介護離職からのおひとり様快適生活

定年まで数年を残して介護離職したのち、父を自宅で看取り、その二年後に母も天国へ。風の時代の上昇気流に乗りながら、日々の暮らしでの気づきと心象風景を綴っています。

仏陀釈尊

自分を幸せにする方法は孤独になること



一昨日の6月1日が、新しいアルバイトの初日、でした。

まあ、半日勤務なので、緊張の中、

何とか勤め上げたのですが、

その日の午後に会社から電話が。


急遽2日の木曜日も出てくれませんか、と。


まあ、仕事も早く覚えたいし、

ちょうど予定もないし、

ということで承諾したため、いきなりの連勤に。


半日勤務とは言え、外での立ちっぱなしの仕事。

気温もかなり上昇し、汗をかきながらの労働。

やっぱり、当初予定していた週1日勤務が最適解かな、

と思った次第。


さて、今日は、孤独について。

孤独には、ネガティブなイメージがありますが、

果たしてそうでしょうか。

実は、孤独、こそが、幸福への道。


その孤独について、

ショーペンハウアーが語っています。




うーん、 仏陀釈尊も、王子として生まれながらも、ペシミストでした。

だからこそ、出家したのです。

大半の哲学者、宗教家は、ペシミストです。

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所謂、根暗、です。


でも、根が暗いからこそ、

救いを求める気持ちも強くなるのですよ。


そしてその先にこそ、

軽薄でない、

本当の明るさが、

あるのです。



自分自身の深さを発見した人は、この事実に気づいている


実は、どの宗教団体の教えも、良い教えです。

カルト宗教などでも、教えそのものは、立派だったりします。

そしてどの団体の信者も、もっと良い人間になろうと努力しています。

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その努力は尊いのですが、当人の意識に変化が起こらない限り、結局は成功しません。

良い人間になろうとするのも、微妙でわかりにくい形のエゴイスティックな高揚感、自意識や自己イメージの強化を求める欲であることに変わりはないから、です。

実は、カルト教祖そのものが、良い教えを説きながら、彼こそが、自意識や自己イメージの強化に最も邁進している無明の人間なのです。


もともとは高潔な理想から始まった共産主義の歴史が、一つの参考になるのではないでしょうか。

共産主義の理想自体はそれなりに素晴らしいものなのですが、その考えに共感した人々が、まず自分の意識状態という内なる現実を変化させようとはせずに、ただ外部的現実を変えようとしたわけですね。

その結果は、惨憺たるものでした。

スターリン統治下のソ連で、階級の敵、裏切り者、として2000万人が殺されました。

こうした事例を挙げていくときりがないので、一例のみにとどめますが、これを、他山の石としてはいけないのです。

オウム真理教が、その独善的な教義により、サリンをまき、罪なき人々を多数殺しました。死は免れたものの、今も、その後遺症に苦しんでいる人もいます。 

イデオロギーもカルト教義も、根っ子は同じです。

思想なり、教義なりで、自己イメージを強化した人たちによって引き起こされた、正義という名のもとの殺戮、残虐行為。

エルカンターレを信じるまで火責め水攻め食料危機だと、勝ち誇ったように息巻く幸福の科学の信者の内面は、実際に手を下さないまでも、意識状態としてはスターリンやポルポト、麻原彰晃と何ら変わりません。

これは、カルト宗教に顕著なことですが、その一見、良い教えが、イデオロギーになり、信者が自分をそれに同一化させ、自我意識を強化する信念体系になり果てています。

信者は、この信念を拠り所として無自覚なまま自分の信仰に酔い、自分が正しくて、相手が間違っていると、断じます。

このような信念は、それがどのようなものであれ、持ち主をスピリチュアルにはしません。

それどころか、その信念と自分を同一化すればするほど、自分の中のスピリチュアルな面から切り離されていきます。

結論を言うと、自分がスピリチュアルかどうかは、何を信じているかではなく、どんな意識の状態に在るかによって決まる、ということです。

自分自身の深さを発見した人は、この事実に、気づいています。

そしてこの気づき、こそが、あなた自身に変容をもたらし、その変容こそが世の中を変えていくのです。

仏陀釈尊もイエスも、自分を崇拝せよとは言わず、あなたの中にある深さに気づきなさい、と、教え諭したのです。

この調子で話していると長くなるので、この辺にしておきますが、人工的解釈によって歪められたキリスト教が、僕にはとても残念でなりません。

主イエスの教えから、遠いところにあるのが、今の、そして、歴史上の、キリスト教です。





縮小期に入った自分に、何がどのくらい必要なのか


人生には、拡大していく時期と、その後、縮小していく時期があると、思っています。

今年還暦を迎え、年が明けて来年3月には、61になる自分。

人生の残り時間を考えると、このままで良かろうはずはない、と思える今日この頃。

実は、アルコールが、また一段と、弱くなりました。

もともと、酒には弱いほうで、父親などは、一滴も飲みませんでした。

僕は、社会の荒波にもまれるうち、酒の味も覚えましたが、それでも、強いほうではありません。まあ、付き合い程度に飲む程度。

ただ、今度の土曜日、先日も言いましたが、K原君の、快気祝いが池袋であり、飲み放題だそうですが、僕は、乾杯ビールだけにとどめて、あとはソフトドリンクにしようと思っています。まあ、集まるのは昼間だし、それが良いかな、と。

で、何が言いたいかと言うと、今、自分は、人生の縮小期に入っており、先日話した古代インド的な考えにも通じますが、林住期、ですね、まあ、内省し、おのれを見つめる時期なのかな、と。


そしていずれは、林住期ならず、ご臨終と相成るわけで、そのときに、少しでも後悔というものを少なくしておきたい、と、思っています。


どのように生きたとしても、十分ということはないのでしょうが、まあ、70点くらいは、自分に与えてあげたい、と、思っています。

僕は、自分の人生には満足しているし、後悔はないのですが、さらに、厳しく、自己採点すると、導かれてきた道筋には満足しているということであって、自助努力と言いますか、自分の日々のあり方については、大いに改善すべきとの思いがあります。

なので、今の自分は、甘く採点して65点。

まずは、平均して、70点くらいは自己採点できる日々にしたいと、思うようになりました。

そのためには、酒など、飲んでいる場合ではない、と。

まあ、気分転換で、たまに飲むのは良いし、他者との交流にもなる飲み会も、たまにはいいとは思うのですが、日々の暮らしの中からは、なるべく、アルコールは、遠ざけたほうがいいように思い始めています。

これにより、今後は、ますます、出費が減ることが予想されます。

まあ、これまでも、家飲みが基本ですから、月にしても、2000円以下だったと思いますが、今後は、これが、限りなくゼロに近くなるかもしれません。

今日も少しだけ、シルバーバーチの言葉を引用します。


 ある日の交霊会に米国人ジャーナリストが招かれた。そして最初に出した質問が「霊界というところはどんなところでしょうか」という、きわめて基本的な質問だった。その時レギラーメンバーの一人が「この方は心霊研究家とお呼びしてもよいほどの方ですよ」と言ったことが、次のようなユーモラスな答えを誘い出すことになった。

(訳者注────ここでは心霊学に詳しい方という程度の意味で言ったのであるが、その心霊学が〝心霊現象の科学的研究〟を目的としているだけで、霊魂の存在も幾つかの学説の中の一つとして扱われているだけである。その点を念頭に置いてシルバーバーチがその〝学説〟を並べ立てて皮肉っぽく答えているところがユーモラスである)

 「私は地上の人たちから〝死んだ〟と思われている者の一人です。存在しないことになっているのです。私は本日ここにお集まりの方々による集団的幻影に過ぎません。

私は霊媒の潜在意識の産物です。私は霊媒の第二人格であり、二重人格であり、多重人格であり、分離人格です。これらの心霊用語のどれをお使いになっても結構ですが、私もあなたと同じ一個の人間です。ただ私は今あなたが使っておられる肉体をずいぶん前に棄ててしまいました。
 
あなたと私の根本的な違いはそれだけです。あなたは物的身体を通して自分を表現しているスピリットであり、私は霊的身体を通して表現しているスピリットであるということです。         

 私はほぼ三千年前に霊の世界へ来ました。つまり三千年前に〝死んだ〟のです。三千年というとあなたには大変な年数のように思われるかも知れませんが、永遠の時の流れを考えると僅かなものです。その間に私も少しばかり勉強しました。

霊の世界へ来て神からの授かりものである資質を発揮していくと、地上と同じ進化の法則に従って進歩していきます。つまり霊的な界層を一段また一段と向上していきます。界層という言い方をしましたが、一つ一つが仕切られているわけではありません。

霊的な程度の差があり、それぞれの段階にはその環境条件にふさわしい者が存在するということです。霊的に向上進化すると、それまでの界層を後にして次の一段と高い界層へ融け込んでいきます。それは階段が限りなく続く長い長い一本の梯子のようなものです。

 そう考えていけば、何百年、あるいは何千年か後には物質界から遠く離れていき、二度と接触する気持ちが起きなくなる段階に至ることは、あなたにも理解出来るでしょう。所詮、地上というところはたいして魅力ある世界ではないのです。

地上の住民から発せられる思念が充満している大気にはおよそ崇高なものは見られません。腐敗と堕落の雰囲気が大半を占めております。人間生活全体を暗い影がおおい、霊の光が届くのはほんの少数の人に限られております。

一度あなたも私と同じように、経済問題の生じない世界、お金が何の価値も無い世界、物的財産が何の役にも立たない世界、各自が有るがままの姿をさらされる世界、唯一の富が霊的な豊かさである世界、唯一の所有物が個性の強さである世界、生存競争も略奪も既得権力も無く、弱者が窮地に追いやられることもなく、

内在する霊的能力がそれまでいかに居眠りをしていても存分に発揮されるようになる世界に一度住まわれたら、地上という世界がいかにむさ苦しく、いかに魅力に乏しい世界であるかがお判りになると思います。


その地上世界を何とかしなければならない───私のようにまだ地上圏へ戻ることのできる程度のスピリットが援助し、これまで身に付けた霊的法則についての知識を幾らかでも教えてあげる必要があることを、私は他の幾人かの仲間とともに聞かされたのです。

人生に迷い、生きることに疲れ果てている人類に進むべき方向を示唆し、魂を鼓舞し、悪戦苦闘している難問への解決策を見出させるにはそれしかないということを聞かされたのです。

 同時に私たちは、そのために必要とする力、人間の魂を鼓舞するための霊力を授けてくださることも聞かされました。しかし又、それが大変な難事業であること、この仕事を快く思わぬ連中、それも宗教的組織の、そのまた高い地位にある者による反抗に遭遇するであろうことも言い聞かされました。

悪魔の密使とみなされ、人類を邪悪の道へ誘い、迷い込ませんとする悪霊であると決めつけられるであろうとの警告も受けました。要するに私たちの仕事は容易ならざる大事業であること、そして(ついでに付け加えさせていただけば)その成就のためには、それまでの永い年月の中で体験してきた霊界生活での喜びも美しさも、すべてお預けにされることになるということでした。

しかし、そう言い聞かされた私たちのうちの誰一人としてそれを断わった者はいませんでした。かくして私は他の仲間と共に地上へ戻ってまいりました。地上へ再生するのではありません。地上世界の圏内で仕事をするためです。

 地上圏へ来てまず第一にやらねばならなかったのは霊媒を探すことでした。これはどの霊団にとっても一ばん骨の折れる仕事です。次に、あなた方の言語(英語)を勉強し、生活習慣も知らねばなりませんでした。あなた方の文明も理解する必要がありました。

 次の段階ではこの霊媒の使用法を練習しなければなりませんでした。この霊媒の口を借りて幾つかの訓え───誰にでも分る簡単なもので、従ってみんなが理解してくれれば地上が一変するはずの真理を説くためです。


同時に私は、そうやって地上圏で働きながらも常に私を派遣した高級霊たちとの連絡を保ち、より立派な叡智、より立派な知識、より立派な情報を私が代弁してあげなければなりませんでした。初めのころは大いに苦労しました。今でも決してラクではありませんが・・・。

そのうち私の働きかけに同調してくれる者が次第に増えてまいりました。すべての人が同調してくれたわけではありません。居眠りしたままの方を好む者も大勢いました。自分で築いた小さな牢獄にいる方を好む者もいました。

その方が安全だったわけです。自由に解放されたあとのことを恐れたのです、が、そうした中にも、そこここで分かってくれる人も見出しました。私からの御利益は何もありません

ただ真理と理性と常識と素朴さ、それに、近づいてくれる人のためをのみ考える、かなり年季の入った先輩霊としての真心をお持ちしただけです。

 それ以来私たちの仕事は順調に運び、多くの人々の魂に感動を与えてまいりました。無知の暗闇から抜け出た人が大勢います。迷信の霧の中からみずからの力で這い出た人が大勢います。自由の旗印のもとに喜んで馳せ参じた人が大勢います。死の目的と生の意味を理解することによって二度と涙を流さなくなった人が大勢います。」

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長くなるので、引用はこのあたりでやめますが、縮小期に入った自分には、そう多くのものは要りません。

いやむしろ、必要なものを見極め、純度の濃い時間を生きなければもったいない、との結論に至りました。

お金を始めとした物質的なもの一切は、この地上を去るときに置いていかねばなりません。

仏陀釈尊の筏の例えの、筏のようなものです。

筏は、川を渡るときには必要ですが、渡り終えたらそれを捨ておいて、また歩き続けます。

魂は永遠であり、肉体はこの世を浮き渡っていく船のようなもの、ですからね。


人生は苦しみの連続だからこそ小さな楽しみを大切にしたい

人類の理性と知性の最高峰のひとりが仏陀釈尊であることに、異議を唱える人は少ないでしょう。

その最高の知性が、人生は苦なり、と喝破したのは2500年の昔。

2500年前のインドは衛生状態も悪く、今よりも過酷な環境だったので、それだけでも楽ではないことは想像しやすいのですが、今の生活が文明の恩恵で快適さを増していることを割り引いても、人生が苦であることは現代も変わりません。

生老病死の四苦が有名ですが、それ以外にも4つあり、併せて四苦八苦。

そのうちの一つ、愛別離苦を、僕も今年母を亡くして、痛感しました。

サラリーマンであれば、怨憎会苦は、ほぼ毎日でしょう。パワハラ上司、傲慢な顧客、言うことを聞かない部下。

で、家に帰れば安らぎがあるかと言えばそうでもなく、気持ちが通い合わない妻、反抗期の子供がいて、その妻子を養うために、会いたくもない会社での人間の顔を脳裏に浮かべ、それでも満員電車に揺られながら、痴漢冤罪の恐怖にも怯えながら通勤する毎日。


それ以外にも、求不得苦がありますね。こんなボロアパートにいたくない、壁も薄いし、夜も眠れない、その上寒さで暖房費もかさむ、でも、金がないから引っ越しもできない、マイホームなどは夢のまた夢、欲しいものが手に入らない苦しみ。

漫画家になりたいのになれない、あいつは一発でオーディションに受かっていい役をもらえたのに、俺はもう20回も落ち続けている俺のほうが才能があるのに、あんなにサービスしたのにちっとも店にきてくれない、やり逃げは許さないわよ、などなど、世の中の事象も他人様も、自分の思うようには動いてくれません。


今つらつらと挙げた事柄は苦しみのほんの一部で、僕であれば、今は腰痛で苦しんでいる最中です。

これは、生老病死の、病の苦しみに分類されるでしょうか。実際に腰が痛いと、二足歩行がすんなりとできなくなります。痛い腰をかばいながら歩きますからね。

ついでに言うと、僕は上の歯も下の歯も部分入れ歯で、最近部分入れ歯の金具が歯茎に当たっていたくて、痛みを感じながら食べています。


今アルバイトで働いている職場に行けば、老害先輩社員はいるし、正社員にも横柄な人がいたりします。

で、そなことをあげていけばきりがないので、僕はすべてを受け入れて生きることにしています。病気もオッケーだし、嫌な人間関係もオッケー。所有株の値下がりもオッケー。

全部受け入れて、明るく生きる。まあ、暗く生きてもいいんですけど、かつての僕のように。

ただねえ、人生は、他人様がおもしろくはしてくれないのですよ。

自分で自分の機嫌を取るしかないんです。

で、僕は、日々の生活の中に、ささやかな楽しみを見つけるようにしているんです。


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先月は午前勤務だったので、6時頃に家を出るのですが、通勤途上に小さな橋があり、朝もやがかかっていたので写真をパチリ。

束の間ではありますが、こんな朝もやの風景に感動を覚えることが、僕の言う小さな楽しみだったりします。

そんな小さな楽しみを搔き集めれば、この苦しみの人生も輝くのではないでしょうか。

仏教では、それを大河の中にある中州にたとえています。

まあ本来の仏教は、神様に頼ることなく自分で幸せになっていく哲学のようなもので、大乗仏教が出てきてから本来の教えはゆがめられてしまいました。

で、別に大乗仏教でも、その人がそれで楽になるのであればいいのです。

日本に伝わているのは、99%が大乗仏教ですから、まあ、偽経ですね。

偽経でも、僕は別に否定はしません。仏陀釈尊が絶対かと言えば、それもまあ怪しいからです。仏陀釈尊と言えども、人間には違いありませんから、完璧ではありません。

まあ、偽経を掲げる日蓮で救われようが、親鸞で救われようが、かまわないのです。その人に合った救いで良いのではないでしょうかね。

だから僕は、今は大川隆法を1ミリも信じてはいませんが、大川隆法の教えですくわれる人がいても構わないわけです。

まあ何はともあれ、自分で自分をハッピーにしていくしか道はないということを言いたかっただけなんですね。

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