今年1度目の歴史研究会は、6月22日で、この日は板碑や古墳めぐりをして、古代への思いを深めました。
実は9月に、2度目の歴史研究会があったのですが、その日は日頃世話になっているAさんの不動産売買契約の付き添いをすることになり、やむなく不参加となりました。
そして昨日は、会としては今年3度目ですが、僕自身としては2度目になる歴史研究会となりました。
今回は、OY氏は体調不良で不参加となり、歴研主催者のKM氏と僕の2名での会となりました。
まずは、松山城跡へ。
その後、菅谷館跡へ。
どこの城跡にも、こうした空堀が見られます。
そして、今回は、KM氏も初めて行くという小倉城跡へ。
この小倉城跡は、急勾配を上ったため、息も絶え絶え。歴史通のKM氏も、この城跡はそれまで一度も来たことはなかったそうです。
その後、杉山城跡へ。
杉山城跡は造りが複雑で、敵から容易には攻め込まれないものになっていました。
この杉山城跡を立ち去ろうというときに、歴史好きのお爺さんにつかまってしまい、その講釈を聴くことに。いかにも、迷惑そうなKM氏も無下に断ることもできず、しばらくはその話に付き合っていましたが、秋の日の暮れるのは早いので、何とか話の腰を折らない程度にして、お暇し、最後の鉢形城跡へ。
僕が二十代の頃に来たときとは、だいぶ様子が違って、整備されていた鉢形城跡でした。
この日、歴史に疎い僕の専属ガイド役も兼ねてくれたKM氏の後ろ姿。
実は9月に、2度目の歴史研究会があったのですが、その日は日頃世話になっているAさんの不動産売買契約の付き添いをすることになり、やむなく不参加となりました。
そして昨日は、会としては今年3度目ですが、僕自身としては2度目になる歴史研究会となりました。
今回は、OY氏は体調不良で不参加となり、歴研主催者のKM氏と僕の2名での会となりました。
まずは、松山城跡へ。
その後、菅谷館跡へ。
どこの城跡にも、こうした空堀が見られます。
そして、今回は、KM氏も初めて行くという小倉城跡へ。
この小倉城跡は、急勾配を上ったため、息も絶え絶え。歴史通のKM氏も、この城跡はそれまで一度も来たことはなかったそうです。
その後、杉山城跡へ。
杉山城跡は造りが複雑で、敵から容易には攻め込まれないものになっていました。
この杉山城跡を立ち去ろうというときに、歴史好きのお爺さんにつかまってしまい、その講釈を聴くことに。いかにも、迷惑そうなKM氏も無下に断ることもできず、しばらくはその話に付き合っていましたが、秋の日の暮れるのは早いので、何とか話の腰を折らない程度にして、お暇し、最後の鉢形城跡へ。
僕が二十代の頃に来たときとは、だいぶ様子が違って、整備されていた鉢形城跡でした。
この日、歴史に疎い僕の専属ガイド役も兼ねてくれたKM氏の後ろ姿。