介護離職からのおひとり様快適生活

定年まで数年を残して介護離職したのち、父を自宅で看取り、その二年後に母も天国へ。風の時代の上昇気流に乗りながら、日々の暮らしでの気づきと心象風景を綴っています。

小林正観さん

自由に生きると幸せがどんどん舞い込んでくる



昨年、

僕の友人のIさん宅で、

うどんをごちそうになったときに、

実に様々な具が入っていることにびっくり。

その具の一つに、

高野豆腐がありました。


実は僕は、

高野豆腐は苦手だったのですが、

うどんの中に入っていたそれは、

味がしみ込んで美味しい、と。


それ以来僕も、

毎回ではありませんが、

高野豆腐をうどんに入れるようになりました。

昨日などは、

初めてみそ汁の具としても使ってみました。


なるべく多くの食材を使うことで腸内環境をよくする、

ということを心がけるようになりました。

そうは言っても、

たまにはカップ麺なども食べますけどね。

IMG_5621

そうした場合は、

一緒にサラダを食べるとかの工夫はしています。


先ほど例に挙げたIさんだけでなく、

僕は、「我以外皆師なり」で生きているので、

僕が出会う人は皆、先生です。


一昨年、

小学4年生に国語と算数を教えるボランティアをしていた時も、

子供から学ぶことの多さにびっくりしました。


さて、二つ前の記事で、

11年前に退会した宗教団体について少し触れましたが、

ちょうどその頃、

教祖が教団から追放した妻の悪口を言うビデオを、

連日のように支部で聞かされました。


教祖は根本仏であり、

主と崇める存在ですから、

そんな悪口ビデオを聴くのにも、

御法話拝聴ということで、

お金が必要です。


僕は次第にその悪口雑言を聴くに堪えなくなり、

お金を払ってこんな悪口を聴いている自分は何なのだろうと、

思うようになりました。

ちょうどそのころ、

教団の教義の矛盾も痛切に感じ始めており、

もはや自分の中では無視し難いものになっていました。


時を同じくして、

僕はデトックスの意味で、

小林正観さんや斎藤一人さんの本を読むようになりました。

ある程度霊的知識のあった僕は、

小林正観さんや斎藤一人さんの霊界認識には物足りなさを感じたものの、

言霊の大切さを説いている点については、

大いに共感した
ものです。


また、この二人に共通しているのは、

その教えにユーモアがあること。

ユーモアは、

人の心を柔らかくしますからね。


そんなわけで、

支部に行っても、

連日悪口を聞かされお金まで払う日常よりも、

天国言葉を日々の中で使いながら、

お金は一円もかからない生活へと移行していきました。


すると、

一番大きな変化を実感したのは、

職場での人間関係。

これが、

劇的に改善しました。


上司を裁き心で見ていた自分が、

上司の良いところを見るようになったからでしょう、

まず、上司との関係が良くなりました。

それまでの自分は、

どこか上司を見縊っていたのだと思います。

仕事はできるが、

仏法真理を知らない悟りの低い人間、

それが僕の上司を見る目、でした。


不思議なことに、

まあ、今思えば不思議でもなんでもないのですが、

幸福の科学の活動信者であったときには見えてなかった、

職場の人たちの中にある仏性が、

見えてくるようにもなったのです。


長くなりましたので、

この辺にしますが、

ドグマの束縛から離れ、

心を解放して自由に生きるようになると、

幸せがどんどん舞い込むようになった
のです。


お金は一円も使わずに、

ただ、心の方向性を変えただけで、

こんなにも世界が変わって見えるのか、

ということを経験した日々でも、



ありました。




なぜ母(義母)と仲良く暮らしてこれたのだろう、と考えてみた

僕の父(3年前に他界)が、母(1年前に他界した義母)と再婚したのは、僕が19歳のとき。

当時、僕の家は、世界救世教という宗教団体に入っていて、そこで、紹介されたのですね。

つまり、母も、東京で、同じ宗教団体に所属していたわけです。

実は、父は、母と再婚する前に、二人ほど、やはり、世界救世教の信者の女性を紹介されていたのですが、縁がなかったようです。

で、僕は、父が再婚したので、家を出たりして、放浪し、好きなように生きてきました。

その間、世界救世教をやめ、統一協会で、集団生活をしたり、まあ、転職と放浪の生活をしていたわけです。

落ち着いたのは、35のときですが、そのときには、統一協会はやめており、幸福の科学の会員になっていました。

父も母も、再婚した当時は、世界救世教の信者だったのですが、その後、僕と歩調を合わせるようにして、統一協会、そして、幸福の科学へと、宗旨替えしていきます。


で、その幸福の科学も、僕が53歳のときに辞めると、その後、両親も、辞めました。


まあ、しかし、どんな宗教であれ、人を惹きつけるには、それなりの理由というか、魅力があるわけですよ。

で、どの宗教にも、それなりの、心の教え、と、いうモノは、あります。

母の場合は、世界救世教の、お任せする、という教えが、気に入っているようでした。

あれこれ悩んでも仕方がないので、お任せする、ゆだねる、ということですね。

まあ、これは、仏教的に解釈し直すと、執着を手放す、ということにつながるように思います。


で、宗教遍歴の話になるとまた長くなるので、なぜ母と上手くやってこれたのかを再考すると、たぶんこれは、ウィンウィンの関係にあったのが大きいのではないか、と推測します。

つまりですね、母が、再婚もせずに東京で一人暮らしをしていたら、かなり貧しい老後になっていたと思います。職歴もわずかで、当時、板橋区のアパートに住んでおり、ちょうどそこを取り壊すので、出ていくように言われたタイミングで、父との再婚話があったのですね。


まあ、渡りに船だったわけで、こうしたタイミングというのも、ある意味、運命かなあ、と、思うのですよ。

で、父は父で、のち添えを得て、助かったところは多かったと思います。

僕もまた、父が再婚してくれたおかげで、自由に放浪できたわけですから、近江商人の三方良しの家族版、というか、そんな感じ。


で、父は、どちらかと言うと高給取りでもない、会社員というか、米軍横田基地というところに勤めていたので、準公務員に近い感じでしょうか。


で、父の世代は、ねんきん的にはかなり恵まれていたのですよ。

だから、非常にお金のかかる幸福の科学にいたときも、年金暮らしで何とかやり繰りできていたようです。


幸福の科学をやめた経緯などは、過去記事でも触れているので省きますが、そのときに大きな力となったのが、斎藤一人さんや小林正観さんの本でした。


ちょうど幸福の科学の総裁である大川隆法さんが、長年連れ添った妻と離婚するときで、支部に行くと、連日、妻への悪口を法話という形で聴かされていました。

法話である以上、それを聴くにも、お金がかかります。

お金を払って、妻への悪口を、支部に行くたびに聴かされるわけです。


それだけが原因ではないのですが、僕は徐々に精神に不調を覚えました。

それまで、大川隆法さんの妻のことを、文殊菩薩だ、アフロディーテだと、崇めていた信者たちが、てのひらを返すように、糞女とか、ユダとか、言ってののしる姿も、見るに堪えませんでした。

そうしたときに、斎藤一人さんや小林正観さんの本に出会い、普段話す言葉の大切さを、学びました。

実際、当時は本当に苦しい毎日でしたが、そうした天国的な言葉で、教祖の吐き出す毒舌の毒を解毒していったのです。


で、両親を説得し、ともに、幸福の科学を退会したのですが、実は、幸福の科学には、良い人もたくさんいて、このブログでも登場するAさんやIさん、とは、今も、親密な付き合いが続いています。


組織は離れても、人間をラベルで見ない、というのは、大事なことです。


さて、母とはウィンウィンの関係だったという話をしましたが、一緒に斎藤一人さんや小林正観さんの本を読むようになって、互いにありがとうを、言い合う機会が増えたことも、関係性の維持向上に役立ったように思います。


今日は長くなったので、ここまで。
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