桜
友人たちの早すぎる死について、
何度か書いていますが、
セネカの「人生の短さについて」も、
改めて、読み直したくなった今日この頃。
僕もこの3月で66になり、
来し方を想うとき、
人生の短さを、
痛切に感じます。
3月25日の夕刻に体調不良を感じ、
26日27日と熱が出て、
28日には、ほぼ平熱に戻ったものの、
未だ低空飛行状態。
ただ今は、
ありがたいことに、
体調が悪ければ、
好きなだけ寝ていられる身。
体調不良でも仕事に行っていた、
現役時代のことを思っていました。
で、今日の話ですが、
体調不良となり、
ベッドに横たわっていると、
頭の中をよぎるのは、
このまま死んだとして自分は、
この人生に悔いはないだろうか、
ということ。
実際に、
あれよあれよという間に亡くなっていく人を、
見ているだけに、
自分だけを例外とすることはできません。
そんな中、昨日は、
Aさんの誘いを受け、那須へ。



昨年娘さんをなくされたMさんの納骨堂に、行ってきました。
雨予想もありましたが、
天気は曇天ときおり晴れ間ありで、









静かな時間が流れていきました。
曇天の下の桜もまた、


味わい深し。
ショコラさんのブログ記事、
桜三昧の九段下散歩を読んで、
新宿に勤めていた頃を思い出しました。
ホテル勤務だったので、
みんなで花見に行くことはなかったのですが、
休みの都合のついた仲間同士で、
ミニ花見会みたいなことはやりました。
しばらく都内には行ってなくて、
自治会役員も2年目になれば、
負荷も軽くなるはずなので、
4月になったら東京散歩にも行けるかもしれません。
自治会程度のことでも、
それなりに時間をとられ、
自由度が減るのですから、
余暇がいかに大切かがわかります。

たまにですが、
NHKの、今日の健康、ですか、
そうした番組を見ることもあるのですが、
夜に何度も起きるとか、
頻尿だとかで、
悩んでいる人を見たのですが、
その人、
もうリタイアしていて、
シニア世代なんですよ。
だったら別に、
翌日何時に起きなければならないということもないし、
悩む必要なくね、と。
僕も、小刻みに目が覚めたり、
多いときは一晩に4回くらいトイレに行くときもありますが、
そんなん全然悩みにはなりませんよ。
夜寝られなければ、
昼間寝ればいいだけ。
こんなのんきな思考ができるのも、
余暇がたっぷりあって、
あくせくする必要がないから。
事程左様に、
余暇がたっぷりあると楽に生きられるよね、
という話、でした。
今日は、朝から曇り空。
しばらく雨の日が続くとのことだったので、
昨日は貴重な晴れの日に外出。
東松山市を通過するとき、
ヌートバー選手を応援する様子を、
随所で見かけたのは、
彼のお母さんの出身市なのでしょうか。
そんな東松山市街を抜け、
吹上駅の横を通過して、
行田市方面へ。

忍城の近くにもサクラが。


水城公園のサクラ。
春のような陽ざしの中、


行田市をそぞろ歩き。
アメリカと戦う前の大谷の言葉。
憧れるのをやめましょう。
やっぱ憧れてしまったら(相手を)超えられないんでね。
うーん、憧れることには、
功罪両面がありますね。
憧れることで、努力できることもあると思います。
また、一方で、それが強すぎると、
相手を過大評価して超えられなくなる、と。
これは、
野球やスポーツに限らず、
たとえば、
未だに麻原彰晃を尊師と仰ぐ残党がいますが、
カルトなどについても言えますね。
教祖を神格化しすぎると、
ありのままに見ることができなくなり、
妄想の霧の中で相手を見るようになります。
このように、
妄想の中に逃げ込んだ人間に何を言っても無駄で、
これは、
本人が気づくまでどうしようもありません。
人は、
一度思い込むと、
なかなかその見方を変えることはできないものだと、
つくづく感じる、
今日この頃です。
そういう意味でも、
大谷選手の言葉は、
僕の耳にも、
新鮮でした。
昨日は朝、ブログを書いているときに、花火師で投資家のSさんからラインメール。
花を見ながらのさし飲みの誘い。
15時からというので、用事を14時までにして切り上げて、
花火師で投資家のSさんの誘いのほうを優先。
どちらを選ぶか、というときは、
風の時代になってからは特にそうしているのですが、
ワクワクするほうを選ぶことにしています。

花火師で投資家のSさん宅の広大な土地にある八重桜を見ながら、
夕方まで今後のことなどを語り合いました。
それは、Sさんの広大な自宅敷地を活かしたワクワクするような構想。
ちょうどその日も、地元ケーブルテレビからも、取材の要請がありました。
まあそのケーブルテレビと、昨日語り合った構想とは、直接の関係はないのですが、
都心からもそう離れてはいないトカイナカは、
まさに今後展開するコミュニティの場所としては、最適。
話は尽きなかったのですが、宵闇が迫るころに、
僕は、自転車に乗って帰宅しました。
無職の初日としては、上々の滑り出し。
間近で、満開の八重桜が見られたのもラッキーでした。
思いがけず遭遇した美というモノは、インパクトがあります。
まさに土曜日に見た、古い公団住宅沿いにある桜道は、そうでした。
別に名所でもなく、何の変哲もない場所。
で、桜の木の下で、やはり飲み食いをしている家族やグループ、だべり合っている若者たちなど、それぞれにぎやかに過ごしていたのですが、勿論エチケットとして、そうした人たちを写真に撮ることははばかられ、やり過ごしたのですが、そうした喧騒とは別に、一人で、桜の木の下で本を読んでいる婦人だけは、どうしても、記憶に残しておきたかったのです。
それで、少し離れたところから、桜の木を撮るふりをして、パチリ、と。
家族連れや、仲間たちとわいわい飲み食いしている集団が多い中で、一人で、ああして本を広げて読むということは、なかなかできることではありません。
できることではないが、なんかうらやましいというか、その自由さがいいなあと言うか、とにかく好感を持ちました。
ということで、その写真を再びアップ。

で、その流れで、人の暮らしというモノを改めて、考えてみました。
どうしても、旅行とか、レジャーと言うと、少し大げさになりますが、生活の足もとに、暮らしの快適さのヒントがあるのではないか、と。
ふと、その女性を見て、思いました。
まあ、顔をのぞき込んだり、横顔さえ見る勇気はありませんでしたが、遠くから見ていても、心が和みましたね。
横顔と言えば、とても素敵な曲があるので紹介します。
ター坊と呼ばれていた大貫妙子も、もう65歳。
シュガーベイブ時代からだと、かなりの音楽キャリアです。
何かの雑誌で知ったのですが、今は葉山に住んでいるとのこと。
僕も、二十代の頃に葉山の友人宅に居候した経験があり、とてもいいところです。海も近いし。
ああしたところで晩年を過ごせるのならば、まだまだ良い曲が作れると思います。
まさに土曜日に見た、古い公団住宅沿いにある桜道は、そうでした。
別に名所でもなく、何の変哲もない場所。
で、桜の木の下で、やはり飲み食いをしている家族やグループ、だべり合っている若者たちなど、それぞれにぎやかに過ごしていたのですが、勿論エチケットとして、そうした人たちを写真に撮ることははばかられ、やり過ごしたのですが、そうした喧騒とは別に、一人で、桜の木の下で本を読んでいる婦人だけは、どうしても、記憶に残しておきたかったのです。
それで、少し離れたところから、桜の木を撮るふりをして、パチリ、と。
家族連れや、仲間たちとわいわい飲み食いしている集団が多い中で、一人で、ああして本を広げて読むということは、なかなかできることではありません。
できることではないが、なんかうらやましいというか、その自由さがいいなあと言うか、とにかく好感を持ちました。
ということで、その写真を再びアップ。

で、その流れで、人の暮らしというモノを改めて、考えてみました。
どうしても、旅行とか、レジャーと言うと、少し大げさになりますが、生活の足もとに、暮らしの快適さのヒントがあるのではないか、と。
ふと、その女性を見て、思いました。
まあ、顔をのぞき込んだり、横顔さえ見る勇気はありませんでしたが、遠くから見ていても、心が和みましたね。
横顔と言えば、とても素敵な曲があるので紹介します。
ター坊と呼ばれていた大貫妙子も、もう65歳。
シュガーベイブ時代からだと、かなりの音楽キャリアです。
何かの雑誌で知ったのですが、今は葉山に住んでいるとのこと。
僕も、二十代の頃に葉山の友人宅に居候した経験があり、とてもいいところです。海も近いし。
ああしたところで晩年を過ごせるのならば、まだまだ良い曲が作れると思います。
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