介護離職からのおひとり様快適生活

定年まで数年を残して介護離職したのち、父を自宅で看取り、その二年後に母も天国へ。風の時代の上昇気流に乗りながら、日々の暮らしでの気づきと心象風景を綴っています。

介護離職

介護離職者親子の貯蓄を取り崩しながらの生活



これは、まさに僕の親戚の、

子供部屋おじさんにも言えることなのですが、

親の介護が必要になって離職した場合、

その生活の原資は、親の年金。


あるいはまた、親子で、

それぞれの貯金を取り崩しながらの生活。


この生活の不安が尽きないのは、

寿命がわからないから。


この先何年、

こんな生活が続くのか、

という精神的な疲れと、 

生活費が尽きるのではないか、

という金銭的な不安。


以下は、ネット記事からの一部抜粋。


仮に75歳以上の親の介護で離職となると、年齢は50代でしょうか。厚生労働省によると、日本のサラリーマンの平均年収は推定546万円。50代前半で671万円とピークに達します。そんな年収を捨て、親の介護に専念するわけです。一方貯蓄はというと、50代で1,775万円(総務省『家計調査 貯蓄・負債編』より)。ただこれは平均値であり、他調査では600万~700万円程度が中央値とされています。 親の年金だけで子どもの生活費まで賄うのは難しいでしょうから、親子の貯蓄を取り崩しながら、二人三脚で生活していく……それが介護離職者親子のよくあるパターンです。そんな現実に、前述の調査では「仕事を辞めた後の自身の変化」を尋ねています。それによると「負担が増した(「非常に負担が増した」と「負担が増した」の合計)」の回答が、精神面と肉体面で過半数、経済面では7割近くにも達しています。 公益財団法人生命保険文化センターの調査によると、過去3年間に介護経験があるひとが経験した介護期間は、平均4年7ヵ月。なかには介護生活が10年以上にも及ぶ場合もあります。その間、肉体的にも精神的にも経済的にも、大きな負担を背負わなければならないわけです。


うーん、僕も、親戚の子供部屋おじさんを見ていて、

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かなり精神的に追い詰められているのを感じています。


ときどき、介護の手伝いをしたり、

愚痴を聞いてあげることぐらいしか、

僕にはできませんが、

何とか耐え忍びながらも、

その中で、

小さな喜びを見つけてほしいと、

思っています。




介護が長引くと貯蓄がゼロになることもあり得る



僕の場合は、父の在宅介護も長くはなく、

また、その2年後に亡くなった母も、

入院後すぐだったため、

介護が長引くことによる弊害はなかったのですが、

世の中には、3000万円もの貯蓄がありながらも、

介護離職後に使い果たしてしまうケースもあるようです。


以下は、その一例で、

幻冬舎オンラインからの抜粋。


「介護離職」で生活が破綻…3,000万円の貯蓄がゼロに



うーん、 800万円の年収が300万円台に。

そして、預貯金は底をついている、と。

独身者の一人介護の1例ですが、

人生いろいろ、介護もいろいろ。

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僕の親戚の子供部屋おじさんも、

今は、介護の日々。

ときどき、手伝いに行っていますが、

いろいろあるようです。




60歳定年が理にかなっている理由



長らく、日本の会社は、60歳が定年でした。

これは、実は理にかなっていて、

平均的な人間であれば、

だいたい60歳ごろに、

体力的な限界が来るのです。 


ここで言う限界とは、

仕事を、そつなくこなせる体力、という意味。

で、長らく60歳定年が機能していて、

高度経済成長期の日本においては、

退職金をたっぷりもらって、

あとは年金生活、が、

スタンダードでした。


ところが、失われた10年と言われ、

それが、給料が上がらない30年となり、

今や、一億総活躍を謳わねばならぬほどの状態。


60歳くらいで辞められては、

税金も細るしということで、

今は、65歳定年に、と。


若い人から見れば、

そんな爺になるまで働かされるのかと、

暗澹とした気持ちになり、

FIREしようぜ、

という気持ちになるのも、郁子なるかな。


僕の場合は、

ちょうど気力体力が落ちてきたころの57歳に、

介護離職となりましたが、

今思うと、

まさにタイムリーでした。


それほど、

24時間勤務に、

疲れが出始めていたのです。


で、何が言いたいのかというと、

平均的な人間は、

やっぱり60歳くらいで仕事を辞めるのが、

最適解なんじゃね、ということ。


勿論、自分の才覚で、

早期リタイアできる人は、

それに越したことは、ありません。


そういう人は、

この季節であれば、

彼岸花などを愛でながら、

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午後の珈琲を味わう時間もあります。


ただ、みんながみんな、、

早期リタイアできるわけでもなく、

何とか重い体を引き摺りながら、

60歳になってもまだ先は遠く、

65歳の定年を目指す、と。


僕は、この60歳から65歳までが、

何気に、きつい時期
だと、思っています。

だって、体力は落ちているのに、

年金はまだ先
なのですよ。


それも、うんと先ではなく、

5年という、生殺しに近い感じの年数。


体がきついからと60歳で辞めてしまえば、

年金受給までの5年の生活費が、

重くのしかかります。


政府が、

年金を5年も先延ばしにしたことが、

これから定年間近だという人には、

じんわりと、

効いてくるのでは、

ないでしょうか。





親の介護が終わった後に自分の老後資金不足に気づく悲劇



台風が近づいているというので、

昨日は、

今日の分も前倒しで検針業務をしたため、

ほぼ一日仕事となりました。


それなのに今は、

何か空が明るく、

まあ、嵐の前の静けさ、

なのかもしれません。


さて、今日は、介護の話。

僕の場合も、介護離職でしたが、

介護の後に、

気がついたら自分の老後資金がだいぶ少なくなっていた、

ということもあります。


今日は、そんなケースをネットで見たので紹介します。


問題は両親が亡くなった後に気づきます。介護していた兄弟姉妹の老後資金不足です。あるケースでは、両親が亡くなった時には、その娘も60代以降になっており、老後資金に困窮したという事例もありました。介護のため離職して以降、長年働いていなかった人が、その年になって急に働くのは困難極まりありません。

なかには、兄弟姉妹のことが原因で配偶者からクレームが発生し、夫婦問題に発展することも。できたら、両親が健在のうちによく話し合っておく方がよいでしょう。親が遺言書を残してくれれば理想ですし、せめてその兄弟姉妹の老後資金を準備対策しておいてもらわないと、大変なことになります。

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うーん、 僕自身の親の介護は、すでに終わっていますが、

今、親戚の介護の手伝いをしていて思うのは、

子供部屋おじさんの増加と、一人介護。


僕もそうでしたが、

配偶者のいない中年男が一人で介護を担うと、

煮詰まる場合も、あります。


僕の介護は、50代で終わりましたが、

世の中には、老々介護もあります。


親の介護も大切ですが、

親亡き後、

自分も年老いてくるわけで、

そのときに、

老後資金が不足していたら、

困るのは、

自分
です。


その辺のことも勘案しながら、

同時に、

後悔のない介護ができるのが、



一番いいですね。



新年早々暗い話ですいません

介護離職をして、もうすぐ1年になります。介護離職するまで働いていた会社はビジネスホテルで、ローテイション勤務でしたから、元旦から仕事などということもありました。

そのため、通常の会社勤めのように、年末年始の休暇というものはなく、お正月気分を感じることは少ない環境でした。今は、介護離職しているため、さらに、そうした気分から遠くなり、淡々と日常が過ぎていきます。

年末、二つの会社に職を求めましたが、結果から言うと、仕事には結び付きませんでした。一つは面接で、体よく断られ、もう一つは電話した時点でアウトでした。

友人の花火師で投資家のSさんからも、仕事の紹介をもらいましたが、日程が合わず、その話もお断りしました。

僕の場合、母の介助が優先となります。要介護度5だった父に比べれば、介護というほどの世話は必要ありませんが、介助は必要です。そのため、週に1日、多くても週に二日の仕事がいっぱいいっぱいです。

母と話し合い、介助を優先することになりました。お金は何とかなる、という根拠のない自信が母にはあります。まあ、その点は僕も同じです。

ネットを見ていたら、とても気になる記事を目にしました。

 1日午後10時25分ごろ、東京都港区新橋の路上で、風俗店案内所従業員の男性(54)が、2人組の男とトラブルになり、胸ぐらをつかまれた後に意識を失い、搬送先の病院で死亡した事件で、警視庁は2日、愛宕署に自首してきた2人のうち江東区に住む会社員の男(31)を暴行容疑で逮捕した。 同署によると、2人は案内所近くのゴミ箱を蹴ったと男性に注意され、トラブルになった。男性は心臓に持病があったといい、同署は詳しい死因を調べている。(ニュース記事より)

死んだ男性は気の毒としか言いようがありませんが、僕が同情したのは殺したとされる31歳の会社員男性です。ことの詳細はわかりませんが、胸ぐらをつかんだだけだとしたら、そのくらいのことはよくとは言いませんが、あります。

僕も結構短気なほうで、電車の中で喧嘩したこともあります。まあ、傷害事件にはなりませんでしたが、そうした危険はありました。

新橋は、サラリーマンの街です。飲み屋もたくさんあります。酒を飲み、ごみ箱を蹴るくらいのことはあります。そこで注意され、反射的に胸ぐらをつかむこともあり得ます。胸ぐらをつかんだ相手が、心臓病であったために、ショック死したのだとしたら、不謹慎かもしれませんが、僕は、逮捕された31歳の会社員のほうに同情します。

そうとうな暴行を受けてもしぶとく死なない人間もいれば、ちょっとしたことで簡単に死んでしまう人間もいます。ウサギなどは絶えずびくびくしているため、大声を聴いただけでショック死することもあると聞いたこともあります。

僕は、そうびくびくしている人間ではありませんが、加齢とともに、いろいろな免疫が落ちているのか、悲惨な話のドラマや映画は、ストレスを感じて見ることができません。

たとえ胸ぐらをつかんだだけだとしても、暴行には違いありません。それで相手が死んでしまったのですから、暴行致死ということになります。

人生とはなんと不条理なのでしょう。殺したほうの31歳も不運でしたが、殺されたほうの54歳も不運でした。

年齢的には、僕は殺されたほうの方に近いのですが、どうしても31歳のほうに同情してしまうのですね。酒を飲んで小競り合いなんて、たいていの男が経験しているでしょう。詳細がわからずここまで言及していいのかわかりませんが、31歳のほうに、奥さんやまだ小さい子供でもいたら、さらに悲しみは広がります。

これを他山の石とせず、誰にでも目も前に不条理が転がっていることを肝に銘じるべきだと思いました。

年収1200万円からの生活保護への道

 「介護離職」と生活保護を経験した高野昭博さん(61歳)のことが、ネットの記事に出ていたので読んでみましたが、自分との共通点が多いため、身につまされました。

 実名を晒すというのは、勇気があることだと思います。

 もう、吹っ切れている、ということなのだと思います。

 高野さんは「介護離職」をきっかけとして、生活困窮状態に陥り、住まいを失い、路上生活者となったそうです。

 その後、生活保護を経験し、現在は生活困窮者に対する相談業務で生計を立てているとのことでしたが、僕と同じように、一人っ子で、両親の介護を、一人で背負わなければならなかったようです。

 住まいも同じ埼玉県で、年齢も近く、ともに一人っ子で独身、さらには、高野さんも高卒だそうで、その学歴で、年収が1200万円まで行ったというのは、よほど、実力があったのだと思います。

 様々な点で、共通点の多い、高野さんと僕ですが、全く違う点もありました。

 それは、以下の記事を読めばわかります。

 週6日の勤務の様子を語る高野さんからは、「働かないと生きられないから働いている」という悲壮さは全く感じられない。相談業務は時に苦労も多いものだが、苦労について話しながらも、高野さんは「動いてないと、おかしくなっちゃう」と楽しそうである。(記事よりの引用)

 早期リタイアしたくて仕方がなかった僕とは、この点は、だいぶ違います。

 「過労死、多かったですよ。食事中に倒れてそのまま死んだ同僚もいました。通勤の帰りがけ、ふらついていてホームから転落して電車に轢かれて死んだ人も、交通事故に遭って死んだ人も。もともと血圧が高かった人がストレスの高い仕事のために外出して、任務遂行直後に倒れて亡くなったこともあります」(高野さん)

 これだけ働いていて、まだ働きたいという精神はあっぱれというか、生命力が強いのでしょう。

 年収1200万円から、介護離職、生活保護、路上生活、そして就労自立。

 高野さん、お互い、無理せずにやっていきましょう。

 

衰えの自覚と、早期リタイア

 要介護度5の、父の介護のために、会社を辞めたとき、僕がほっとした気持ちになったことは、以前にも書きました。

 世間では、介護離職が問題になっていますし、介護離職を、マイナスにとらえる傾向が強いのですが、僕の場合は、逆でした。

 僕にとって、介護離職は、限界を感じていた会社員生活からの、解放だったのです。

 それほど、僕は、仕事に疲れ切っていました。

 もう少し厳密に言えば、仕事と、通勤にです。

 睡眠を犠牲にした24時間の勤務、そして、往復4時間に及ぶ通勤時間。

 それが特に苦痛に感じられるようになったのは、去年からでした。

 今、僕は57歳ですが、衰えをはっきりと自覚したのが、56歳のときで、仕事でも、小さなミスをおかすようになりました。

 ボイラーなどの火器を扱うだけでなく、高所での作業もある仕事なので、ちょっとした不注意が、命取りになることもあります。

 もしかしたら大きな事故を起こすのではないか、そんな不安を感じるようになったのも、56歳を過ぎたあたりからです。

 老いには、個人差があると思います。

 僕の場合は、56歳が、曲がり角でした。

 そうした矢先、父を自宅で介護することになり、会社を辞めたのですが、僕の本心は、「仕事から解放されて、ほっとしていた」のです。

 介護は大変だと、言われますが、ありがたいことに、父の場合は、オムツ交換と、痰の吸引、胃瘻からの栄養注入という、三つのポイントさえ、しっかりとやっていれば、おおむね、問題はありませんでした。

 頭がしっかりしていたことが、何よりも助かりました。

 痴呆で、わけのわからないことを言われたり、ウロウロされるほうが、よほど、大変なのではないかと思います。

 会社員生活を続けることに限界を感じていたちょうどそのときに、父の介護が必要になったのは、僕にとっては、むしろ、恵みでした。

 何はともあれ、無事故で、老朽ホテルの、設備管理の仕事を卒業できたことは、よかったと思います。老いと衰えを自覚し、不安を感じていたときだけに、より強く、そのように思うのかもしれません。

介護離職後に、考えてみたこと

 早期リタイアを計画し、実行に移せる人は、計画性のある人だと思います。
 僕も、定年まで数年を残しての早期リタイアなのですが、それを目指して準備をしてたわけではないので、、最初は戸惑いもありました。

 特に、お金のことですね。
 それまでの給与所得が、ゼロになるわけですからね。

 ただ、しみじみと考えてみたのですが、仕事は、もちろん生活のためではありますが、会社に奉仕するということです。通勤時間も入れると、かなりの時間を、会社という他者のために費やしていることになります。

 今の僕は介護離職し、大半の時間を、両親と自分のために費やしています。

 これは、考え方を変えれば、かなり贅沢なことかもしれません。
 そう考えることで、なんだか、豊かな気持ちになれます。
 どうせ一度の人生です。
 人は、いつ死ぬのかもわかりません。
 そう考えると、人生の持ち時間を何に使うかこそが、最も大切な、考えるべきことなのではないでしょうか。

 先ほども言いましたが、今の僕は、大半の時間を両親と自分のために使っています。年老いた両親の生活リズムに合わせるうちに、僕もずいぶん、会社員時代に比べ、ゆったりとした生活になってきました。
 ゆったりとしたリズムは、体にもいいように感じます。
 計画的早期リタイアではなく、結果的早期リタイアの僕ですが、この、ゆったりとした生活は、とても気に入っています。
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