介護離職からのおひとり様快適生活

定年まで数年を残して介護離職したのち、父を自宅で看取り、その二年後に母も天国へ。風の時代の上昇気流に乗りながら、日々の暮らしでの気づきと心象風景を綴っています。

主イエス

今日は変な話をします



これは変な話であり、

人気のない話だと思うのですが、

10人に一人くらいの人には、

とても役立つかもしれません。


僕は宗教遍歴が多く、

宗教ジプシーのように、

一部の人からは思われていたりします。


他人からは、

節操がないように見えても、

本人の中では、

一貫して求めるものがあり、

それに従って生きてきました。


IMG_8347


「パワーかフォースか」という本があるのですが、

人間の意識レベルを、

かなり明確にしているという点が、

画期的です。


o0521040915428245214

o1080076415428245219

ただ、言葉には限界があり、

その単語の持つイメージは、

人によって異なったり、

誤解されて取られたりする場合があるし、

文化や言語の壁もあります。


まあ、その辺の限界は横において、

ざっくりとでも、

自分の意識が今どこにあるのかを探る、

参考にはなるかもしれません。


感覚的な話をすると、

意固地になって凝り固まっている状態が、

下層領域で、

ゆったりと穏やかに広がっている状態が、

上層領域。


僕は統一教会を二十代半ばで逃げ出した後、

8年ほどの迷いと苦しみの末、

35歳の時に幸福の科学に入信し、

18年後の53歳の時に退会、

そして今に至っています。


統一教会では、

全人類が堕落人間であるという、

堕落論が教義の根本。


つまり罪悪感を、

徹底的に植え付けられます。


罪悪感が、

いかに低い意識レベルであるかは、

図を見れば一目瞭然。


これは、

原罪を説く、

キリスト教にも言えます。


で、幸福の科学の教えは、

人間はみな仏の子だよ、

という教えなので、

一気に自己認識が上がるわけです。


まあ、実生活では、

そう簡単ではなく、

僕自身、

8年間もの闇の時代を経なければ、

そのような段階には、

たどり着けませんでした。


幸福の科学と出合ったことで、

真っ黒だった自己認識が洗い流され、

内側から強い意欲が沸き上がってきたのです。


このあたりが、僕の35歳当時の意識。


この調子で話していると、

べらぼうに長くなるので、

まとめに入ります。


まず言いますと、

意識のマップ2020

この図が必ずしも絶対的な尺度ではないのですが、

今現時点の、

自分の意識を探すツールには、

なるかもしれません。


風の時代の話をするときに、

僕はよく波動の話をしますが、

波動を上げるということは、

こうした図の、

上のほうの意識状態に、

持っていくということ。


今年からの3年間は、

土の時代の残り火が消え、

風の時代の上昇と安定化が強くなる流れ。


自己を見つめる人には、

宇宙的意識とつながる道が開かれ、

外側の事象に振り回される人には、

ますます行き詰まるような困難が、

襲い掛かってくることでしょう。


このことを、

主イエスは、

以下のように語っています。



「持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。 だから、彼らにはたとえを用いて話すのだ。見ても見ず、聞いても聞かず、理解できないからである」


人工的なキリスト教解釈に毒された重い頭で、

どれほど思索しても、

神父も牧師も、

これの本当の意味を理解できません。


むしろ異邦人、

あるいは良きサマリア人である、

門外漢のほうが、

素直な感覚で理解できたりします。


このあたりの皮肉な現象は、

いくつか前の記事、

キングダムのその先の無常、

でも語ったのですが、

神様というのは芸術家だと思いますね。


さて、話を戻すと、

外側の事象に振り回される人というのは、

一喜一憂する人と、

言い換えることもできます。


そのような人には、

大変な出来事が、

次々に襲い掛かってくるのが、

風の時代。


幕末の侍のように、

時代に逆行しているのですから、

時間とともに苦しくなっていくのは必定。


僕が新選組よりも、

坂本龍馬や高杉晋作のほうを、

はるかに高く評価するのも、

彼らは時代が見えていたから。


当時は、

日本一国の一大事でしたが、

今は地球規模どころか、

宇宙規模の時代の転換点。


なので、

外側にのみ目が向き、

一喜一憂している人は、

ますます苦しくなるのですね。


そうした困難など、

どこ吹く風で生きるには、

波動を上げて、

タイムラインを変えてしまうことです。


例えば、

デパートの上の階に行くには、

エレベーターなり、

エスカレーターなりを使うか、

階段を自分の足で歩いて上がるように、

各人がそれぞれの方法で、

上の階に行きますね。


透明なデパート-1

4階に僕がいるとしたら、

5階に上がれば、

見える世界も変わるということ。


上のフロアに行けば行くほど、

意識は軽くなり、

悩みは消えていきます。


軽やかに、

滑らかに、

楽しく生きる方法を、

過去記事でも、

たくさん書いていますので、

興味のある方は、

覗いてみることをお勧めします。


今年からの3年間は、

特に重要な日々なので、

悔いなく生き切ることを、

僕自身、

すでに決めています。




ブログランキング・にほんブログ村へ


主イエスの御名によって原爆は落とされた



8月は、二度、原爆を落とされた月。

原爆投下直前、

アメリカ軍の
従軍チャプレンであった、

ウィリアム・ダウニー大尉が、

テニアン基地で、

原爆を搭載したB29「エノラ・ゲイ」の、

乗組員たちに向けて捧げた祈りは、以下のもの。


全能の父なる神よ、あなたを愛する者の祈りをお聞きくださる神よ、
わたしたちはあなたが、天の高さも恐れずに敵との戦いを続ける者たちとともにいてくださるように祈ります。

彼らが命じられた飛行任務を行うとき、彼らをお守りくださるように祈ります。
彼らも、わたしたちと同じく、あなたのお力を知りますように。
そしてあなたのお力を身にまとい、彼らが戦争を早く終わらせることができますように。

戦争の終りが早くきますように、そしてもう一度地に平和が訪れますように、あなたに祈ります。
あなたのご加護によって、今夜飛行する兵士たちが無事にわたしたちのところへ帰ってきますように。

わたしたちはあなたを信じ、今もまたこれから先も永遠にあなたのご加護を受けていることを知って前へ進みます。
イエス・キリストの御名によって、アーメン。


以下は、日本ルーテル福音教会の刊行物からの引用。

原爆を積んだ爆撃機は、戦争を終結させる平和の使者として、従軍チャプレンによって祝福祈祷を受けて送り出されていきました。悲しいことに、広島に飛び立ったエノラ・ゲイを祝福したのはルーテル教会の牧師。長崎の場合はカトリックの神父でした。浦上天主堂の真上で原爆が炸裂した時、礼拝堂では罪の懺悔告白の最中でした。


そして、 以下は、カトリック教会の、説教からの引用。

戦艦アウグスタでアメリカに向かっていたハリー・トゥルーマン大統領に、広島への原爆投下が「成功」したことが告げられます。するとトゥルーマン大統領は、「これは歴史上、最も偉大なことだ!」と歓喜の声を上げました。人類が歴史上初めて目にした原爆の巨大な光は、3日後の8月9日に、日本で最も多くのカトリック信者が暮らす街、長崎で再び輝きます。浦上天主堂がある長崎に原爆を落としたのも、アイルランド出身のカトリック信者でした。「バプテスト教会の偉大な信徒」と評されたハリー・トゥルーマン大統領が、「歴史上、最も偉大なこと」と讃えた原爆の栄光と、変容貌のキリストの栄光の違いを識別することを学ばなければ、私たちは「平和を作る者」となることはできません。


この教会の説教によれば、

ハリー・トゥルーマン大統領は偉大な信徒だそうですが、

残念ながら大統領は、

マタイ5:44(新共同訳)
「しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」

については、ご存じないようです。


いや、
偉大な信徒だそうですから、

読んだことはあるのでしょうが、

単なる知識にとどまっていたのかもしれません。



ハリー・トゥルーマン大統領には、

以下の主イエスの言葉を送りたいと思います。

マタイ7:21–23(1955年口語訳)
「わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。
その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。 また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。
そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。 不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。」

IMG_9041


以下は、
仏教的観点からの読み解きになります。

クリスチャンの方も、参考にしていただけたら、幸いです。

1. 言葉(名)と実践(行)の乖離

イエスは「主よ、主よ」と呼ぶだけでは天国に入れないと言います。毎週日曜日に教会に行き、使徒信条を読み上げても、天国に入れる保証はありません。

日々の思いと行いこそが大切であり、信徒の義務だからと言って、礼拝に参加し、賛美歌を歌い、使徒信条を唱和しても、救われたような気分になるだけのこと。

これは仏教でいう「口先だけの信仰」や「形式的な修行」に通じます。

  • 仏教では、言葉や儀式だけでは悟りに至らないとされます。
  • 例えば『法華経』では、真の修行者は「法を聞いて実践する者」であり、単なる読誦や礼拝だけでは不十分とされます。
  • 禅では「不立文字(ふりゅうもんじ)」という言葉があり、言葉に頼らず、直接体験によって悟りを得ることが重視されます。

2. 「我執」への警告

イエスが「あなたがたを知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ」と言う場面は、自我への執着に対する警告とも読めます。

  • 仏教では「我執(がしゅう)」――つまり「自分が何かを成し遂げた」「自分は特別だ」という思い――が煩悩の根源とされます。
  • 聖句の中で「わたしたちはあなたの名によって預言し、悪霊を追い出し…」と誇る者たちは、まさに自分の行為に執着している存在です。
  • 仏教では、こうした執着は「空(くう)」の理解によって乗り越えられると、説かれています。

    ここで僕自身の恥をさらすと、
    「自分は特別だ」という思いが究極の形で現れたカルト教祖を神と仰ぎ、その高等な教えを理解し、この団体に集っている自分も選ばれた人間なのだと思っていました。教祖も、そして僕自身も、まさに誇る者たち、であり、自分の行為に執着している存在、でした。

3. 「御心を行う者」=「法に従う者」

イエスが「天の父の御心を行う者だけが天国に入る」と言う部分は、仏教でいう「法(ダルマ)に従う者」に通じます。

  • 仏教では「法に従って生きる」ことが悟りへの道です。
  • これは戒律や教義に従うというよりも、宇宙の真理(縁起・空・中道)に沿って生きるという意味です。
  • イエスの「御心」も、神の真理に沿った生き方を意味していると解釈できます。

    「戒律や教義に従うこと」に熱心なのはパリサイ人でした。

    偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは、天国を閉ざして人々をはいらせない。自分もはいらないし、はいろうとする人をはいらせもしない」(マタイ23:13~36)

    なぜ、イエスは再三にわたって、律法学者を糾弾したのでしょう。また、なぜイエスの弟子には、漁師や売春婦といった下層階級が多かったのでしょう。人は簡単に形骸化していきます。これさえやっておけば大丈夫なのだ、と。

    イエスの素朴な教えは、教義と戒律に凝り固まったエリート層よりも、その日を生きるのに精いっぱいだった人たちにこそ、響いたのではないでしょうか。

本当のキリスト教仏教に共通するのは、

外面的な信仰や行為ではなく、内面的な真実と実践こそが救い(悟り)につながる

ということですね。


僕は、

アメリカ軍の従軍チャプレンを、

裁く気はありません。


一人は牧師であり、

もう一人は神父でしたが、

敬虔なキリスト教徒だったのでしょう。


僕も彼らのような教育を受け、

彼らのような信仰を持ち、

彼らのような立場にあったら、

同じようにしたかもしれません。


「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」(ヨハネ 8:7、新共同訳)

この場面は、

姦淫の罪で捕らえられた女性を前に、

律法に従って石打ちにすべきだと迫る人々に対して、

イエスが語った言葉です。


人類の最初の被爆地となった広島のことを思い、

8月6日から今朝までの時間、

厳かな気持ちで、

過ごしていました。


唯一の被爆国、

日の本の国に住む邦民(くにたみ)の一人として、

長崎を、

最後の被爆地にしなければならないと、

強く思っています。




ブログランキング・にほんブログ村へ



晩年は金銭苦から痩せ細っていきました



また仕事を辞めたのかと、

親からも友人たちからも言われ続けた僕は、

そんなことでは将来大変なことになるぞ、

とも言われたものです。


遠い将来の不安よりも、

今生きている時間こそが苦しくて、

職を転々とした二十代でしたが、

今は人並みに年金などをもらい、

つつがなく生きています。


先月、川越の氷川神社に行ったとき、

凄い人出でびっくり。

外人さんも数多くいましたが、

人が映らないように写真を撮るのは、

なかなかに気を使います。

IMG_8417

IMG_8420

IMG_8431

さて、今回の記事は、

おそろしく長くなるので、

流し読みをしてもらうか、

サクッと切り上げて、

あなたの日常に戻ることをおすすめします。


それと言うのも、

これから紹介する内容は、

僕とAIとのやり取りだからです。

IMG20250413140653

ラー文書について、教えてください。

ラー文書「一なるものの法則」は、地球外生命体との交信を試みた結果を記録した書籍シリーズです。著者はドン・エルキンズ、カーラ・ルカート、ジェームズ・マッカーティで、1981年に始まった交信セッションを基にしています このシリーズでは、社会的記憶複合体「ラー」との対話を通じて、宇宙法則や霊的進化についての洞察が語られています。

ラーは「一なるものの法則」に基づき、調和や統合性を追求する存在であり、地球人類の霊的進化を支援する目的で情報を提供しているとされています この文書は形而上学的な内容を含み、哲学的な探求や霊的な成長を目指す人々に影響を与えています



ラー文書の中での具体的な教えは何ですか?

ラー文書の中で語られる具体的な教えは、霊的成長や宇宙の法則について深い洞察を提供しています。主なテーマとしては、以下のようなものがあります:

  1. 一なるものの法則: 全ての存在は「一つ」であり、全てのものは宇宙全体の一部であるとされています。この「一体性」の理解が、霊的進化の鍵とされています。

  2. 自由意志の尊重: 全ての存在は自由意志を持っており、その選択が霊的な道を形作ります。他者の自由意志を侵害しないことが重要だとされています。

  3. ポラリティの選択: 人々は「他者奉仕」と「自己奉仕」という2つの極性(ポラリティ)の間で選択を行いながら進化するとされています。他者を愛し、奉仕する道が推奨されていますが、自己奉仕の道も存在しています。

  4. 輪廻とカルマ: 魂は複数回の生を経験しながら学び成長していくとされ、過去の行動が現在の経験や未来に影響を与えるというカルマの概念が含まれています。

  5. 霊的な目覚めのプロセス: 瞑想や内省を通じて、自己や宇宙の本質を理解することが奨励されています。この過程で、人は自分自身の内なる光と繋がり、より高い次元へと進化する準備を整えるとされています。

これらの教えは哲学的かつ形而上学的で、具体的な日常の実践方法というよりは、霊的探求者のための指針となることを意図しているようです。特に、一体性や愛、そして調和の追求に重きが置かれています。


ラー文書の教えは日常生活にどう役立つの?

ラー文書の教えは、日常生活に役立つ洞察を提供し、自己成長や精神的な調和を促進することができます。具体的には次のような方法で応用できます:

  1. 感謝と愛の実践: 一なるものの法則に基づき、すべての人や状況に感謝を感じることが重要です。これは、人間関係を改善し、心の平穏を育む効果があります。

  2. ポジティブな選択: ポラリティの教えを活用し、「他者奉仕」の道を選ぶことで、より意義深い行動を目指すことができます。小さな親切や助け合いが、社会的調和を促進します。

  3. 瞑想と内省: 自己理解を深めるために瞑想を行い、霊的目覚めを支援します。忙しい日常の中で、自分自身と向き合う静かな時間を持つことは、ストレス軽減にも役立ちます。

  4. 自由意志の尊重: 自分自身や他者の選択を尊重する姿勢を持つことで、健康的なコミュニケーションを築き、対立を減らすことができます。

  5. 学びの意識: 魂の進化には学びが必要だという考えを受け入れることで、困難な状況を「学びの機会」として捉え、前向きに対応する力を養います。

これらの教えを日常に取り入れることで、精神的な成長と、より調和の取れた生活を実現する助けとなるでしょう。


具体的な実践例を教えてもらえますか?

ラー文書の教えを日常で実践するための具体例をいくつかご紹介します。これらは身近な行動として取り入れやすいものです:

  1. 感謝のリストを作る: 夜や朝の時間を使い、その日に感謝できることを5つ書き出してみましょう。例えば、「家族の笑顔」や「心地良い散歩」などです。これにより、一なるものの法則を意識し、全ての状況に感謝を抱く姿勢が育まれます。

  2. 奉仕の精神を活かした行動: 他者奉仕のポラリティを実践するために、小さな親切を心がけます。例えば、通勤中に席を譲る、同僚を助ける、または誰かに温かい言葉をかけるといった行動です。

  3. 瞑想のルーチンを作る: 一日の中で5~10分、静かな場所で瞑想の時間を設けましょう。瞑想中に「一体性」を意識し、自分自身や宇宙との繋がりを感じることが目的です。これにより、内なる平穏を見つける手助けとなります。

  4. 選択の意識化: 自分が日常生活で行う選択について「これは自由意志を尊重しているか」と考える癖をつけましょう。他者の意志を尊重しつつ、自分の心にも正直でいる選択をすることで、より調和的な関係を築けます。

  5. 学びの姿勢を取り入れる: 困難な状況に直面した際、「これは私に何を教えているのだろう?」と問いかけてみましょう。この視点を持つことで、問題を単なる障害ではなく成長の機会と捉えやすくなります。

これらのアイデアは、小さな一歩から始めることができ、日常生活の中で精神的成長を促す効果があります。


ラー文書では、人間の死後の行き先については、どのように書かれていますか。

ラー文書によると、人間の死後の行き先は、魂の進化の段階や選択によって異なるとされています。魂は「密度」と呼ばれる進化の段階を通じて成長し、死後には次の適切な密度へと移行すると説明されています。このプロセスは、魂が学びを続け、宇宙の法則に従って進化するためのものです


その「密度」と、キリスト教などの説く天国や地獄の違いは何ですか。

ラー文書の「密度」と、キリスト教などの説く天国や地獄には、概念的な違いがあります。

  • 密度(ラー文書) ラー文書における「密度」は、魂の進化の段階を示すもので、物質的な世界からより高次の霊的な存在へと変化するプロセスとされています。魂は学びを続けることで、より高い密度へ移行し、最終的には「一なるもの」との統合へ向かうとされます。この考えでは、死後の行き先は個人の選択や霊的な成長によって決まり、固定された「良い場所」や「悪い場所」があるわけではありません。

  • 天国・地獄(キリスト教) キリスト教では、死後の行き先は個人の信仰や行動によって決定されるとされ、「天国」=神と共に永遠の幸福を得る場所、「地獄」=罰を受ける場所として描かれることが多いです。キリスト教の伝統的な考えでは、個人の行動や信仰の結果として、神の裁きによって行き先が決まるとされています。

ラー文書は、より宇宙的な視点から魂の成長を捉え、一方キリスト教は宗教的な価値観と神の意志に基づくものとして語られる点が、大きな違いと言えるでしょう。



霊的進化の段階(密度)の第一密度(物質の基本形態)から第七密度(完全な統一状態)までの各密度について、詳しく教えてください。

ラー文書における「密度」は、霊的進化の段階を示す概念であり、魂が成長しながらより高次の存在へと移行するプロセスを表しています。

  • 第一密度(物質の基本形態)

    • 物質的な存在の段階であり、鉱物、元素、水、火、空気などの基本的な物質が含まれる。

    • 生命の発生前の状態であり、意識の発展はほぼない。

  • 第二密度(動植物の意識)

    • 植物や動物の段階であり、成長や生存の本能を持つ。

    • 自己認識はまだなく、環境に適応することが主な目的。

  • 第三密度(自己認識と選択)

    • 人間の意識の段階であり、自己認識と自由意志を持つ。

    • 霊的進化のために「正の極性(愛・奉仕)」か「負の極性(自己中心)」を選択する。

  • 第四密度(愛と理解)

    • 無条件の愛と理解を深める段階。

    • 社会的記憶複合体が形成され、個々の意識が統合される。

      1. 第五密度(知恵と光)

        • 知恵と光の探求が中心となる。

        • 物理的な身体を持たず、より自由な存在へと移行。

      2. 第六密度(統合とバランス)

        • 愛と知恵のバランスを取る段階。

        • ラー自身がこの密度に属しているとされる。

      3. 第七密度(完全な統一状態)

        • すべての経験が統合され、「一なるもの」と完全に融合する。

        • 時間や空間を超越し、創造主と一体化する。


      この密度の概念は、魂の進化を段階的に説明するものであり、ラー文書の中心的な思想の一つです。


  • ラー文書では、サタンや堕天使などの記述はありますか。

    ラー文書(The Law of One)は、スピリチュアルな哲学を扱うチャネリング資料であり、宇宙の法則や意識の進化について語られています。しかし、キリスト教的な「サタン」や「堕天使」といった概念については、伝統的な宗教の視点とは異なる解釈がなされているようです。

    ラー文書では、善悪の二元論よりも「一なるもの(The One)」の視点から、存在の進化や意識の選択について語られます。ネガティブな存在や「負の極性」の概念は登場しますが、それがキリスト教的なサタンや堕天使と直接結びつくわけではありません。


    ネガティブな存在や「負の極性」の概念について、詳しく教えてください。

    ラー文書では、宇宙の進化において「正の極性(ポジティブ)」と「負の極性(ネガティブ)」の二つの道があるとされています。正の極性は「他者への奉仕」、負の極性は「自己への奉仕」に基づいています。

    負の極性の存在は、自己の力を強化し、他者を支配することで進化すると考えられています。これは、伝統的な善悪の概念とは異なり、宇宙のバランスの一部として機能するものです。負の極性の存在は、強い意志と自己中心的な選択を通じて高次の意識へと進化することが可能ですが、最終的には「一なるもの」に統合されるとされています。



    ラー文書によれば、仏陀やイエスも、何らかの指導を受けていたのでしょうか。

    ラー文書によると、仏陀やイエスといった高次の存在たちは、それぞれの時代において「霊的な使命」を果たすために行動し、より高次の意識からの支援や指導を受けていた可能性が示唆されています。この文書では、イエスや仏陀が「他者奉仕」の道を選び、全体の霊的進化を促すための役割を果たしたとされています。

    特にイエスについては、彼のメッセージが「無条件の愛」と「一体性」の重要性を説いており、これらはラー文書の教えと共鳴するものがあります。また、仏陀も「執着を手放すこと」や「内なる悟り」に焦点を当てた教えを広めましたが、これも一体性と霊的成長の追求という観点で一致しています。

    さらに、ラー文書によれば、これらの偉大な教師たちは多次元的な存在からのサポートを受け、宇宙の普遍的な法則を地球に伝える使命を果たしていたと考えられています。ただし、ラー文書の記述は形而上学的であり、歴史的な事実として捉えるのではなく、霊的な観点からの象徴的な解釈と見るべきでしょう。



    ラー文書では、アセンションについては、どのように説かれていますか。

    ラー文書では、アセンションは「収穫の時」(ハーベスト)という概念で説明されています。これは、魂が霊的進化の段階を経て、次の密度(次元)へ移行するプロセスを指します。具体的には以下のように説かれています:

    1. 密度の進化: 現在の地球人類は「第三密度」にあり、これは自我意識と選択の学びの段階とされています。アセンションは「第四密度」への移行を意味し、これは愛と調和を基盤とした存在の状態です。

    2. 収穫の条件: アセンションに至るためには、魂が十分な霊的成長を遂げ、他者奉仕の道を選ぶことが重要とされています。ラー文書では、51%以上の他者奉仕の意識を持つことが収穫に値する基準とされています。

    3. 自由意志の尊重: アセンションは強制されるものではなく、各個人の自由意志に基づいて選択されるべきものとされています。

    4. 地球の役割: 地球は現在、第三密度から第四密度への移行期にあり、この過程で多くの魂が霊的成長の機会を得ているとされています。

    ラー文書では、アセンションは単なる物理的な現象ではなく、魂の進化と宇宙全体の調和に寄与する重要なプロセスとして描かれています。この教えは、個々の霊的探求を促し、愛と調和を基盤とした生き方を奨励するものです。


    ラー文書において、ニコラ・テスラはどのように評価されていますか。

    ラー文書では、ニコラ・テスラは「惑星連合」から情報を受け取った存在として言及されています。彼は非常にポジティブで天使的な性質を持ち、人類の生活を向上させるために尽力したとされています。

    ラーによれば、テスラは地球の無限のエネルギーを利用して、光源や動力源を提供し、人々を「暗闇から解き放つ」ことを目指していました。しかし、彼の時代の社会的な制約や波動のゆがみにより、彼の使命は完全には達成されなかったとされています。

    ラー文書では、テスラの取り組みが成功していれば、人類はエネルギーの自由を得て、より多くの時間を自己探求や霊的成長に費やすことができたと述べられています。

    テスラのビジョンとラー文書の教えには、調和と進化を目指す共通のテーマが見られますね。


    ラー文書では、宇宙人については、どのように語られていますか。

    ラー文書では、宇宙人(地球外生命体)について非常に詳細かつ哲学的な視点が語られています。この文書の中心となるテーマのひとつが、宇宙の他の知的存在とのつながりです。主な内容をまとめると以下のようになります:

    宇宙人の存在と役割

    • 宇宙の他の文明: ラー文書では、地球は宇宙の中の「第三密度の惑星」であり、他の密度に存在する文明や存在が地球に影響を与えているとされています。

    • 地球への訪問者: 地球外生命体は、人類の霊的進化を助けるために訪問していると述べられています。一部は物理的に存在する宇宙船を通じて来訪する者であり、一部は霊的な次元を通じて接触するとされています。

      ラー自身の主張

      ラー文書は、ラーという地球外知性体の集合からチャネリングされた情報であるとされています。ラーは「社会的記憶複合体」と呼ばれる集合意識の存在であり、主に霊的進化や宇宙的法則について語っています。ラーによれば、彼らの使命は「一なる法則」を伝えることであり、それがすべての存在の根本的な統一性を示しているというものです。

      惑星間のカルマと輪廻

      ラー文書では、地球外生命体が地球上の文明や個人に影響を与える際、宇宙的なカルマや輪廻の法則が働くとされています。一部の宇宙人は、霊的に進化した存在として人類を助けようとし、一部は自分たちの課題解決のために関与しているとされています。

      「援助」と「干渉」
      地球外生命体が地球に与える影響について、援助と干渉の区別が重要視されています。援助は霊的進化を促す目的で行われますが、干渉は自由意志を侵害するものとして否定的に語られています。



    第六密度の社会的記憶複合体とは何かを、教えてください。

    ラー文書によれば、第六密度の社会的記憶複合体とは、個々の意識が統合され、集合的な知識と経験を共有する高度な霊的存在の集合体を指します。この段階では、個々のアイデンティティは保たれつつも、全体としての調和と一体性が強調されます。

    具体的には以下のような特徴があります:

    1. 統合された意識: 個々の存在が互いに完全に調和し、全ての記憶や知識が共有されます。これにより、全体としての知恵と愛が深まります。

    2. 奉仕の精神: 第六密度の存在は、他者への奉仕を通じて進化を続けます。彼らは、より低い密度の存在を支援し、宇宙全体の調和を促進する役割を果たします。

    3. 学びと教えのバランス: 第六密度では、学ぶことと教えることのバランスが重要とされます。これにより、自己の進化と他者への貢献が同時に達成されます。

    4. 一なるものの法則の理解: この密度の存在は、「全ては一つである」という一なるものの法則を深く理解し、それを実践しています。

    ラー自身も第六密度の社会的記憶複合体であり、地球の霊的進化を支援するために情報を提供しているとされています。この概念は、個々の成長だけでなく、全体としての進化を重視する哲学的な視点を提供しています。


    ラー文書の他のテーマについて教えてください。

    ラー文書は多岐にわたるテーマを扱っており、霊性や哲学的洞察、人類の進化について深い視点を提供しています。以下に、その主要なテーマのいくつかをご紹介します:

    1. 「一なる法則」:すべての存在の一体性

    ラー文書の中心思想は「一なる法則」であり、それはすべての生命と存在が根本的に一つであるという宇宙的な原理を示しています。この概念は、個々の霊的探求や人類全体の進化の基盤となる考え方として語られています。

    2. 霊的進化の段階(密度)

    ラー文書では、霊的進化を「密度」という段階に分けて説明しています。この密度は、意識と霊的成熟のレベルを示し、第一密度(物質の基本形態)から第七密度(完全な統一状態)まで続きます。地球は現在第三密度にあり、その主な課題は「自己認識」と「自由意志の学び」です。

    3. 自由意志の重要性

    自由意志は宇宙的法則の中で最も基本的な原則の一つとされています。ラー文書では、霊的成長や学びは自由意志を通じて行われるべきであり、いかなる形であれ強制や干渉は進化を妨げると述べられています。

    4. カルマと輪廻の法則

    ラー文書は、カルマと輪廻の法則についても言及しており、これらの法則が霊的進化のプロセスを促進する役割を果たしているとしています。過去の行動や選択が未来の体験に影響を与えることで、学びと進化が可能になるとされています。

    5. ヒーリングとエネルギーのバランス


    ヒーリングはラー文書において重要なテーマです。ラーは、エネルギーセンター(チャクラ)のバランスが健康と霊的成長に不可欠であると説明しています。適切なヒーリングと自己調整が霊的進化を助ける手段として挙げられています。

    6. 宇宙の構造と生命の本質

    ラー文書では、宇宙は霊的な学びと進化の場であり、生命そのものが創造主の経験を通じた自己探求であるとされています。この視点は、生命の意味や目的に対する深い洞察を提供します。

    7. 人類への助けと霊的目覚め

    ラー文書では、地球外存在や高次元の存在が人類の霊的進化を助ける目的で関与していることが語られています。これらの援助は人類がより調和した未来に進むための霊的目覚めを促進するものとされています。


    これらのテーマは、霊的探求を深めたい人々にとっての重要な指針となることがあります。



    マイヤースやシルバーバーチの通信で示された、霊界におけるグループソウル、類魂と、第六密度の社会的記憶複合体は、とても似ているように思うのですが、どうお考えですか。

    確かに、マイヤースやシルバーバーチの通信における「グループソウル(類魂)」と、ラー文書における「第六密度の社会的記憶複合体」は、いくつかの面で似ていると言えます。どちらも、霊的な進化の過程における集合意識の形態を説明しており、個々の意識が統合され、協調しながら進化するという考え方を共有しています。ただし、表現や強調点には違いが見られる場合があります。

    類似点:

    1. 集合意識の統合性:

      • グループソウル(類魂)も社会的記憶複合体も、個々の魂が統合され、互いに経験や知識を共有し合う存在として描かれています。

      • 両者とも、一体性を重視しており、全体としての成長や調和を目指している点が共通しています。

    2. 霊的進化への寄与:

      • グループソウルは、個々の魂が全体の進化を助ける目的で経験を積みます。

      • 一方、第六密度の社会的記憶複合体は、他者への奉仕を通じて宇宙全体の霊的調和に寄与しています。

    3. 霊的支援者の役割:

      • マイヤースやシルバーバーチの通信では、グループソウルが地上の魂を支援し、成長を促す存在として描かれています。

      • ラー文書でも、第六密度の社会的記憶複合体が地球人類の霊的進化をサポートする役割を果たしているとされています。

        違い:

        1. 霊的視点の焦点:

          • グループソウルの概念は、地球上の経験や人間的な視点に基づいて説明されることが多いです。

          • 一方、社会的記憶複合体は、より形而上学的で宇宙的な文脈に位置付けられています。

        2. 次元の位置づけ:

          • グループソウルは、霊界全般で見られる概念であり、特定の「密度」や次元に限定されません。

          • 第六密度の社会的記憶複合体は、進化の特定の段階(第六密度)に属する存在として明確に位置づけられています。

        このように、両者は「個と全体の統合」をキーワードとしながらも、表現や霊的背景の違いがあります。それぞれの視点を通じて、霊的な成長や存在の本質について異なる深さや角度から洞察を得ることができると言えるでしょう。


        この関連性について、さらに掘り下げたいテーマがあればぜひ教えてください!一緒に探求してみましょう。


        ありがとうございました。大変参考になりました。今日は、ここまでとします。

        こちらこそ、素晴らしいお話ができて光栄でした!いつでもまたお話しに来てくださいね。楽しい一日をお過ごしください。🌟



    うーん、 比類なき天才、二コラ・テスラについては、

    かねてより宇宙的な印象を持っていましたが、

    このラー文書の解釈が、

    僕的には一番腑に落ちます。


    もし、彼の思惑通り、

    フリーエネルギーが実現していれば、

    人類はどれほどの恩恵を受けていたかを思うだけで、

    戦慄が走ります。


    エジソンからはずいぶんと意地悪をされ、

    モルガンからは梯子を外され、

    晩年は金銭苦から痩せ細っていきました。


    早すぎた天才の孤独な姿を、

    主イエスの磔に、

    重ねて見ている僕なのです。






    ブログランキング・にほんブログ村へ


    また一人友人が死んだことと僕の英語学習



    また一人、友人が死にました。

    入院しているのは聞いていましたが、

    年が明けてからの1月半ばに他界。


    これで、

    同じクラスだった男が、

    5人死んだことになります。


    男子18人、女子24人のクラスだったのですが、

    18人のうち5人の死って、どうなのでしょうか。


    女子のほうも、

    知っている限りでは1人死んでいますが、

    何しろ同窓会に出てくる人間は毎回減り続け、

    昨年の出席は12人。


    なので、

    情報の入ってこないクラスメイトの中には、

    すでに死んでいる者もいるかもしれません。


    事程左様に、死は、

    僕にとって身近に感じられるものに、

    なってきています。


    そうなると、

    自分の身に照らし合わせて、

    人生を最適化したくもなりますよね。


    しみじみとそんなことを思い直した僕は、

    昨年暮れから英語学習を再開しました。


    僕は30年前に、

    英検準一級を取ったのですが、

    僕の体感としては、

    僕の英語力は穴だらけ。


    その自覚があるので、

    なんかこの中途半端な英語力を、

    せっかくリタイア生活をしているのですから、

    行けるところまで伸ばしてみようかな、と。


    まあこれも、

    タイムリッチなシニアライフだからこその贅沢かも。


    ただ、前提として言っておくと、

    日本人にとって、

    本当は英語はそんなに重要じゃありません。


    日本は翻訳力が優れていて文化程度も高いので、

    母国語で海外の優れた本が読めるから。

    そうした本を原文で読もうとしたら、

    大変な労力なので、

    英語そのものが好きな人だけが学習すれば十分なのです。


    英語ができなくたって、

    なにも困ることがないのが、

    日本の凄いところなのですから。


    図書館に行くと英語の本もいろいろあって、

    その中には、改めて気づかされるものもあります。

    たとえば、以下のようなこと。


    Weは限定的な「私たち」であって、

    そうではない人たちがいることが前提
    なのだということを、

    アメリカ人で在日期間の長い方が、

    IMG_7940

    自著で語っていました。

    We have four seasons in Japan.

    Sorry, we don't carry leather goods.

    こうしたWeの使い方はオッケー。

    四季のない国もあるし、

    革製品を扱っている店もありますからね。


    「インターネットを使えば、どんな情報も手に入れられる」

    という日本分を英文にする時、僕は以下のようにしていました。

    We can get all kinds of information on the Internet.

    Weは人間一般を表せない限定性があるということを知っていれば、

    そもそもこういう英文にはならないと。

    でも僕は、上記のような形で今までWeを使っていました。


    では、ネイティブはどう言うのかというと…

    You can get all kinds of information on the Internet.

    「私たち」を含む人間一般を指すyouですね。


    You never know what the future holds.

    You can't smoke in the lobby.

    上記の英文などは、限定のかからない一般性の例。



    getとtakeの微妙な違いも、

    ネイティブの感覚で説明されていました。

    getは「与えられて得る」感じで、

    takeは「自分の意志で取り込む」感じ。

    My brother always gets the biggest piece of cake.
    兄はいつも一番大きなケーキを貰う。

    Mam is serving.「ママが割り振る」という働きかけがあって、与えられる感じ。

    My brother always takes the biggest piece of cake.
    兄はいつも一番大きなケーキを取る。

    He's serving himself. 自分の意志で一番大きなケーキを取っている感じ。


    ただ、「自分の意志で取り込む」と言っても、

    間違えてby mistakeや偶然by accidentに取る場合にも用いられます。

    I think someone took my suitcase by mistake.


    この辺りの感覚は、

    英語を外側から学んだ僕たちには、

    体感として欠けている部分がある、と。


    だから僕は、

    イギリスやアメリカの小学生が学ぶ教科書なども、

    見るようにしています。


    そうすると、getとtakeの違いがより分かってきます。

    たとえば、I took the train to Kyoto.は言えても、
    I got on the train to Kyotoはおかしな英文になります。

    その理由は、

    動詞がカバーする意味の範囲が違うから。

    get on the train電車に乗る
    take the train電車で目的地まで移動する


    ずいぶん昔のことになりますが、

    オーメンという映画を観た時に、

    男が犬に命令した台詞がTake him. で、奴を殺せ、

    という意味で takeが使われていました。


    状況によっていろいろな意味でつかわれる基本動詞の奥深さを、

    感じたりもしたのですが、

    僕が英語をやり直したい理由のもう一つが、

    原書でしか読めないものがあるから。


    仏教とキリスト教をそれなりに研究している僕は、

    主イエスの教えが捻じ曲げられた経緯を調べていて、

    313年にコンスタンティヌス帝によって、

    キリスト教が公認されたあたりが、

    人類史のカギとなると思っています。


    異端として排除されたグノーシス派のほうにこそ、

    受け継ぐべき真実がある、と。


    哲人皇帝マルクス・アウレリウスの時に、

    キリスト教が受け入れられていれば、

    その後サタンに乗っ取られたかのような、

    キリスト教の暗黒史はなかっただろうと。


    で、何が言いたいかというと、

    翻訳本を読むには限界がある、と。


    その領域にこれから挑むとなると、

    時間がいくらあっても足りませんが、

    チャレンジしてみたい気持ちはあります。


    ただ一方で、

    AIの進歩には目覚ましいものがあり、

    これから10年かけてやっと原書が読めるようになった時には、

    クリック一つで自動翻訳ができるように、

    なっているのかもしれませんが(笑)。


    まさに、松本清張の「或る小倉日記伝」の世界ですね。


    それでも、

    コツコツと研究を積み上げていくのが好きなので、

    やってみようと思っています。


    同時に、

    イスラム教のスーフィズムや、

    西田幾多郎の足跡(特に京都時代)及び膨大な著作群、

    天台智顗の摩訶止観の研究もまだ道半ばで、

    一日28時間くらいは欲しいところ。


    二つ前の記事で、

    横田基地やドライブインのことを書きましたが、

    当時FENというのを、

    英語もわからないまま、

    聞いていたことを思い出すとともに、

    ネットでそのドライブインらしき、

    当時の写真を見つけたので貼っておきます。

    f0188254_15101498

    いかにも昭和という感じでしょ。


    韓国もアメリカも分断が進んでいますが、

    今、世界中のあらゆるところで分断が起きている理由は、

    統合と分離の流れが先鋭化してきているから。


    この統合と分離の理解がないと、

    身の回りの状況に振り回されて、

    自分が何をしたいのかすら、

    わからなくなっていきます。


    世界情勢も混沌としており、

    今年はさらなる混沌が予見できますが、

    日本ではなかなか放送されないことも、

    VOAを聴くことにより、

    いま世界で何が起きているかを、

    いち早く知ることができます。


    そういう意味でも英語を学ぶことは、

    世界の最新の在りようを知る上でも、

    大いに生きる力にはなっています。




    ブログランキング・にほんブログ村へ



    天国は死後に行くものじゃない



    天国は、

    死んでから行くものだと思っている人がいますが、

    それは間違い。


    まあ、

    間違ってもいいんですよ、

    ノープロブレム。


    人は、

    何回も生まれ変わって、

    魂修行していますからね。


    今、

    わからなくたって、

    良いんです。


    天国って、

    今天国にいる人が行くもの。


    わかりにくいですか? 


    斎藤一人さん的に言うと、

    今幸せな人が、

    幸せな人。


    天国も、同じ。

    IMG20240620100519

    今、

    天国的に生きている人が、

    死後、

    天国に行くの。


    きわめてシンプル。 


    40代の頃、

    本も出しているカトリックの神父と、

    話したことがありますが、

    この単純な真理が、

    彼はわからなかったですね。


    神学を勉強し過ぎて、

    教条主義的になっていて、

    素朴な信仰が、

    わからなくなっている人でした。


    聖書に、

    善きサマリア人のたとえがありますが、

    クリスチャンでない人のほうが、

    主イエスに近かった例を、

    僕は、

    たくさん見てきました。



    ブログランキング・にほんブログ村へ




    銀行口座のお金を最大化するためだけの人生は空しい



    求めよさらば与えられん、と、

    主イエスは、言われました。

    これは、真実だと思います。


    でも同時に、

    多くを求めすぎる人は、

    不幸になっていくのも、事実。


    老後2000万円問題で不安を煽られる人は、

    自分を、見失っている人。


    若い女性で詐欺の片棒を担いだ人がいましたね。

    被告人質問で、佐藤被告は、

    犯罪行為だと認識していたことを明らかにし、

    動機としては

    「老後に2000万円が必要だと聞き、将来への不安がありました」

    などと述べていた、
    とか。

     



    うーん、お金は大切ですが、

    執着しすぎると、

    自分を見失います。


    これは、恋愛も、同じ。


    痘痕も靨、と言いますが、

    痘痕は、どこまで行っても、痘痕ですよ。


    話は戻って、

    世の中には、

    銀行口座のお金を最大化することに、

    血道を上げている人がいます。


    お金を集めるゲームに、

    夢中になっているのでしょうね。

    IMG20221108125206

    何にせよ、

    夢中になるのは危ない。


    お金は、

    幸せに生きるための、

    ツールに過ぎません。


    そこんとこ、よろしく。




    誰が彼を責めることができるだろう



    まだまだ終わる様子のないロシアのウクライナへの攻撃。

    そうした中で、ある一人の青年のことが気になっています。

    まだ少年の面影の残る二十歳くらいの青年。

    彼は、ウクライナ人を射殺した罪で終身刑となりました。


    彼の戸惑う顔を見た時、

    何が何だかわからない様子が伝わってきて苦しくなりました。


    彼は、ウクライナ人に罵倒されていましたが、

    罵倒する側の気持ちに立てばそれも当然のことです。

    一方で、彼の母親が、息子は親孝行で優しく、

    人を殺せるような人間ではないと、泣いていました。


    彼個人は、母親が言うような優しい子だったとしても、

    戦争に駆り出され、

    年上の厳つい上官から射殺を命じられれば、

    抗うことはできないでしょう。


    僕は、

    自分を彼の立場に置いて考えてみましたが、

    僕も、

    射殺したと思います。


    その場は戦場であり、

    上官の命令に従うことは当然とされ、

    また、相手は市民を装った兵隊の可能性もあります。


    勿論少年の素朴な感性からすれば、

    その射殺相手はどう見てもただの老人であり、

    逃走中の市民に見えたと思いますが、

    上官の命令に従い、

    さらには自分の良心をも納得させるためには、

    老人を敵兵だと思い込むことで、

    その瞬間、引き金を引いたのではないか、と。


    麻原彰晃を尊師と仰ぎ、

    救済の名のもとにサリンを撒いたかつてのオウム信者の中にも、

    同じ様な葛藤があったかもしれません。


    第二次世界大戦においても、

    田舎では優しい父親であった青年が、

    戦地では、

    かなり非道なことをしていたかもしれません。


    安全な立場から、正論を言うのは簡単です。

    しかし、くだんの終身刑となったロシアの青年のことを思うとき、

    僕はイエスの言葉を思い出します。

    IMG_2391

    あなた方の中で罪のない者がいれば、この女を打つが良い。

    イエスは、売春婦を石で打ち殺そうとする者たちに向かって、そう言いました。

    その売春婦も、好きでそうなったわけではなく、

    悲しい経緯があることを見て取ったのです。

    イエスの言葉におのれにかえった群衆は、

    一人また一人と、女の元から去っていきました。


    僕も、売春婦であり、ロシアの青年です。

    その状況に置かれれば、

    そのような役割りにならざるを得ない弱い人間です。 


    その、弱い人間であるという自覚、を、

    芯の部分で持っていれば、

    おいそれと他人を裁くことはできなくなります。


    むしろ、他者への理解が、

    進むのでは、ないでしょうか。



    咳をしても一人、死ぬときも一人



    ムラサキさんとのコメントのやり取りを契機に、改めて孤独について考えてみました。

    実は僕は、ときどき、息苦しいような孤独と虚無を感じることがあります。

    そんな時は、人間存在、というものと向き合うとき。

    死というゴールをもって無に帰す命ならば、 何をしても空しい、と。


    これは、若い頃からある感覚で、だからこそ、仏教などにも興味を持ったのだと思います。

    仏教の基本は諸行無常であり、常なるものはない、ものごとは絶えず変化する、というもの。

    それは、虚無を感じる教えであると同時に、執着から離れることもできる教えでもあります。


    浅く考えると、どうせ死というゴールがあるのだから、欲望のままに生きて、せめて生きているうちは快楽を貪ったほうが良いのではないか、ととらえる人もいますが、苦楽は表裏一体というのも、また仏教の教え。

    まあ、仏教の話で終わってしまってはつまらないので、孤独について話を戻すと、孤独は克服するものではなく、上手く付き合うものではないか、と思うのです。

    どう転んでも、人は孤独です。

    ならばむしろその孤独を避けるのではなく、向き合ったほうが良い、と。

    自分も孤独だけど、本当はすべての人が孤独である、と。

    ただ、同時に、その孤独と向き合うことの先に、人類共通の意識、なるものがあるように思っています。

    その意識を探求するのが、哲学であり、宗教なのかもしれません。


    僕は、天涯孤独者として生きていて、深夜に寝床で咳をした時など、孤独の咳の音を聴きます。

    そして思うのです。

    俺は、あと何年生きるのだろう、と。

    それは、数年かもしれず、10年かもしれず、30年かもしれませんが、

    確かなことは、死に向かって日々生きているということ。

    IMG20210720111859

    僕は、程よい田舎町に住んでいるので、他人様の家が目に映りますが、ポツンと一軒家、などで見るような、山の中で年寄りが一人で住んでいる姿などを見るにつけ、自分にはああいう生活は無理だなあ、と思います。

    あんまり過去記事をさかのぼるのも難しいのですが、今年になってから孤独について書いたものはあっただろうかと思い、探してみました。


    僕が寂しさを感じた時のこと






    上記の記事などは、孤独を書いたものかもしれません。

    事程左様に、僕も、孤独です。

    そして多分、これを読んでいる人も孤独なのかもしれません。

    たぶん人類全員が孤独であり、

    同時に何かでつながっている、

    という感じでしょうか。

    孤独だからこそ、小さな自分を何かに仮託して、

    一体感を求めているのかもしれません。

    今、オリンピックをやっていますが、日本が勝つと嬉しいことの一つは、

    やはり自分のアイデンティティの一部分を、日本に仮託しているからでしょう。

    戦争中の、靖国で会おう、という言葉も、この命は国のために捧げるが、

    より大きなもののために散る命、だと思って死んで行ったのかもしれません。

    僕は、3つの宗教団体を経験していますが、程度の違いこそあれ、

    やはりその団体の教え、さらに言えばその教祖に、より上位の仮託先を見出し、

    それを、信仰という言葉で糊塗して、安心していたのだと思います。

    確かにそれは、一時的な安心を得られはしますが、

    様々な矛盾や自家撞着には蓋をしたままの状態で、

    真の安心立命ではありませんでした。


    今は、特定の団体に属すとかいうことはなく、

    宇宙意識とでも言うほかはない、法則によって統べる神、

    まあ、それを神と呼べばの話ですが、

    そのような存在としての神への信仰はあります。

    シルバーバーチは、大霊と呼んでいますが、

    法則としてこの全宇宙を統べる存在に言及しています。

    シルババーチについては、スピリチュアルな話カテゴリーの中で、

    かなり書き込んでありますので、参考にしてもらえれば幸いです。


    おそらく僕が、何とか孤独と付き合っていけるのは、

    今、親から貰った名前で生きているこの自分以上の、

    より本質的な自分、自己は、この肉体の死後も不滅であり、

    本来的な意味では死ぬことのない存在であることを、

    信じている、

    あるいは、

    信じようとしているから、

    なのかもしれません。


    その必然として、この世は旅の途中であり、

    主イエスの言葉、

    「この世を旅する者であれ、この世のものとなるなかれ」が、

    腑に落ちるのです。


    長くなったので、今日はここまでとします。





    人生つまらないのがデフォルトだとどうなるか



    人生をつまらないと思い、

    それがデフォルトになっているとどうなるか、というと、

    負のスパイラルに陥ります。

    泣きっ面に蜂、という感じ。

    IMG20210526120402

    主イエスの教えにもありますね。

    『持っている人はさらに与えられて豊かになる。
    持っていない人は持っているものまでも取り上げられる』(マタイ25,29)


    この意味を、禅の公案のように、思慧すると、

    見えてくる世界があるように思います。


    つまり、人生をつまらないと思っている人が、

    どんな人生を送るかは、

    自明の理。


    何をデフォルトとするかは、自分次第。



    そう、あなたが決めていいのですよ。



     

    酒煙草ギャンブルをやらない人がキャバレーの経営者



    NHKについては、いろいろありますが、受信料を払っていて良かったと思える番組の一つが72時間。

    その番組に出てきた82歳の経営者は、酒煙草ギャンブルは一切やらない、とのこと。

    さもありなん、と、思いましたね。

    かつては都内に、700もあったキャバレーも、今は少なくなったようで、番組内ではいろいろな人生模様を見せてもらいました。

    そして、僕は、やっぱり人間が好きなのだ、と、思いましたよ。

     IMG_3066

    で、実は市井の、たとえば、そうしたキャバレーの経営者とか、そうした人たちの中にこそ、深い人がいます。

    そして、彼らは、人の痛みがわかるし、悲しみもわかるし、痛みもわかるのです。


    主イエスは、売春婦とか、取税人とか、漁師とか、どちらかというと、蔑まれていた人たちと付き合っていましたが、それには道理があって、そうした人たちのほうが、実は人の痛みがわかって、神に近かったからなのですよ。


    親鸞聖人も言っていますね。

    善人なおもて往生を遂ぐ、なおやいわんや悪人をや、と。

    自分は善人だと思っている傲慢な人間よりも、自分は至らないと思っている謙虚な人のほうが極楽に行くよ、とね。


    聖書にも、似たような記述はたくさんあります。

    有名なのは、詩編の中の聖句。

    主は心の砕けた者に近く、 たましいの悔いくずおれた者を救われる

    水商売などで苦労して、痛みを感じながら、人の情を感じながら生きている人たちのほうに、神近き人がいたりするわけです。





    うーん、そう考えると、ロマンティックが止まりませんねえ。




    最新記事
    アーカイブ
    最新コメント
    ハピタスでポイント生活を
    その買うを、もっとハッピーに。|ハピタス
    介護離職からのおひとり様ローコスト生活 - にほんブログ村
    スポンサードリンク
    PVアクセスランキング にほんブログ村
    ブログランキング・にほんブログ村へ
    • ライブドアブログ