介護離職からのおひとり様快適生活

定年まで数年を残して介護離職したのち、父を自宅で看取り、その二年後に母も天国へ。風の時代の上昇気流に乗りながら、日々の暮らしでの気づきと心象風景を綴っています。

幸福の科学

自由に生きると幸せがどんどん舞い込んでくる



昨年、

僕の友人のIさん宅で、

うどんをごちそうになったときに、

実に様々な具が入っていることにびっくり。

その具の一つに、

高野豆腐がありました。


実は僕は、

高野豆腐は苦手だったのですが、

うどんの中に入っていたそれは、

味がしみ込んで美味しい、と。


それ以来僕も、

毎回ではありませんが、

高野豆腐をうどんに入れるようになりました。

昨日などは、

初めてみそ汁の具としても使ってみました。


なるべく多くの食材を使うことで腸内環境をよくする、

ということを心がけるようになりました。

そうは言っても、

たまにはカップ麺なども食べますけどね。

IMG_5621

そうした場合は、

一緒にサラダを食べるとかの工夫はしています。


先ほど例に挙げたIさんだけでなく、

僕は、「我以外皆師なり」で生きているので、

僕が出会う人は皆、先生です。


一昨年、

小学4年生に国語と算数を教えるボランティアをしていた時も、

子供から学ぶことの多さにびっくりしました。


さて、二つ前の記事で、

11年前に退会した宗教団体について少し触れましたが、

ちょうどその頃、

教祖が教団から追放した妻の悪口を言うビデオを、

連日のように支部で聞かされました。


教祖は根本仏であり、

主と崇める存在ですから、

そんな悪口ビデオを聴くのにも、

御法話拝聴ということで、

お金が必要です。


僕は次第にその悪口雑言を聴くに堪えなくなり、

お金を払ってこんな悪口を聴いている自分は何なのだろうと、

思うようになりました。

ちょうどそのころ、

教団の教義の矛盾も痛切に感じ始めており、

もはや自分の中では無視し難いものになっていました。


時を同じくして、

僕はデトックスの意味で、

小林正観さんや斎藤一人さんの本を読むようになりました。

ある程度霊的知識のあった僕は、

小林正観さんや斎藤一人さんの霊界認識には物足りなさを感じたものの、

言霊の大切さを説いている点については、

大いに共感した
ものです。


また、この二人に共通しているのは、

その教えにユーモアがあること。

ユーモアは、

人の心を柔らかくしますからね。


そんなわけで、

支部に行っても、

連日悪口を聞かされお金まで払う日常よりも、

天国言葉を日々の中で使いながら、

お金は一円もかからない生活へと移行していきました。


すると、

一番大きな変化を実感したのは、

職場での人間関係。

これが、

劇的に改善しました。


上司を裁き心で見ていた自分が、

上司の良いところを見るようになったからでしょう、

まず、上司との関係が良くなりました。

それまでの自分は、

どこか上司を見縊っていたのだと思います。

仕事はできるが、

仏法真理を知らない悟りの低い人間、

それが僕の上司を見る目、でした。


不思議なことに、

まあ、今思えば不思議でもなんでもないのですが、

幸福の科学の活動信者であったときには見えてなかった、

職場の人たちの中にある仏性が、

見えてくるようにもなったのです。


長くなりましたので、

この辺にしますが、

ドグマの束縛から離れ、

心を解放して自由に生きるようになると、

幸せがどんどん舞い込むようになった
のです。


お金は一円も使わずに、

ただ、心の方向性を変えただけで、

こんなにも世界が変わって見えるのか、

ということを経験した日々でも、



ありました。




僕が涙を流したブログ記事



今日は誤解を招きかねないタイトルなので、

最初に断っておきます。 


これは僕だから泣けたのであり、

もし泣ける人がいるとしたら、

僕と似たような経験をした人か、

ものすごく共感力のある人、

くらいでしょう。


人は、孤独なものです。

ましてや精神世界のこととなると、

理解し合うのは限りなく難しい。


それは、

この三次元という、

縦横高さの箱庭のようなところに肉体がとらわれていて、

精神が自由ではないからです。


僕は、

とある宗教団体をやめる際、

3年間の検証期間を置きました。

3年間も時間を要したその理由は、

それほど、

やめることに逡巡していたからでもあります。


自分が信じている者、

特に神と崇めている存在に、

疑いを持つのはつらいことですし、

何よりも認知的不協和を生みますから、

感情が不快感を
持ちます。


不快なものからは、

目を逸らしたいのが人の常。

見ないようにすることで、

自分の精神の均衡が保てますからね。


僕がその記事を読んで泣いたのは、

彼がいかに真摯な信仰生活を送ってきたのか、

そして、

不本意ながら疑問を持ち

その後、

逃げずにその疑問と向き合い

勇気をもって、

真実と向き合ったのかということ、

そのひたむきな姿を、

感じ取ったからです。


人は、

一度信じたものは、

なかなか手放せないものです。


ましてや彼のように、

多くの時間とお金、

つまり人生そのものを注ぎ込んできた人であれば、

なおのことです。


しかし彼は、

勇気をもって検証し、

教祖の実像に近づくことができました。


これは、

容易な作業ではありません。


以下は、彼のブログからの一部抜粋。

私も幸福の科学には数百万円のお布施をして、20年以上も信仰を続けてきました。大川隆法の言っていることが間違っていると判定することは、これまでの20年間の自分の人生を否定するのと同じなので、それはそれは非常に慎重になります。信仰を捨てるかどうかという人生の大きな選択がかかっていますので、本当の事、事実、真実を突き止めたくて真剣に慎重に調べました。

私もつい最近まで、皆様と同じように支部行事に参加し、ご法話に涙し、精舎の研修では光の体験をして心の安らぎを得ていました。法友たちと駅前で一生懸命チラシ配りしたり、様々なボランティア活動もしました。正心法語は基本毎日全編読誦でした。大川隆法が主エルカンターレではないと認めることは、自分のこれまでの人生を否定する様なものです。だから信じたい気持ちがありました。本物であって欲しい、本物であるべきだ、どんな矛盾があっても本物なのだと思っていました。

もし熱烈信者だった頃の私であれば、総裁先生が嘘など言うはずがないから、これは信者を導くための方便ではないか?車両訓練場だと見抜いていたけど、中国の軍事的脅威を日本人に知らせるために、数多くの核弾頭ミサイルが日本の各都市に照準を合わせていると、敢えて嘘をおっしゃったのではないか?と思ったかもしれません。


まさにこの彼の気持ちこそ、

僕が11年前に退会したその団体を、

3年間検証した時の気持ちそのもの。


僕が黒字で強調したところは、

まさに当時の僕の気持ちと同じものが、

書かれていたから。


ましてや僕は霊的に敏感なところがあり、

精舎などではインスピレーションがどんどん降りてきて、

光体験も一度や二度ではなかったからです。


この、自分の中にあった光体験こそが、

最後まで僕を逡巡させていた
ものでした。


感性と理性との凌ぎ合いというか、

信仰歴が長く活動信者であれば、

少なからず奇跡のような体験もしているし、

僕が辞めたその団体に限らず、

様々な宗教団体の信者が、

それぞれの信仰体験を根拠にして、

自分の信じる対象の正当性を、

確信の根拠としていることでしょう。

IMG_2228

どこに疑問を感じ、何をきっかけに気づきに至るかは、

人それぞれでしょう。

今日紹介する人は、

一つの疑問をここまで掘り下げて探求したのかと、

その丁寧さに感心しました。


僕の場合は、

複数の疑問をそれぞれ掘り下げ、

調べ上げ、

その教祖の実像を複眼的に見ることで、

疑問を解いていきました。


文献にあたるだけでなく、

東京地裁にも足を運び、

天使から悪魔に格下げされ追放された教祖の元夫人にも、

二度会って話も聞きました。


僕なりに慎重に、

幾度も感情の揺れ戻しを経験しながら、

それでも真実を求める気持ち、

求道心が、

僕を導いていきました。


殆どの人には、

興味のない内容でしょうから、

無理に読む必要はありませんが、

一応その記事を貼り付けておきます。

大川隆法の霊能力「中国秘密軍事基地」遠隔透視衝撃の真実 | 元幸福の科学信者コウちゃんのブログ (ameblo.jp)

考える材料にしていただけたら、幸いです。




生きることはなぜこれほど苦しいのか



今日は朝から肌寒い陽気。

連休を終えた多くの勤め人が、

この時間にはもう電車に乗っているか、

あるいは職場に着いて、

長い一週間を始めているかもしれません。 


僕はと言えばありがたいことに、

こうして家にいて、

ブログなどを書くことができます。


今日、5月8日は、

僕の弟の誕生日であり、命日です。

62年前の今日、

彼はこの世に生を受け、

そして何度か息をしたのち、

あの世へと旅立っていきました。


その弟の、

あまりに短い人生と比べ、

僕はもう、64年と2か月の歳月を、

生きてきました。


昨日は、Iさんが、

午後の3時過ぎに我が家を訪れ、

そして、午前3時過ぎに、

帰っていきました。


およそ12時間、

Iさんとは、

これまでにないほどの深い話ができ、

とても感謝しています。


幼少時より、

人生の儚さについて、

思い煩うことの多かった僕は、

温室のような学生時代を終え、

世の中に放り出されたときから、

苦しみの連続。


人生は苦なりと、

看破した仏陀釈尊の教えに惹かれたのも、

無理からぬものがあります。


この世に真理というものがあるならば、

それは何なのか、

それを志向し続けた日々でした。


生家は、というよりも父は、

世界救世教の熱心な信者で、

母は無神論でありながら正直な性格。

神を信じているはずの父のほうがときどき嘘をつき、

無神論の母のほうが真っ正直な姿を、

子供のころから不思議な感覚で眺めていました。


やがて思春期となり、

世界救世教の学生部で活躍し、

青年部へと移行したときに、

教義の疑問をぶつけたところ、

的を射た回答を得られず、

そこを離れ、

求道の日々が始まります。


アルバイトを転々としながら、

宗教関係の本を読み漁り、

多くの人に会い、

やがて、友人を通して、

GLAという団体に導かれます。

そこで、緩やかに学び始め、

集会などにも顔を出したものの、

創始者である高橋信次氏の死去と、

その後の後継問題のごたごたから、

会は分裂。


もともと深入りしていた団体ではなかったので、

そう大きな影響も受けなかったのですが、

一時期、高橋信次氏とその著書が、

僕の人生の指針でもありました。


その後の紆余曲折は、

過去記事でも何度か触れているように、

統一教会、幸福の科学を経て、

今は、いかなる宗教団体にも属さず、

宇宙法則としてこの世界を統べるところの神、

スピリチュアリズムが明らかにした神への信仰が、

僕の中心軸になっています。


昨日は、Iさんとの、

多岐にわたる話の中で、

僕の、今の状況に至った経緯なども話すことができ、

それゆえ、深夜になっても話が終わらず、

長い対話となりましたが、

最後までこの対話の相手となってくれた、

Iさんへの感謝の思いと、

また、立場は違えど、

Iさんの、今の立ち位置なども知ることができ、

貴重な時間となりました。

IMG20230308123904

ともに二人に縁のある、

ある人の死をきっかけに、

そのような対話へと導かれたことを、

感謝して、

今日はこのブログ記事を、

終えたいと思います。





自分のペースで生きられる幸せ



さて、昨日の記事の続きになりますが、

広尾に行った理由。

それはズバリ、

この人に会うためでした。

IMG20230422143039

彼が幸福の科学を離れて何年になるのだろう、と。


何しろ投票日前日ということで、

話し込むことまではできませんでしたが、

多少言葉を交わし、

どういう人なのかを、

皮膚感覚で感じてきました。


もう11年以上前のことになりますが、

このヒロシ君の母親のきょう子さんにも、

実際に二度会い、

その人となりを確かめた記憶がよみがえります。


やはり、

人となりを知るには、

実際に会うのが手っ取り早い。


彼から感じた波動は、

今日のタイトルでもある、

自分のペースで生きられる幸せ。


びっくりしたのは、

この人を応援するボランティアの、

数の多さ。


自主的に無報酬で、

これだけの数の人が、

応援しているというのは、

素直に感心しました。


結果的に言うと、

彼は落選したのですが、

なぜ負けたのかの分析も、

的を射ていました。


人を偏見なくありのままに見るのは容易ではありません。

仏陀釈尊の説く八正道の一番目に来るのが、まさに正見。


ヒロシ君の印象は、

先ほども言ったように、

自分のペースで好きなように生きているエネルギーと、

コミュニケーション能力のそれなりの高さ。


おそらく兄弟の中では、

その能力は一番高いように思います。


ただ、彼もかなり、

我見我欲が強い印象は受けました。

妹の沙也加さんは総裁に、

ヒロシ君はきょう子さんに、

顔立ちはそれぞれ似ているようですが、

性格のきつさは妹は母親似なのかな、と。


今日は、

Iさんが、

これから僕の家に来る予定なので、

ヒロシ君のことも含め、

いろいろと話し合いたいと、

思っています。



 

僕が100万円単位でお金を使った経験



昨日の記事では、

貯金を使うのが怖いという単身女性に、

大きなお世話ですが、

勝手にアドバイスめいたことを書いたのですが、

言いっぱなしは良くないので、

僕自身の消費体験を少し書いてみようと思った次第。


まずは直近のところで言うと、

このブログを書き始めた頃のことですが、

ビジネス系のセミナーに80万円を支払いました。


これは普段使いの楽天カードではなく、

東武カードでの支払いだったのですが、

東武カード側が何を疑ったのかストップをかけて支払いできず、

という現象があったのち、

間違いなく本人の支払いであるという確認を取って、

支払ったという感じでした。


この話をすると長くなるので端折りますが、

結果から言うと80万円の投入に対し、

リターンはほぼゼロ。


いやむしろその翌年も、

追加で10万円ほどを支払い、

交通費まで入れれば、

楽勝で100万円以上の支出でした。


この話に深入りすると、

メチャクチャ長くなるので次に行きます。


まあ、比較的直近での大きな一括の支出はそれでしたが、

それ以前では、

18年間所属していた宗教団体、

幸福の科学へのお布施。


最初に授かった御本尊こそ60万円と、

100万円には届かなかったものの、

その後御本尊がリニューアルされるたびにすぐに授かり、

それぞれ100万円ずつ2回の支出。


その後に出された300万円の御本尊は、

お金もなかったし、

教団の在り方への疑問も生じ始めていたため、

授かるまでには至りませんでした。


ただ、その前に、

自分が将来入る納骨壇に120万円の支出。


それ以外に、10万円単位のグッズ等を入れると、

そうした御本尊や法具だけでも500万円以上の支出。


ソフト面では研修というのがあり、

3万円ほどから100万円までの数々の研修があり、

僕は修行菩薩というのを目指していたので、

1年間に7つほどは精舎をめぐり、

研修を受けていました。


僕が受けた研修で、

いちばん単価が高かったものは半日で10万円でした。


そうした研修に支払った費用は、

トータルにすれば100万円越えは間違いなく、

さらにそうした研修とは別に、

毎年のように特別植福というのがあり、

そちらも、一口10万円とかは普通でしたし、

また、精舎では秘法というのがあり、

僕が受けた秘法で覚えているのは数分の儀式で30万円でした。


それ以外に、

一番熱心にやっている頃は、

教祖の本を100冊単位で買って、

献本するということもしましたし、

教団の創った映画の券を100枚単位で買って、

配ることもしていました。


これらはすべて、

自分が情熱を込めてしたことなので、

後悔はありません。


ただ、

反省は、

しています。


で、話を戻すと、

50歳までは貯金ゼロでした。


稼いだ金は、

みんなそうした宗教関係に、

つぎ込んでいましたからね。


ただ、精舎というのが全国にあり、

そのおかげで、

いろいろな地方に行けたという利点もありました。


たとえば四国などは、

高知や松山には、

個人的な旅行で行っていましたが、

おそらくその宗教に入っていなければ、

徳島には行くことはなかったと思います。


教祖が徳島県の生まれだったので、

結果的に四国では徳島県に行く機会が一番多くなりました。


そうした精舎が、

沖縄から北海道まであったので、

半分旅行気分で訪れることができたのは、

今でも良い思い出になっています。


話を整理すると、

直近ではビジネスセミナーに、

なんやかんや100万円以上、

それ以前では、

宗教関係に、

100万円単位、

10万円単位の支出を、

数知れずやってきたおかげで、

しかも、

50歳まで貯金ゼロだったおかげで、

お金を支払うことへの抵抗は基本的にはないのですが、

同時に思い切りが良すぎる自分への自戒も込めて、

一時期、節約に過度に走ったことがあり、

たとえば、

今でも年に3回か4回しか床屋に行かないなどは、

そうした表れかもしれません。

IMG20221019113537

長くなったのでこの辺にしますが、

お金払いが良いほうが、

死ぬときも、

執着なく死ねるような気がするのですね。


そうは言っても、

今では僕も経験から学び、

自分が過不足なく生き抜ける程度の貯金と、

わずかですが株式投資にもお金を回しながら、

今日も、

基本的には堅実に生きている、

僕なのでした。





54歳貯金ゼロでも楽天家だった自分のその後



預貯金がゼロになってみると、むしろ爽やか、という心境は、

実は、この時が初めてではありませんでした。

そもそもが、貯金をするメンタルではなかったのです。


それというのも、35歳で幸福の科学に入信し、

53歳で退会するまでの間、活動信者でしたから、

その間に、60万円の御本尊を一回、

100万円の御本尊を2回、など、

お金が貯まる暇もなく、出ていくのです。


これは、数年ごとに御本尊がリニューアルされるため、

熱心な会員は、そのたびに100万単位の支出となります。

まあ、この調子で話していくと、

幸福の科学の話になってしまうので、

この辺にするとして、

常にお金を吐き出し続ける環境下にいたため、

少しお金が貯まりだすと吐き出すみたいな、感じ。


ただ、50歳のときに、教義に疑問を持ち、

お布施の支払いをセーブしていたため、

多少はお金を貯めることができていました。


で、そのお金も親の介護で自宅に戻ることになり、

マンションの売却前に繰り上げ返済に充てたりなどし、

何とか残債をゼロにしたという綱渡り経済。

IMG20220910120921

一文無しにはなりましたが、株が2銘柄ありました。

ただ、民主党政権下の悪い環境で、

その2銘柄もほぼ塩漬けに近く、

売っても、たかが知れていて、

そのまま放置。


なので、資産は、その2銘柄の株だけという惨状。


当時は、仕事と介護の両立で忙しく、

そもそも、株どころの騒ぎではありませんでした。


で、そこから、鬼のようにお金を貯めまくりました。

生活費は、親の年金でできるので、

毎月、20万円前後を貯金。

給料は、手取りで27万円前後だったと思います。


一年で、250万円くらいは貯めたと思います。

ただ、その後介護離職となったため、

鬼のようにお金を貯めた時期は、2年半ほど。


お金を貯めるだけでは増えないので、

株式投資のほうにも資金を投入。


その後、日本を取り戻す、を謳い文句にして、

安倍さんが総理に返り咲いてからは、

投資環境も改善し、

僕も多少は、

株式投資の波に乗ることができました。


バリアフリー化して建て替えた家で、

父を在宅介護し、

父が老衰で他界後、

母も末期癌で他界し、

今は天涯孤独者として、

質素な暮らしで、

生きています。




35歳のときに見えてきた光


35歳までは、暗闇の中を歩いてきた、という話を昨日したのですが、それは、この世的に言えば、まったく仕事の見通しが立たなかったことが、原因です。

当時は、今ほど、多用性が容認されておらず、いい年をして働いていない人間は、プータローと呼ばれて、蔑まれていました。

まさに僕が、そのプータローだったわけで、もう、どん詰まりの状態の35歳でした。 

ただ、突然、歌舞伎の回り舞台のように、35歳のときに、状況が変わったのです。

当時、統一教会の洗脳からはまだ抜け切っておらず、逃げ出して8年たってもまだ悶々とした状態だったのです。

その状態で、職を見つけても長く続かず、という、八方ふさがりの僕でしたが、35歳のときに入会した幸福の科学で、光体験をしたのちは、人生が急展開。

良いほうにね。

サタンの子から仏の子へ、と脱皮した僕は、友人Oの紹介で、ビル管理会社に入社することができ、そこから生活は一気に安定しました。
 
 IMG_4162

生活の安定と心の安定が両立した、幸福な日々の始まりでした。

そして結局、そのビル管理業界で、一度転職はするものの、足掛け20年にわたる職業生活を送ることになったわけで、まさに、あの35歳こそが、人生の転換点であったと、今でも思っています。

その友人Oとは今も付き合いがありますし、幸福の科学に入会したおかげで、AさんやIさん、という有徳の得難き友人とも知り合いになれました。

実はそのAさんには、昨日もお世話になりました。

いずれ、記事にすることがあるかと思いますが、僕の生活がこのところ急展開して、昨日は、さいたま市まで、今度就くアルバイトの研修に行っていたのです。

で、そのアルバイトの話は、改めてするとして、仕事をするにあたり、身元保証してくれる人が必要になり、それを、昨日、その研修の帰りに、急遽、Aさんにお願いしたのですね。

これまた偶然というか、大概は、帰りの遅いAさんですが、昨日は、19時には在宅していたので、お邪魔して、身元保証人になってもらった次第。

天涯孤独のおひとり様の保証人問題については、過去記事でも何度も書いていますが、これもまた、アルバイト生活が落ち着いてきたら、改めて書いてみたいと思っています。

で、何でしたっけ。

ああ、そうそう、僕の人生は、35歳から急行天使、ならぬ、急好転し、仕事と精神の安定を得られただけでなく、AさんやIさんのような、高徳の人たちとの出会いもあり、今に至っています。

まあ、今は、その、僕を光の世界へと導いてくれた幸福の科学も退会していますが、今も、AさんやIさんには、お世話になっています。

 

人はそのようにして、流れ、流されながらも、様々な出会いや別れを、繰り返していくのかもしれません。



「足るを知る」人にとって、人生はシンプル


複雑なものは、疲れます。

ちょうど今から一週間前の土曜日のことになります。

9月19日の土曜日、僕の先輩のF島さんが、映画会を開きました。

そのときに、思いがけず再会したのが、ジャーナリストのNさん。

Nさんは、沖縄問題の第一人者です。

そのNさんから、このあと飲みに行くのですが、一緒にどうですか、と誘われ、二つ返事で、承諾。


飲み会の参加者は、映画上映会を主宰した、F島さん、ジャーナリストのNさん、そのNさんを、車で送迎してくれていたOさん、そして僕の4人。

実は、そのNさんと僕は、幸福の科学の会員時代、お互いの家を行ったり来たりする間柄でもあったのですが、使命感に生きるNさんは、ネット上に、退会届を公開しています。

それはおそらく、自らの活動にとって、何かとそのほうがやりやすいからだと推測しています。

で、Nさんと意気投合したのは、「過去世など、関係ない」、ということ。

Nさんは、裸一貫で、事業を立ち上げ、また、ジャーナリストとしての活動も、孤軍奮闘。

幸福の科学においてご立派な過去世を与えられていた人が、ことごとく消えていったか、鳴かず飛ばずの中、ひとり気を吐くNさん。

このNさんも、元職員なだけに、内部事情もいろいろ知っているようでした。

 cara00

何人かの幹部職員の実態なども、聞いた次第。

で、こんなことを語りだしているときりがないので先に行きますが、今後の政局、政界情勢、アメリカ大統領選などなど、実に有意義な話で盛り上がるなか、途中から飛び入り参加した、F岡さんという人が、宇宙人の話をしだしてから、話はおかしな方向へ。

このF岡さんは、F島さんが、呼んだようで、無下にも出来ず、僕もおとなしく聴いていましたが、NさんがITにも精通していることを知ると、対抗意識を燃やしたのか、自分も富士通の技術者だったと言いだして、また話が変な方向に。

俺はUFOの種類も全部知っていると、宇宙人関係の自慢話も延々と続き、菅総理や小泉純一郎も朝鮮人だとかわけのわからないことを言いだし、もう、妄想話のオンパレードで、せっかくの意義のある飲み会がぶち壊しに。

そのうえ、このF岡さん、金がないとかで、彼を誘ったF島さんの提案で、支払いは免除に。

このF岡さん、年を訊くと70歳だとかで、自分の妄想を語るだけ語り、コロナ禍の中、唾を飛ばしまくり、ビールは飲みたいだけ飲んだ挙句に金は払わずに、帰っていきました。

この飲み会の途中までは、大変有意義な内容だっただけに、とても残念でした。

さて、話を戻すと、過去世などというものも、承認欲求のなせる業で、そもそも何の実績もない状態で、たいそうな過去世を貰うこと自体が、大きな負債であるとは、Nさんの弁。

僕も、まったくその通りだと、思いました。

その点、足るを知る人にとっての人生は、いたってシンプル

整合性の取れない教えや、立派な過去世などは、真実や事実に価値を置く求道者にとっては、夾雑物でしかありません。



くれぐれも、愚か者になってはいけないと、思った次第。

そして何よりも僕自身が、愚か者の涙、を、流さないようにしようと、思いました。




自分自身の深さを発見した人は、この事実に気づいている


実は、どの宗教団体の教えも、良い教えです。

カルト宗教などでも、教えそのものは、立派だったりします。

そしてどの団体の信者も、もっと良い人間になろうと努力しています。

 b0098584_914695

その努力は尊いのですが、当人の意識に変化が起こらない限り、結局は成功しません。

良い人間になろうとするのも、微妙でわかりにくい形のエゴイスティックな高揚感、自意識や自己イメージの強化を求める欲であることに変わりはないから、です。

実は、カルト教祖そのものが、良い教えを説きながら、彼こそが、自意識や自己イメージの強化に最も邁進している無明の人間なのです。


もともとは高潔な理想から始まった共産主義の歴史が、一つの参考になるのではないでしょうか。

共産主義の理想自体はそれなりに素晴らしいものなのですが、その考えに共感した人々が、まず自分の意識状態という内なる現実を変化させようとはせずに、ただ外部的現実を変えようとしたわけですね。

その結果は、惨憺たるものでした。

スターリン統治下のソ連で、階級の敵、裏切り者、として2000万人が殺されました。

こうした事例を挙げていくときりがないので、一例のみにとどめますが、これを、他山の石としてはいけないのです。

オウム真理教が、その独善的な教義により、サリンをまき、罪なき人々を多数殺しました。死は免れたものの、今も、その後遺症に苦しんでいる人もいます。 

イデオロギーもカルト教義も、根っ子は同じです。

思想なり、教義なりで、自己イメージを強化した人たちによって引き起こされた、正義という名のもとの殺戮、残虐行為。

エルカンターレを信じるまで火責め水攻め食料危機だと、勝ち誇ったように息巻く幸福の科学の信者の内面は、実際に手を下さないまでも、意識状態としてはスターリンやポルポト、麻原彰晃と何ら変わりません。

これは、カルト宗教に顕著なことですが、その一見、良い教えが、イデオロギーになり、信者が自分をそれに同一化させ、自我意識を強化する信念体系になり果てています。

信者は、この信念を拠り所として無自覚なまま自分の信仰に酔い、自分が正しくて、相手が間違っていると、断じます。

このような信念は、それがどのようなものであれ、持ち主をスピリチュアルにはしません。

それどころか、その信念と自分を同一化すればするほど、自分の中のスピリチュアルな面から切り離されていきます。

結論を言うと、自分がスピリチュアルかどうかは、何を信じているかではなく、どんな意識の状態に在るかによって決まる、ということです。

自分自身の深さを発見した人は、この事実に、気づいています。

そしてこの気づき、こそが、あなた自身に変容をもたらし、その変容こそが世の中を変えていくのです。

仏陀釈尊もイエスも、自分を崇拝せよとは言わず、あなたの中にある深さに気づきなさい、と、教え諭したのです。

この調子で話していると長くなるので、この辺にしておきますが、人工的解釈によって歪められたキリスト教が、僕にはとても残念でなりません。

主イエスの教えから、遠いところにあるのが、今の、そして、歴史上の、キリスト教です。





ある種の優越感ほど始末に悪いものはない


僕が中学生の頃、北辰テストというのがあり、その点数が廊下に貼り出されたりしました。

誰でも通る廊下に貼り出されると、クラスの人間だけでなく、違う学年やクラスの人にも、自分の学力の順位が、晒されることになります。

向上心のある子どもであれば、それをモチベーションにして勉学に力を入れるでしょうし、劣等感を感じやすい子どもであれば、さらに落ち込む材料にもなるでしょう。

また、恋愛などにも目覚める年ごろなので、好きな異性の順位と自分のそれを比較して、つり合いが取れているだろうか、などと、余計なことも考えるかもしれません。

まあ、そうしたテストは、進学校を決める際の指針でもあったのでしょう。

そしてその進学先の高校も、偏差値なるものでランク分けされていたわけです。

つまり僕たちは、子供のころから、学業だけでなく、運動能力、見た目、家が裕福か否か、など、で、優越感を感じたり、劣等感を感じたりしやすい環境で、育ってくるわけです。

この、自他の比較、というのはあまりにも身近にあるので、よほど意識しないと、自動運転のように働きます。 

一流大学という言葉もあるし、Fランク大学、という言葉もあるようです。

僕などは、大学にさえ行っていないので、最初、ネットで、Fランという言葉を見た時に、何を言っているのか理解できませんでした。

さて、事程左様に、比較の中で生きている僕たちですが、いちばん始末に悪い優越感が、宗教的エゴによる優越感、です。

これは、歴史を見ればわかりますし、今この時代でも、周囲を見渡せば、わかることです。

宗教的エゴが引き起こした悲惨な出来事は、書きだすと膨大な量になるので、具体例を一つだけ示すとすると、ローマカトリック教会の異端審問によって、300年間に400万人前後の女性が拷問され殺害されました。

彼女たちは、ただ動物をかわいがったり薬草を集めたりしただけで魔女の烙印を押され、拷問にかけられ火あぶりにされました。

彼女たちを魔女だと決めつけた宗教的支配者のエゴによって殺されたのです。

では、そのエゴなるものは、どういうときに最も強化されるのか?

それは、自分の正しさに執着するとき、です。

自分が正しいという思いほど、エゴを強化するものはありません。

エゴは、自分が正しいと思いこむためには、好んで誰かが間違っていると決めつけたがります。

つまり、自分という存在を強化するためには、誰かが間違っていなければならないのです。

カルト宗教のすべてが、この罠に落ち込んでいます。

それ故に、独善的にならざるを得ません。

カルト宗教が独善的になるのは、必然なのです。

少し前の記事に対する幸福の科学の休眠会員、寄る辺なき子さんのコメントで記された彼女の法友の言葉、

 589029

会員の呆れた言葉、エルカンターレを信じるまで火攻め水攻め食料危機も迫って来ると息巻いている姿に、ぞっとしました」も、スピリチュアルエゴの典型的な心理状態です。

因果の理法、などに代表される宇宙法則は、どこかの団体の独占物ではありません。

しかしカルト宗教は、自分たちこそが真理の団体であり、信仰心がある、と思っています。

まさにその思いこそが彼らのエゴを強固なものにしているのですが、何よりも教祖自身が自分を客観視できない状態の裸の王様なので、むしろ狡猾な取り巻き(教祖を信じているふりをして利益だけを抜き取ることに徹する輩)に利用される哀れなピエロに成り下がっていたりします。

まあ、この辺りの事情は、カルト教団によってそれぞれですが、共通しているのは、自分たちこそが正しい、という思い込み。

そしてその思い込みの背後にあるのは肥大化された優越感と強固なエゴ。

お金持ちが貧乏な人を見て感じる優越感などは、宗教的エゴによる優越感に比べれば、かわいいものかもしれません。


最新記事
最新コメント
ハピタスでポイント生活を
その買うを、もっとハッピーに。|ハピタス
介護離職からのおひとり様ローコスト生活 - にほんブログ村
スポンサードリンク
PVアクセスランキング にほんブログ村
ブログランキング・にほんブログ村へ
  • ライブドアブログ