視点と一体化した自分、なので、そもそも、自分、という意識すら希薄なのですが。

で、僕は、その静かな位置で、感情からは距離を置いた眼差しでその老害先輩社員の前に立っている自分を、見ています。

そのような状態を維持していると、次第にその先輩社員も、正気を取り戻していきます。

そのうちに、彼は、つまらない理由で怒った自分に恥ずかしさを覚えたのか、気まずそうな顔で立ち去っていきました。

こうした、すぐに怒る傾向のある人は、そう簡単に治るものでもなく、また怒りだす場面に、その後も何度も出合いましたが、だんだん、僕に対しては、怒る度合いも、回数も、少なくなっていきました。


こうしたことも、体験を重ねるごとに、抵抗なく、楽にできるようになります。 

何事も、練習ですからね。

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以下の動画も、参考になるかもしれないので、貼り付けておきます。





感情に巻き込まれないための方法が、わかりやすく解説されていると思います。

上祐氏も、カルト教団での体験を通過して、自分本来の歩むべき道を歩き始めているようです。




スマホをなくしかける


今朝、アルバイト先で、正社員の送迎を終えて、会社に戻ったときに、老害先輩社員からの横やりがあり、その対応のために、普段の行動に乱れが生じました。

そのため、通常は、スマホを所定の位置に収めてから、次の行動に移るのですが、その対応のため、スマホを一時的に、送迎車のダッシュボードのところに置いたのです。

そして、老害先輩社員の対応を終え、控室に戻ると、スマホがないことに気づきました。

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すぐに、送迎車に置き忘れていたことに気づいたのですが、すでに、その送迎車は、老害先輩社員が乗り込んで、別の社員の送迎に行ったあとでした。

まあ、スマホがどこにあるかがわかっているので、慌てることはなかったのですが、大いに自戒した次第。

横やりが入り、通常の行動パターンが乱されるということは、仕事以外でも、よくあることです。

今回の反省点は、不意打ちのような横やりが入っても、自分の行動の基本パターンを順守することだと、改めて思いました。

幸い、スマホはなくすことはなかったのですが、スマホに限らず、持ち物も行動も、シンプルにしていきたいと、思っています。

腰痛や老害先輩社員との付き合い方


去年の、今頃だったでしょうか、初めてぎっくり腰になり、腰痛は1週間ほど続きました。

歩くことが困難に思えるほど腰に響き、それでも、アルバイトは休まず、乗り切りました。

幸い、1週間で、腰痛は去り、通常の生活に戻ったのですが、今週もまた、水曜日頃に痛み出した腰痛でしたが、去年に比べれば楽なもので、それでも、つらいにはつらいので、かばいながらの作業に。

この腰痛も、定期的に起こることを覚悟し、上手く付き合っていかねばと、思っています。

同様に、職場で、僕に高圧的な態度を取り、時に、興奮して大声を出す老害先輩社員に対しても、上手くやり過ごすようにしています。

これには、エックハルト・トール氏の「ニューアース」が、大変役に立っています。

ニューアースは、端的に言ってしまえば、目覚めるための本、ですが、この本の怖いところは、人を選ぶというところ。

つまり、目覚めの時期に来ていない人にとっては、何を言っているのかさっぱりわからない本、だということです。

特に、教条主義者、それは、仏教、キリスト教、あるいは、カルト宗教を問わず、何らかの教えに固執している人や、エゴの強い人には、その内容が脅威に映り、エゴ的防衛本能から、強い反発を覚えるからです。


まあ、そんな話はさておき、先日も、ごく普通の仕事上の会話から、この老害先輩社員が激高し、声を荒げたのですが、僕は、瞬間的にスペースを作り、正気、を、維持していました。


すると、次第に、老害先輩社員の激高もおさまってきて、平穏な空間に戻っていきました。


その後も、変わらずに作業をしていた僕のところに、その老害先輩社員が少し恥ずかしそうな顔をしてやってきて、先ほど声を荒げた件とは別のことで、僕に謝罪というほどではないのですが、軽く謝ってきたのです。


僕には、老害先輩社員が激高したあと正気に戻り、彼なりに自分の激高ぶりに気づいて恥ずかしくなったのだということがわかりました。


以前よりは、この老害先輩社員が激高して、声を荒げる回数はだいぶ減っています。

で、僕は、何をしたのか。

何も、していません。

ただ、正気を維持し、観察者となって、静かにしていただけです。

つまり、老害先輩社員が激高しても、それに反応せず、相手のエゴを観察する、たったそれだけ。

それだけで、平和な人間関係が維持されています。

事あるごとに彼は、僕の無知ぶりを批判し、見下してきますが、それに対し、僕は、そうですよね、と、自分の無知を笑っているので、喧嘩にはなりません。


このひ弱な自分がよくぞここまで生きてこれたものだと思う

大きな病気というのはしたことがありませんが、精神も肉体も強靭なほうではありません。

と言うか、弱いほうだと思います。

転職が多かったのも、どこの職場でも使い物にならず、つまり、精神も肉体も、仕事に耐えられず、逃げ回っていたからです。

そして、どうにも逃げられなくなった頃に、運良く、自分でも続けられそうな会社に潜り込むことができ、そこで、経験を積み、転職もでき、さらに介護離職後は介護が始まり、それも終わり、そして今は、アルバイト生活。

こう見てくると、このひ弱な自分がよくぞここまで生きてこれたものだと、改めて、思いました。

僕が仏教に惹かれたのも、自分の弱さと無縁ではありません。

仏教では、一切皆苦ということが言われます。

この世は、すべてが苦しみである、という意味になります。

この教えに出会ったとき、少しだけ、心が楽になったのを覚えています。

あんなに偉いお釈迦様が言われているのだから、僕が毎日苦しいのは、当たり前なのだ、と。

まあ、苦しみの連続の人生でしたが、50歳の頃に大きな苦しみがあり、それを最後に、自分の目に映る風景が変わり、今は、苦というモノがあっても、それに執着することなく、サラサラと生きられるようになりました。

56歳で介護離職したときも、周りからは大変だね、と言われましたが、一度も、大変だ、苦しいと、思ったことはありません。

では、苦しみがないのか、と言えば、そんなことはなく、衰えつつある肉体の苦しみ、具体的には、関節や腰の痛み、など、もあるし、アルバイトとは言え職場に行けば、老害先輩社員からの理不尽な罵声もあります。

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老害先輩社員から怒鳴り飛ばされた話は、過去記事でも何度か触れていますが、60歳にもなって怒鳴り飛ばされる経験は、貴重以外何ものでもありません。

いまでは、この老害先輩社員を、心の中で、小暴君、と名付け、「今日の小暴君」として、観察材料にしています。

観察者になることで、苦しみが消えていきます。

まあ、そのことは、後日、記すとして、ここまで生き延びてこれましたから、これまでの経験と、失敗を通して学んだ生きた知恵を使って、今後は、しぶとく、また、できるだけ楽しんで、生き抜いてやろうと、考えています。

老害先輩社員から、また、絡まれました

何の因果なのか、以前記事に書いた僕を些細なことで怒鳴りつけた老害先輩社員が、アルバイト先でのパートナーと言うか、いちばん一緒に時間を過ごさねばならない相手なのです。

他に二人、同じような立場のアルバイトがいますが、こちらはどちらもおだやかな性格で、問題はありません。

問題は、いつも面突き合わせているその先輩社員なのですが、今日も、何が気に食わないのか、絡んできました。

だいたい、顔つきでわかるのですが、こちらが身構える前に、ボディブローのような攻撃を仕掛けてきます。

まあ僕を、言いなりになる後輩だから何を言ってもいいくらいに、思っているのですね。

僕も、対処することはできますが、自分の気分次第で絡まれたら、気持ちのいいものではありません。

お天気屋、というタイプがいますね。機嫌がいいときは気持ちが悪いほど愛想がよかったりして、で、機嫌が悪いときは、絡んでくるというタイプ。

まあ、一言で言えば、子供です。60を過ぎた子供を、毎日相手にするのは、それなりに苦労ですが、人生は苦なり、と看破した仏陀釈尊の教えに習い、甘んじてその苦しみを受け入れています。

ただ、こういう老害先輩社員も、モノを考える縁にはなります。

たとえば、もし、あのような男が自分の親だったらと思うとぞっとします。お天気屋の親を持った子供は、精神不安定になるでしょうね。

いい年をした僕でさえ、多少のダメージは受けるのですから、子供だったらもろに影響を受けるはずです。そして、情緒が不安定になるでしょう。

ああいう、バカな老害先輩社員と毎日接するおかげで、自分の親への感謝がますます深まります。

また、自分は、可能なかぎり上機嫌で生き、自分の気分次第で相手に当たるような、子供じみた行いは絶対にしないようにしようと、反面教師として活用しています。

まあ、そうは言っても、60過ぎの子供と毎日関わるのは疲れます。

アルバイトを始めて3か月、老害先輩社員に怒りをぶつけられたときの対応法

60に手の届く年で、親の介護を終え、ミッシングワーカーにならずに職につけたことは、幸運というほかはありません。

で、そのアルバイトですが、今日でちょうど3か月が過ぎたことになります。

職に就いたのが、7月11日。

慣れない仕事、慣れない人間関係。

怒鳴られたり、嫌みを言われたりもしましたが、こちらもうぶな新入社員というわけではありません。

エゴの強い老害混じりの、先輩社員には、適度な距離を取って対応しています。

以前の僕であれば、これができずに敵対していたことでしょう。

敵対するとは、同じレベルに身を置くということであり、徒労以外の何物でもありません。

相手の吐き出す毒に対して、それをいちいち真に受けていたら、身が持ちません。何より、バカらしい話です。

もし僕が、未だ幸福の科学の会員であったならば、相手を悪に見立てて戦ったはずです。

しかしそれは、いたずらにこちらのエゴをも増大させることにしかなりません。

そのことを知っているがゆえに、僕は戦いません。

戦うのではなく、受け入れる。

ああ、こういう人なのだ、と思って、観察する。


すべてにおいてマウントを取りたい人なのだな、と気づけば、取りたいだけマウントを取らせてやればよいだけです。

そして僕はバカに徹し、話を聞いていれば良い。

この毒を吐く先輩社員のこともだんだんわかってきたので、だいたいこちらに絡んでくるときというのは、雰囲気や顔つきでわかります。

そんなときは、自分が闘牛士になったつもりで、対応します。相手の怒りや苛立ちのエネルギーを荒れ狂う牛に見立てるわけですね。

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それと真っ向からぶつかったら、こちらもダメージを受けますから、さらりとかわして自分の意識を一段高いところに置く。

本当は、こういうエラそうな言い方はしたくないのですが、このように言うほかは、今は他の表現が見つかりません。


また、エゴの強い老害混じりの先輩社員であっても、たまには良いことも言うので、そういうときには、心から感心すればよい。

相手もバカではありませんから、それなりの人生経験があるので、それなりのことは言うのですよ。

まあ、僕から見たらずいぶん間違ったことを言うことが多いのですがね。思い込みが強く、決めつけることが多いのですが、そんなときは、自分の中にもそういうところはないかと、反面教師にしています。

ということで、何とかやっています。

修行は続きますねえ。


僕の仕事のあらましと老害先輩社員から怒鳴られた一件

7月から始めた僕のアルバイトですが、大まかに言うと、従業員の送迎とメール便の配達、そしてその間の空いた時間にこなす雑務から成り立っています。

これを、午前勤務と午後勤務の二人のアルバイトが、担当するわけです。

午前勤務であれば、まずはマイクロバスで最寄り駅まで従業員を迎えに行きます。従業員を乗せ、決まった時間になったら工場まで送り届けます。

その後、メール便の配達の時間が来るまで雑用をします。そして、決められた時間が来たら、各所にあるメールを集め、届け先ごとに仕分けし、決められたルートでそれらを配送していきます。

配送すると同時に、配送先に発信メールがあればそれらを回収します。メール便と言っていますが、主に書類の入った袋ですね。それ以外には、部品を詰め込んだ箱や段ボールなどもあります。

いずれにせよ、そう重いものでもなく、汚れる仕事でもありません。ただ、届け先にだけは注意しています。

会社がこのメール便を午前と午後の決まった時間に走らせている理由は、社内での迅速なやり取りのためだと思うからです。

午前勤務も午後勤務も、一回のメール便の配送と、一回の送迎が含まれています。

つまり、午前勤務であれば、送迎は、朝、従業員を迎えに行くことを意味しますし、午後勤務であれば、終業後に駅まで送り届けることを意味します。

で、その主たる二つの業務の間に、廃棄物の仕分け作業などの雑務があるわけです。

昨日のことですが、僕は今月は午後勤務なのですが、その午後のメール便が思いのほか時間を取られてしまったのです。それは、一つの届け先の工場からの発信メールのその発信先が、まさにそのメールを発信している場所の記載になっていたからなのです。

この記載だと、また明日の午前のメール便で、またここに戻ってきてしまいますよ、と僕は、担当する従業員に言いました。その女性従業員とのメールの発信先の書き方のやり取りで、だいぶ時間を取られ(20分ほどだと思います)、会社に帰るのがいつもよりも20分ほど、遅くなったのです。

すると、ごみの回収作業をしているアルバイトの先輩が、エレベーターで一緒になったときに、僕を怒鳴り飛ばしました。その怒り方が尋常ではなく、僕はあっけにとられたのですが、とりあえず相手の怒りをやわらげるためにも、謝りました。

あとでその老害先輩社員も我に返ったらしく、怒鳴って済まなかったと謝罪してくれたのですが、その怒りの理由をここに記すと、ものすごく長い記事になってしまうのでやめますが、僕は自分自身にどう考えても怒りをぶつけられる理由がないことを自分で認識し、ただ今後、帰りが遅くなる場合は、その先輩に連絡を入れようという今後の対応だけは知ることができました。

怒りは、猛毒です。
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怒りは、その怒りを発した本人を最も苦しめます。勿論、怒りをぶつけられたほうも、その場では嫌な思いをしますが、自分に非がないことがはっきりしていれば、その怒りを買わずに済みます。

怒ったあと、その先輩も冷静になって僕に謝ってきたのですが、怒りをぶつけられたことは前の職場でもよくあったし、そういう僕自身も、他者に対して怒りをぶつけたこともあり、そのときの反省なども踏まえて、怒りというものについて、改めて考えた昨日なのでした。


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