介護離職からのおひとり様快適生活

定年まで数年を残して介護離職したのち、父を自宅で看取り、その二年後に母も天国へ。風の時代の上昇気流に乗りながら、日々の暮らしでの気づきと心象風景を綴っています。

シルバーバーチ

圧倒的な神の公平さ


神という存在が、もし、自分の信者だけをえこひいきするような偏狭な存在であるならば、僕たちに平安はありません。

しかし、聖書に描かれている神は、喜怒哀楽が激しく、人間的で、依怙贔屓をしまくる神です。

そのような神の概念を植え付けられてしまうと、それが、生涯にわたって暗い影を落とすことになります。

その神の概念を覆したのはイエスで、イエスの説く父なる神は、愛の神、です。

イエスは、宗教団体を作ろうとしたのでもなく、三位一体などと言って、神の座に祭り上げられることを望んだのでもありません。

ただ、素朴に、人々に、神の愛と宇宙法則を説いただけです。
  
そのようなことができたのは、イエスが、宇宙法則と一体となり、すなわち、主イエス、となっていたからでもあります。

神の愛の公平さは、聖書の中にも見出すことができます。

それは、善きサマリア人のたとえ、の部分でも、知ることができますし、他にも、ありますが、今日は、話を先に進めます。

たとえば、どんな宗教団体でも構いませんが、あなたの信じる教団の教祖が、唯物論者はみな地獄行きだと、言ったとします。

その発言だけで、彼は霊界のことを何も知らないか、あるいは、その発言によって信者を自分の操りたい方向へと誘導しているか、のどちらかであることが推測できます。

唯物論者でも、心根が良かったり、この世界に大きな貢献をした人は数多くいます。

一方、何らかの教団の信者であって、自分は真理を知っていて、教祖の教えを理解できるそれなりの人間だとの自負がありながら、聖書の善きサマリア人のたとえに出てくる祭司やレビ人のような振る舞いをする人も多いでしょう。

何が言いたいのかと言うと、ラベル(何々の信者である、とか、唯物論者、などの分類上の決めつけ)は、一切関係がなく、その人の全人格がありのままに判定される、あるいは、評価される、のが、霊界という世界だ、ということです。


─── 生前スピリチュアリズムを否定し、生涯を合理主義者で通したH・G・ウェルズ(※)のような人はそちらでどんな気持ちを抱いたのでしょうか(※世界的に知られた英国の文明評論家で、主著に「世界文化史体系」「生命の科学」等がある)との質問に対し、シルバーバーチは、以下のように答えています。

 「ウェルズは不幸にして強烈な知性がかえって禍した偉大な魂です。もしこうした偉大な知性が童子のような無邪気さと一体となれば大変な人種が地上に誕生するのですが・・・

 こうした人は生涯かけて築いてきた人生哲学をそっくり捨て去らないといけないのですが、それが彼らにはどうしても得心がいかないのです。彼らにしてみれば、あれだけ論理的に且つ科学的に論証したのだから、その思想と合致しない宇宙の方がどうかしているに相違ないとまで考えるのです。そんな次第ですから、色々と修正していかねばならないことがあり、長い長い議論が続きます」

 その議論の相手となって説得に当たったのがチャールズ・ブラッドローとトーマス・ペインだったという。(二人とも地上時代は自由思想家として人権擁護の為に貢献した人物である)

 それを聞いてスワッハーが「ペインは偉大な人物でした」と言うと、すかさずシルバーバーチが「でした、ではありません。今でも偉大な人物です」と訂正してこう述べた。

 「彼は地上での評価よりはるかに偉大な人物です。時代を抜きんでた巨人です。霊的な巨人です。先見の明によって次々と問題を解決していった生まれながらの霊格者でした。人類は本来自由であるべきで、決して束縛されてはならないとの認識をもった偉大な宗教的人物でした。真の意味で〝宗教的〟な人物でした」


神の裁きは、公平にして見落としがありません。

     b0098584_18474267

シルバーバーチは、長い霊界生活で、神の本質をよく知り抜いています。


 あなたが神と仰ぐ教祖は、人間を安易にラベル分けしていませんか?

 あなたの理性は、教祖のすべての言動に得心が行きますか?


僕が、ありとあらゆる新興宗教の信者に対して問いかけたい質問は上の2点です。


日本は、世界でもまれにみるほど、新興宗教の多い国です。

戦後、仏教系、キリスト教系、あるいは神道系、さらには、それらをごちゃまぜにしたものや、神智学をベースにしたものなど、百花繚乱ならぬ、魑魅魍魎の世界が展開しています。


新興宗教の信者だけでなく、キリスト教の信徒や仏教徒にも、問いかけたい質問はありますが、今日は、ここまでと、します。




人はパンのみにて生きるにあらずだが、パンがなければ生きられない


人はパンのみにて生きるにあらず、とは、イエスの言葉ですが、パンよりも大切なことがあることを伝えたものだと思います。

ただ、イエスは、もちろん、パンを否定しているわけではありません。

また、俺はパン食ではなく、ご飯派だから関係ない、ということではなく、このパンは、広く、経済、と考えることもできます。あるいは、お金、でもいい。

今、日本経済がほぼ止まっている状態で、これは、人間の体で言えば、血液が流れていない状態。

血液のこない細胞は、やがて壊死してしまうように、お金の流れが止まってしまうと、その影響は深刻なものになっていきます。

コロナ騒動が収束し、そして本当の意味での終息に向かうことを祈るばかりです。


さて、今は、多くの教会が、礼拝も自粛しているようですが、シルバーバーチが教会のあるべき姿についても語っているので、紹介します。

例によって、こういうたぐいの話が嫌いな人はスルーしてください。

 「まず私は教会というところが本来宗教についての真実を学ぶために存在するものであること説きます。目に見えない高い世界の影響力に集団で波長を合わせるための場です。しばしのあいだ俗世的心配ごとやストレスから離れ、雑念や悩みごとを忘れて霊的実在に目を向ける場です。

私はまた人のために自分を役立てることこそ真の宗教であると説きます。礼拝に出席したら、欠席した人より立派になるというわけではありません。肌の色が白いから、茶色や黒い肌の人より優れているわけではありません。大切なのは霊の進化、魂の成長です。

教会はそのための永遠の旅に備える場であるべきです。いかにして霊を修練するかを教える場であるべきです。聖典の言葉や説教、儀式、信条のことで惑わされてはいけません。建物を必要以上に有難がってはいけません。

 宇宙の大霊は無限の存在です。いかに神聖に思える建物でも、その大霊を閉じ込めることはできません。四つの壁では〝永遠なるもの〟は包めません。書物も、その言葉がいかに美しくても、いかに内容が立派でも、いかに霊的でも、それ一冊に無限なる霊すなわち神に関する真理のすべてが記されるわけがありません。

いかなる人間でも、たとえ地上で最高の聖職にある人でも、あなたと神との関係に干渉することは許されません。あなた方の存在にとって必要なものは、あなた方自身が無限の啓示の宝庫から引き出すことができるのです。

あなた方が神と呼ぶところのもの、私が大霊と呼ぶところのもの、すなわち全生命の背後の普遍的摂理は、永遠にあなた方と切っても切れない絆で結ばれております。

 内部に宿された神性を発揮しさえすれば───高級界から受ける霊力とインスピレーションを活用する霊的法則さえ身につければ、神が意図された通りの生き方ができるようになります。

自己を棄て、世間に目を向け、からだの不自由な人を癒し、苦しむ人に手を差しのべ、飢えた人に食を与え、渇いた人に水を与え、道を見失える人に勇気と指示を与え、優しさと思いやりと愛情を、それを必要とする人の全てに与えてあげるようになるでしょう。

そうなった時こそ自分を役立てていることになります。それが唯一の宗教なのです。それ以外の宗教を私は知りません」


教会のあるべき姿、というよりも、宗教のあるべき姿、そのものについて、語っている感じですね。

僕自身、プロテスタント、カトリック、あるいは異端とされているモルモン教の礼拝にも参加したことがありますが、シルバーバーチが示す基準を満たしているモノは、一つもありませんでした。

そもそも、牧師なり、神父なりが、霊界についての知識が皆無なので、せいぜいのところが道徳的な説教に終始するか、カビの生えた人工的なキリスト教神学を、自分なりに解釈し直して話すのが関の山だからです。

これは、バカにして言っているのではなく、人間的にはそれなりに立派ではあっても、圧倒的な認識不足は否めませんでした。

ただ、人工的なキリスト教神学であっても、その中には、微かながらも主イエスの語った命の言葉の残り香くらいはあり、その愛の霊流を、感じることもありました。

既成の教会での礼拝に、生きる拠り所を置いている人もいるわけですから、それは尊重しなければいけないと、思っています。

ただ、シルバーバーチをはじめとした霊界からの霊知識としての光がおろされているのですから、そちらに目を向けないのはあまりにももったいない、と、思っています。

そして、それこそが、主イエスの復活、そのものなのですから、ね。

    b0098584_1942039

コロナウィルス対策には、換気が大切ですが、宗教界にも、真実の霊知識を取り入れる換気が必要だと、僕は、強く思っています。




61歳になっても、僕には知らないことが多い


先日、テレビをつけたら、鎌田實さんという人が出ていて、その人の話にすぐに引き込まれました。

どこかで見たことのある人だな、とは思ったのですが、僕は、この人をほとんど知らなかったのです。 

医師で、作家でもあるようで、その生い立ちが、養父母に育てられたとかで、特に、義父とのことを、話していました。

貧乏人は勉強などしなくていい、働け、と、義父に言われても、医者になりたい鎌田さんの意志は固く、苦学してアルバイトを掛け持ちしながら、医者になったこと、その後、つぶれかけた病院を再建したり、難民支援に奔走したりの人生。

恥ずかしながら、僕は、61歳になるこの年まで、鎌田實さんという人が、こんなすごい人だとは、知りませんでした。

鎌田さんを見ていて、シルバーバーチの言葉を思い出しました。

少し引用が長くなるので、読むのがだるい人は読まなくていいですよ。


 〝もしスピリチュアリズムについてテレビで講演することになったらどういうことを話されますか〟───ある日の交霊会でこんな質問が出された。シルバーバーチはすかさず次のように答えた。

「私はまず私が地上の人たちから〝死者〟と呼ばれている者の一人であることを述べてから、しかし地上の数々の信仰がことごとく誤りの上に築かれていることを説明致します。生命に死はなく、永遠なる生命力の一部であるが故に不滅であることを説きます。

私は視聴者に、これまで受け継いできた偏見に基づく概念のすべてをひとまず脇へ置いて、死後存続の問題と虚心坦懐に取り組んで真実のみを求める態度を要請致します。寛容的精神と厚意をもって臨み、一方、他人(ヒト)がどう述べているからということで迷わされることなく、自分みずからの判断で真理を求めるよう訴えます。

そして世界中の識者の中から、いわゆる死者と話を交わした実際の体験によって死後の生命を信じるに至った人の名前を幾つか紹介します。

そして私自身に関しては、私もかつて遠い昔に地上生活の寿命を割り当てられ、それを完うして、一たんベールの彼方へ去ったのち、この暗い地上へ一条の光をもたらし久しく埋もれたままの霊的真理を説くために、再び地上に戻る決心をしたことを述べます。

私はその霊的真理を平易な言葉で概説し、視聴者に対して果たして私の述べたことが理性を反撥させ、あるいは知性を侮辱するものであるか否かを聞いてみます。

私には何一つ既得の権利を持ち合わせないことを表明します。こんなことを説いてお金をいただかねばならないわけでもなく、仕事を確保しなければならないわけでもありません。私には何一つ得るものはありません。霊界での永い永い生活を体験した末に私が知り得たことを教えに来ているだけです。聞くも聞かぬもあなた方の自由です。

人間は不滅なのです。死は無いのです。あなた方が涙を流して嘆き悲しんでいる時、その人はあなた方のすぐ側に黙って立っている───黙って、というのは、あなた方が聞く耳をもたないために聞こえないことを言っているまでです。

本当は自分の存在を知らせようとして何度も何度も叫び続けているのです。あなた方こそ死者です。本当の生命の実相を知らずにいるという意味で立派な死者です。神の宇宙の美が見えません。地上という極小の世界のことしか感識していません。すぐ身のまわりに雄大な生命の波が打ち寄せているのです。

愛しい人たちはそこに生き続けているのです。そしてその背後には幾重にも高く界層が広がり、測り知れない遠い過去に同じ地上で生活した人々が無数に存在し、その体験から得た叡知を役立てたいと望んでいるのです。

見えないままでいたければ目を閉じ続けられるがよろしい。聞こえないままでいたければ耳を塞ぎ続けられるがよろしい。が、賢明なる人間は魂の窓を開き、人生を生甲斐あるものにするために勇気づけ指導してくれる莫大な霊の力を認識することになります。あなた方は神の子なのです。

その愛と叡知をもって全宇宙を創造した大霊の子供なのです。その大霊との繋がりを強化するのは、あなた方の理解力一つです。もし教会がその邪魔になるのであれば、教会をお棄てになることです。もし邪魔する人間がいれば、その人間と縁を切ることです。もし聖典が障害となっていると気がつかれれば、その聖典を棄て去ることです。


そうしてあなた一人の魂の静寂の中に引きこもることです。一切の世間的喧騒を忘れ去ることです。そして身のまわりに澎湃(ホウハイ)として存在する霊的生命の幽(カス)かな、そして霊妙なバイブレーションを感得なさることです。

そうすれば人間が物的身体を超越できることを悟られるでしょう。知識に目覚めることです。理解力を開くことです。いつまでも囚人であってはなりません。無知の牢獄から脱け出て、霊的自由の光の中で生きることです。 以上の如く私は述べるつもりです」

 b0098584_1128066

モーリス・バーバネルという霊媒を通じて、3000年前に地上生活を卒業して今は高い霊界にいるシルバーバーチが、1920年から約60年にわたって、膨大な量の霊界通信を送ってきましたが、その内容は、一貫しており、この世とあの世を貫く宇宙法則としての神の摂理を説いたものです。

また、シルバーバーチは、名称にもこだわりを見せません。

以下もまた、霊訓からの引用です。


───スピリチュアリズムが世界的宗教となる日が来るのでしょうか。

「あなた方がスピリチュアリズムと呼んでいるものは大自然の一部───その作用、その意義に対してつけられた名称に過ぎません。私にとって宗教とは自分なりの人生を生きることであり、特定の宗派の信仰を受け入れることではありません。

人生を支配している摂理は普遍的なものです。ということは、普遍的な理解力が世界中に行きわたれば、お互いが扶け合うことが普遍的な宗教ということになります。それをスピリチュアリズムと呼ぶかどうかはどうでもよいことです。大切なのは真理が普及し、無知の壁が崩れ、迷信が人間の精神から一掃されて、霊的叡知が花開くことです。 

ラベルには用心しなければなりません。なぜかと言えば、そのうちそのラベルに象徴されていた中身に代わってそのラベルそのものが大切にされるようになり、ついにはラベルだけを崇拝して真理を忘れてしまうからです。大切なのは真理です。ラベルはどうでもよろしい。

皆さんはある現象が話題になるとそれをスピリチュアリズムだと言います。が、すべては自然法則の働きで起きているのであって、それをどう呼ぶかは重要ではありません。同じ意味で〝宗教〟という用語もその本来の意義を失ってしまいました。

今では宗教といえば〝神聖〟のラベルをはられた特殊の行事や慣習、儀式、祭礼等のことを連想します。しかし教会や礼拝堂が普通の建物に較べていささかも神聖であるわけではありません。石はあくまでも石です。普通の家の一部となろうと大聖堂の一部となろうと石は石でしかありません。

神を崇拝する場として作られた建物は確かに美しいかも知れませんが、その美しさが神聖さを生むわけではありません。美しいと思うのは美意識の反応にすぎません。

宗教そのものは教会とは何の関係もありません。霊感のある人───本当の意味での聖職者、つまり霊的能力を具えた人が民衆の要請に応えて神との取り次ぎをしてあげることと言ってもよいでしょう。勿体ぶった神学的言説に基づく行事をしたり信仰を告白したりすることではありません。

教会でワインを飲んだからといって、他の場所でワインを飲むよりも〝宗教的〟であるわけではありません。宗教的であることは宇宙の大霊の一部である自分を少しでもその大霊の御心に近づけることです。

内部の神性を発揮する上でプラスになることをすることが宗教です。その神性は人のために役立つ行為、愛他心、親切心、日々新たになろうとする心がけ───どこにいても倒れている人を起こしてあげ、弱った人を元気づけ、無力な人の力になってあげ、病の人を癒し、真理と叡知を広め、不正を無くする行為となって表われます。それが宗教です。

人間にはその人なりの宗教を実践する上で必要なものはすべて授かっております。そのためにはまず、宗教とは名僧知識が説くことを体系的にまとめることであるかのように考える、その誤った概念を捨て去ることです。

私どもは、どこかの礼拝のための建造物に出席することが神への義務を果たすことになるとは決して申しません。出席される方は真面目な気持ちでそうされているかも知れませんが、真の宗教心はその人の生きざまの中でしか発揮されないのです。各自の魂に内在する崇高なる霊性の働きと切り離されたところに宗教は存在しません」


上記のように、宗教の本来あるべき姿が、述べられています。

まあ、日曜日に教会に行くことが悪いわけではありませんが、それ以上に大切なことは、日々の暮らしの中でどのように生きているか、です。

シルバーバーチの語る言葉はシンプルで、誠実そのものです。

僕は、テレビで鎌田實さんを見ていて、シルバーバーチが説いているような生き方をしている人だなあ、と思いました。

僕たちの周りにも、鎌田實さんほどではないにしろ、小さな善意を向けている人は無数にいると思います。

たとえば、飢えている野良猫に食べ物を与える、とか、道に迷っている人に声をかけ、探している場所を教える、とか。

そうしたことも、シルバーバーチの言う宗教的な行為です。

一昨日、僕は飯能に行き、郵便局のATMで、お金をおろそうと思ったのですが、入り口に人が並んでいました。

ああ、みんなATMに並んでいるのだな、と思った僕は、通帳を取り出して立っていたのです。

そんな僕を見た、若い女性が僕に声をかけ、ATMだったら、空いていますよ、と、教えてくれたのです。

そのアドバイスのおかげで、僕は、すぐにお金を下すことができました。

その女性の小さな思いやりの声掛けも、シルバーバーチの言う宗教的な行為です。

つまり、簡単に言えば、人や動物、その他、あらゆるものに、親切にする行為すべてが宗教的な行為です。

だから、難しく考える必要はありません。

この世界には、そうした善意の個人が無数にいます。

あなたもきっと、その一人です。


様々な現場で苦しんでいる人たちがいる


たまたま見たのですが、NHKの今週のクローズアップ現代は、コロナ禍による自粛で首を切られた人たちや、仕事がなくなった現場の苦悩、あるいは、それ以外にも、通常の暮らしが立ち行かなくなった人たちを取り上げていました。

で、こうした困難の中にある時ほど、その直面する個人、だけでなく、たとえば、宗教団体なども、その本質が現れる、と、思っています。

以前、仁和寺の僧侶が、祈祷をしているだけでなく自ら手作りマスクを作り、無償供与している記事を書きましたが、今、多くの、宗教団体も、自粛しながら、静かな祈りをささげています。

しかしその一方で、人々が苦しんでいる状況を逆利用して、自己拡大に走る宗教団体が存在するのも、事実です。

また、マスクの送り付け商法に見られるように、金儲けの機会ととらえる輩もいます。 

事程左様に、このような苦難、困難の時には、その組織の真の姿が、露わになるものです。



人間には、神の子としての神性が宿っているので、自らの自助努力で、この困難にも立ち向かっていかねばなりません。


昨日はテレビで、いろいろな人が、坂本九さんの、上を向いて歩こうを歌っている映像を見ましたが、苦難の中でこそ、霊性もまた、磨かれていくものだと、思っています。


地上のあなた方は、自分で自分たちを救う方法を学ばねばなりません、と、シルバーバーチは言います。

The world must learn to perform its own salvationThere is no ready-made plan. There is no prepared. cut-and-dried system. Your world has to learn that, behind what it regards as the manifestations of life, there is the eternal reality of the spirit, that the children of matter are not only worldly beings but spiritual beings expressing themselves through bodies of matter.


地上のあなた方は、自分で自分たちを救う方法を学ばねばなりません。予め用意された救いの道はなく、すでに出来上がった救済組織もないのです。あなた方が生命の現われと思っているものの背後には、不滅の霊的存在が控えており、あなた方地上世界の子たちは、肉体を持った人間であると同時に、肉体を通して自己を表現している霊であることも学んでいかなければなりません。


最近気づいたことですが、僕の中には、まだまだ自分は生きられる、という慢心がありました。

その慢心ゆえに、努力精進を怠っていた部分があります。




ぐずぐずしてちゃいけねえ、と、僕も、思いました。

もっと俺は俺でありますように、とね。


やっと買えたマスクと困難な時における人としての生き方


深夜だったでしょうか、寝ているときに、かなり大きな揺れがありました。すぐに地震だということはわかったのですが、少し前の記事でも書いたように、このような時に、たとえば、首都直下型地震などがあったら、大変なことになるな、と、思った次第。

手持ちのマスクは数枚しかなく、それらを洗いながら繰り返し使っていましたが、今朝、買い物に行ったライフで、やっとマスクを買うことができました。


IMG_3173
 
サージカルマスク5枚入りが税込みで437円のところ、シールだけ貼ってもらって持ち帰ったので、エコ還元2円引きで、435円でした。

さて、昨日、9000万年前の南極大陸のことを書いたのですが、当時、まだ、人類は誕生していませんでした。食物連鎖の頂点には恐竜が君臨し、まあ、その恐竜も一様ではないのですが、人類はおらず、その肉体祖先にあたる哺乳類はいましたが、まだ、知能もさしてない状態。


では、人間のいない世界で、霊なる存在はどうしていたのか。

これを話すと、また長くなるので、ここで語ることは控えますが、以下の、シルバーバーチの言葉が参考になるかもしれません。


大霊はあなた方すべての内部にあるのです。進化の跡をたどれば確かに人間もあらゆる生命体から進化してきており、遺伝的には動物時代の痕跡も留めておりますが、それを遥かに凌ぐ資質として、大霊から授かった神性を宿しており、それを機能させれば地上にあっても神の如き生き方が可能なのです。


実はこのシルバーバーチ、高い霊界から膨大な量の通信を送ってきています。 

僕たちの肉体先祖は、あるいはネズミのような形をした哺乳類かもしれませんが、変化する地球環境の中で、そうした肉体を進化させながら、やがては類人猿、人間へと、進化させていき、人としての霊が宿るにふさわしい時に、大霊の息吹としての、霊が宿ったのではないでしょうか。

そういう意味では、聖書の記述も、比喩的ではありますが、真実を、突いているように思えます。


大霊としての神性を宿した人間が神のごとく生きることの可能性に言及しているシルバーバーチですが、たとえば、今のこの時期であれば、寝食を忘れて、コロナウィルス感染者のために働いている医療従事者の多くが、その、人の命を救うという使命感のみで生きるとき、それは神のごとき生き方、であろうと、思います。


あなた方が自分のことを忘れて人のために精を出す時、あなた方を通して大霊が働くのです。

上記のシルバーバーチの言葉にもあるように、大霊は宇宙法則としてこの世界を統治しているので、その働きは、人間を通して行います。

誰でも、一度や二度は、自分のことなど忘れて、誰かのために、夢中で働いたり、奉仕したりした経験はあるのではないでしょうか。そうした時には、まるで、自分が真空地帯にいるように感じたりしますが、もう、働き、そのものになっていて、そうした時には、確かに、神のエネルギーというか、大霊が働いているのを感じます。

この時期は、ほとんどの宗教団体が、宗派の違いを乗り越えて、礼拝の自粛などで、足並みをそろえています。

そして、実に多くの宗教団体で、自発的に、それぞれの仕方で、コロナ過の終息を願う祈りがささげられています。

先日見た番組では、仁和寺の僧侶がコロナウィルスの終息を願う祈願をしている様子を見ましたが、仏教、キリスト教、イスラム教の枠を超えて、それぞれの仕方で、そうした祈りをすることは、良いことだと、思います。

また、仁和寺では、僧侶の手作りのマスクも、無料配布していました。

僕は、今は、いかなる団体にも所属していませんが、宗教団体においても、それぞれの仕方で、人類の危機に立ち向かっていることは、良いことだと思いました。

年末年始は格差が身に染みる時期かもしれないが


大手企業の冬のボーナスの平均は95万円で、二年連続過去最高を更新。

こうしたニュースが流れると、大半の労働者は、自分と比較して、様々な思いを持つでしょうね。

僕も、現役時代は、そうでした。

また、この時期、海外に繰り出す親子連れなどを見ると、金のない独身者などは、みじめな思いになるかもしれません。

事程左様に、年末年始のこの時期は、世の中が浮かれる分、不遇を託つ人にとっては、つらい季節。

さて、昨日は、和食よへいで、ここ数年、恒例になっているしゃぶしゃぶ食べ放題忘年会を、AさんとIさん、の、3人でやりました。

ここで思ったのも、考え方や感じ方は、三人三様であるということ。

それ故に、違う見解を持った人たちとの、語らいは、世の中を複眼的に眺めるのに役立ちます。


ただ、この3人は、基本的に、精神的なことを優位に置いているという共通項はあります。

それゆえ、それぞれの事象に対する見解の相違を認め合いながらも、より高次の視点を模索するという発展的な関係が築けているのだと思います。

Aさんからは、グレタさんやローマ教皇についての、また別の視点を、提示してもらいました。

また、Iさんは霊的感性が優れていて、たとえば、霊臭、と言って、霊のにおい、あるいは、霊界のにおい、などが、わかるようです。

Iさんは、日蓮系の宗教家庭で育ち、まあ、日蓮系と言っても、日蓮宗、日蓮正宗、あるいは、日蓮正宗からたもとを分かった創価学会、さらには、顕正会、など、あるのですが、千葉の、あるお寺の名前を出して、そこの霊的雰囲気の話などをしていました。

僕は、こうした話はとても好きで、Iさんは、ほかにも、トラックドライバーで全国を回っていた時なども、熊本県から鹿児島県に入ると、雰囲気が全然違う、とも言っていました。

雰囲気は、霊域ともつながるので、幕末維新で活躍した鹿児島の地の独特の霊域というのがあるのだと思います。もちろん、幕末維新前から、島津家の家風というか、一本筋の通ったところがあるのだと思います。

熊本も、加藤清正が治めていた地ですから、こちらもそれなりの気風があるのだと思いますが、それぞれの地にはその地独特の霊域があるのかもしれません。

Iさんは、特に、伊勢神宮の霊域の荘厳さというか、そうした話もしてくれました。

まあそのように、人は、この世に生きながらも、実は、その本質は、霊、なのだと思います。

シルバーバーチは、あなたとは何か、という章の中で、次のように言っています。

いったいあなたとは何なのでしょう。ご存知ですか。自分だと思っておられるのは、その身体を通して表現されている一面だけです。それは奥に控えるより大きな自分に比べればピンの先ほどのものでしかありません。

あなた方は本来が霊的存在であり、それが肉体という器官を通して自己を表現しているのだということです。霊的部分が本来のあなたなのです

それはこの全大宇宙を創造し計画し運用してきた大いなる霊と本質的には全く同じ霊なのです。つまりあなたの奥にはいわゆる〝神〟の属性である莫大なエネルギーの全てを未熟な形、あるいはミニチュアの形、つまり小宇宙の形で秘めているのです。


シルバーバーチの話をすると長くなるのでこの辺にしますが、霊臭を感じる能力のあるIさんは、それをギフトとして活用し、物事を判断する基準にしたり、あるいは、自分が間違った方向に行かないような歯止め、にもしています。

すべての人には、個性があり、特質があり、強みがあると思います。

それをどう活用し、生かしていくかは、当の本人に委ねられているのでしょう。

そう考えると、格差や、他人との比較ではなく、
482236
自己を掘り下げることこそが、まずはやるべきことだと思うのは、僕だけではないでしょう。

苦しい時は逃げていいし、逃げなきゃダメなこともある


逃げよ逃げよ、すべてのジュネーブから逃げ出せ、と、かつてノストラダムスは言った。

僕は言う。

逃げよ逃げよ、すべてのブラック企業から逃げ出せ、と。

今朝、テレビをつけたら、電通で過労自殺した高橋まつりさんのお母さんが出ていた。まだ、50代で僕より若い。

それなのに、最愛の娘をなくし、今もその悲しみを抱えたまま生き、活動している。


彼女は、過労死がなくなるような活動をしていて、その彼女のもとには、企業で働く若者から便りが寄せられているようだ。

母子家庭なのに、母が苦労して大学まで出してくれた、だから苦しくても会社を辞められない、でも、苦しい、そんな手紙が寄せれれているようだ。

親思いのいい子ほど、親の苦労を考えたりして、ブラックな会社でも頑張ってしまう。

置かれた場所で咲きなさい、などという言葉を、狡猾に利用されることもある。

置かれた場所で咲きなさい、を書いたシスターも、理不尽な環境で耐え抜け、などという意味で書いたわけではない。

親鸞の悪人正機説にしろ、悪い奴が狡猾に利用すれば、善人は騙される。


主イエスの言葉も同じだ。

都合の良いところだけ抜き取られ、カルト教祖に利用される。


孔子の言葉なども、権力者にいいように使いまわされている。


その点、老子の言葉は、悪用されることは、ない。

タオは、道であり、無用の用を説き、付け入る隙がない。


真理とは、常に単純素朴であり、誰にでも理解できるものだ。


主イエスの教えも老子の教えも、シンプル極まりない。
そして、シルバーバーチの伝える真理もまさに同じだ。

宗教家とか信心深い人は霊的に程度が高いという考えが人間を永い間迷わせてきたようです。実際は必ずしもそうとは言えないのです。

ある宗教の熱烈な信者になったからといって、それだけで霊的に向上するわけではありません。大切なのは日常生活です。あなたの現在の人間性、それが全てのカギです。


祭壇の前にひれ伏し、神への忠誠を誓い、〝選ばれし者〟の一人になったと信じている人よりも、唯物論者とか、無神論者、合理主義者、不可知論者といった、宗教とは無縁の人の方がはるかに霊格が高いといったケースがいくらもあります。

問題は何を信じるかではなく、これまで何をなしてきたかです
そうでないと神の公正が根本から崩れます

うーん、僕も、いくつかの宗教団体の中で、自分たちこそ真理を知っている選ばれた人間だと思い込み、スピリチュアルエゴに陥りながらそうと気づいていない人間を、いやというほど見てきました。

何より僕自身が、その、スピリチュアルエゴの塊のような人間でした。

スピリチュアルエゴの思考の枠の中にいたら、そこから抜け出すのは、容易ではありません。

それは、僕自身の体験からも、よくわかります。

思考ではなく、気づき、が、覚醒をもたらします。

そしてその気づきは、単純素朴なものです。

なんだ、そういうことか、と、幼子のような気持でわかる、感じです。

宇宙の理法、真理というものは、一つの団体が独占できるものではありません。

それは、公正にして無私であり、法則として働くからです。

だからこそ、スピリチュアルエゴに毒された神を信じると称する信者よりも、往々にして、彼らが蔑む唯物論者や無神論者のほうが、はるかに霊格が高かったりするのです。

ブラック企業にしろ、宗教団体にしろ、苦しいと感じたり、疑問を感じたら、このあり方でいいのかと、一度距離をとる。

そして、逃げたほうがいいと判断したら、
1552578
躊躇なく、全力で、逃げる

それが、大切だと、思います。

愛された犬や猫の死後の様子はどうなっているのか


ワンコやニャンコと暮らす人が増えていて、そうした日常を綴るブログも、多数、読むことのできる今は、僕のように、ペットを持たない人でも、それを読んで癒される、ということがあります。

また、僕の友人でも、ワンコやニャンコを飼っている人もいるし、先日、池袋で、K原君の、快気祝いをしたときも、そのK原君も猫を3匹飼っていて、写真を見せてもらいました。

また、快気祝いを企画したK内君も、やはり猫を複数飼っていると言っていました。

実は明日、友人でもあり先輩でもある、タクシードライバーのMさんのところに、最近家族になったという、ボストンテリアを見に行くのを、今から楽しみにしています。

さて、動物たちは、死後、どんな暮らしをしているのか、これは、ペットを飼っていない人でも、気になるところではないでしょうか。
716398

シルバーバーチが、このことについても言及しているので、少し見てみましょう。


問 「動物は死後もずっと飼い主と一緒に暮らすのでしょうか。それともいずれは動物だけの界へ行くのでしょうか」

 「どっちとも一概には言えません。なぜなら、これには人間の愛が関っているからです。死後も生前のままの形体を維持するか否かはその動物に対する飼い主の愛一つにかかっているのです。もしも動物とその飼い主───この飼主(Owner)という言葉は好きではありません。

他の生命を我がものとして所有する(own)などということは許されないのですから───その両者が時を同じくして霊界へ来た場合、その飼い主のところで暮らします。愛のある場所が住拠となるわけです。愛が両者を強く結びつけるのです。その場合は住処がありますから動物界へ行く必要はありません。

 動物界に住むのは飼主より先に霊の世界へ来た動物に限られます。誰かに世話をしてもらわなくてはならないからです。さもないと、心を温めてくれただけでなく一時的にせよ〝不滅性〟の要素を吹き込んでくれた〝愛〟から切り離されて、動物といえども心を取り乱すことがあるのです。

地上で人間的な愛と理性と判断力と情愛を一身に受けた飼主より先に他界した場合は、その主人が来るまで、動物界へ行ってそこで面倒をみてもらいます。それはちょうどあなた方が遠出をする時にペットを専門家に預けるのと同じで、霊界の動物の専門家に世話をしてもらうわけです」

問 「人間との接触によって動物はどんなものを摂取するのでしょうか」

 「長い進化の道程のどこかの時点で、神が、というよりは、法則の働きによって動物の魂に自我意識が芽生え、やがて理性が芽生え、知性が発達してきました。その段階で人間は判断力というものを身に付けたわけです。

すなわち物事を意識的に考え、決断する能力です。しかし実はそうした能力は全部はじめから潜在していたのです。どんなに遠く遡っても、魂の奥に何らかの形で潜在していたのです。それが目覚めるには神の息吹きが必要でした。

 さて、そうして神が動物に霊性の息吹きを吹き込んだように、あなた方人間も動物に対して同じことが出来るのです。人間は神の一部です。従って進化の順序の中で人間の次に位置する動物に対して、その霊性の息吹きを吹き込む能力を具えています。

つまり動物との接触の中で、愛という霊的な力によって、動物の魂に自我意識を芽生えさせることが出来るのです。それがその後の長い進化の道程を経て、やがて人間という頂点にまで達するわけです。愛が生命のすべてのカギです。動物であろうと人間であろうと、愛は死によって何の影響も受けません。

愛こそは宇宙の原動力です。全宇宙を動かし、全てを制御し、全てを統治しています。また愛は人間を通じて他の生命へ働きかけようとします。人間同志でもそうですし、動物、植物といった人間より下等な生命でもそうです。人間が可愛がる動物───犬、猫、その他のペット類───へ向けられる愛は死と共に終わるのではありません。愛があればこそ生命は進化するのです」

問 「霊界で動物と再会したとして、その一緒の生活はいつまで続くのでしょうか。いつまでも人間と一緒ですか」

 「いえ、その点が人間と違います。人間と動物はどこかの時点でどうしても別れなければならなくなります。地上の年数にして何十年何百年かかるか分かりませんが、動物の進化と人間の進化とではその速度が違います。より大きな光明へ向けて絶え間なく向上していく人間のペースについて行けなくなる時が来ます。

人間は死の関門を通過して霊界の生活に慣れてくると、言いかえれば自分を地上と結びつけていた絆が切れたことを自覚すると、向上進化を求める欲求、内部の神性を発揮しようとする欲求が次第に加速されていきます。そして魂に潜む能力を他の生命の進化を援助する方向へと発揮しようとします。

そうやって人間が霊的に向上すればするほど、動物はそのスピードについて行けなくなり、やがて死後も燃え続けた愛の炎も次第に小さくなり、ついには動物はその所属する種の類魂の中に融合していきます。



うーん、動物の霊界での様子の話は、この後も、問いかけと答え、という交霊会でのいつものやり取りという形で続くのですが、長くなるので引用はここまでとします。

まさにパウロが聖書の中で、そして何より、主イエスが語っていたように、愛こそが宇宙最大の力、のようです。

まあ、この、愛という言葉も、神という言葉と同様に、手垢にまみれ、誤解され、貶められてはいますが、それぞれの理解の及ぶ範囲で、愛、というものを考えてみるのもいいかもしれません。

モノを増やさない暮らし


ローコスト生活で質素な暮らしを実践するうえで大切なのは、モノを増やさないこと。

モノを増やさないことの利点は山ほどありますが、断捨離で多大な労力と時間を費やした経験のある人なら、わかるはず。

以前にも書きましたが、物を買うときというのは、僕にとってはよっぽどのとき。

そして、モノを買うときには、必ず、出口戦略を考えて、買います。これは、まあ、株を買うときと一緒ですね。

さて、先日、ノーマルタイヤをスタッドレスタイヤに換えたのですが、タイヤの収納場所は階段下の物入。

これまでは、タイヤを横にして積み上げ、実はその下に、食器類の予備品を入れた衣装ケースを置いていたのですよ。

しかしそれだと、タイヤの重みで衣装ケースが圧迫され、引き出しを抜くこともできませんでした。どうせ、食器の予備品だからいいか、と思っていたのですが、何か工夫はできないか、と。


そこで、今回はタイヤを立てて収納したのですが、その上の空間を利用するためにも、ツッパリ棚でも買おうかな、と、久し振りにモノの購入を考えたのですよ。

でも、ここで、待てよ、と。

何か家にあるもので、代用できるはずだとの思いが湧き、そこで閃き、かつて使い、今は使っていない、トレーニング器具が使えそうだということに。

タイヤをまたぐようにして置くことで、上の空間が使え、衣装ケースの引き出しも楽に動かせ、予備用の食器も簡単に取り出せるように。


IMG_2927


うーん、上手く収まってくれました。この赤いトレーニング器具は、ディップス用で、主に大胸筋下部を鍛えるものですが、今は、筋力もさほど必要なく、使っていませんでした。

かつて、ビジネスホテルで働いていた頃は、夜一人でベッド移動などという作業もあり、ベンチプレスで、70キロは、挙げるトレーニングもしていました。


まあ、そんな話はさておき、昨日、

何でもお金を出して解決しようとはせず、創意工夫で乗り越えようとするようになるので、人間の幅ができるというか、引き出しが増えます。

で、そういった節約や知恵や工夫が楽しいと思えるようになれば、これは、遊びになるし、ゲームをしているようなものです。

と、いう話をしたのですが、まさにその通りで、なるべくお金は使わず、知恵を出すと、こうなっております。

そして、モノを増やさず、今後も、更に物は減らしていく、と。

これは、「縮小期に入った自分に、何がどのくらい必要なのか」で書いた通りで、この世的なものは、どんどん捨て去っていき、それと比例して、霊的な覚醒のほうを拡大させていこうと、考えているからなのです。

そんなこんなで、今日も、シルバーバーチの言葉を少し。


人間の大半が何の益にもならぬものを求め、必要以上の財産を得ようと躍起になり、永遠不滅の実在、人類最大の財産を犠牲にしております。

霊性に気づいた人は真に目覚めた人です。神性が目を覚ましたのです。それは、その人が人生から皮相的なものではなく霊という実在と結びついた豊かさを摂取できる発達段階に到達したことの指標でもあります。霊の宝は地上のいかなる宝よりも遥かに偉大であり、遥かに美しく、遥かに光沢があります。

物的なものが全て色褪せ、錆つき、朽ち果てたあとも、いつまでも存在し続けます。

うーん、僕に残された時間がどのくらいあるかわかりませんが、今後も断捨離を継続し、モノに関わる時間と労力を減らしつつ、霊的覚醒のほうに、貴重な時間とエネルギーを傾斜配分していくことを考えています。

縮小期に入った自分に、何がどのくらい必要なのか


人生には、拡大していく時期と、その後、縮小していく時期があると、思っています。

今年還暦を迎え、年が明けて来年3月には、61になる自分。

人生の残り時間を考えると、このままで良かろうはずはない、と思える今日この頃。

実は、アルコールが、また一段と、弱くなりました。

もともと、酒には弱いほうで、父親などは、一滴も飲みませんでした。

僕は、社会の荒波にもまれるうち、酒の味も覚えましたが、それでも、強いほうではありません。まあ、付き合い程度に飲む程度。

ただ、今度の土曜日、先日も言いましたが、K原君の、快気祝いが池袋であり、飲み放題だそうですが、僕は、乾杯ビールだけにとどめて、あとはソフトドリンクにしようと思っています。まあ、集まるのは昼間だし、それが良いかな、と。

で、何が言いたいかと言うと、今、自分は、人生の縮小期に入っており、先日話した古代インド的な考えにも通じますが、林住期、ですね、まあ、内省し、おのれを見つめる時期なのかな、と。


そしていずれは、林住期ならず、ご臨終と相成るわけで、そのときに、少しでも後悔というものを少なくしておきたい、と、思っています。


どのように生きたとしても、十分ということはないのでしょうが、まあ、70点くらいは、自分に与えてあげたい、と、思っています。

僕は、自分の人生には満足しているし、後悔はないのですが、さらに、厳しく、自己採点すると、導かれてきた道筋には満足しているということであって、自助努力と言いますか、自分の日々のあり方については、大いに改善すべきとの思いがあります。

なので、今の自分は、甘く採点して65点。

まずは、平均して、70点くらいは自己採点できる日々にしたいと、思うようになりました。

そのためには、酒など、飲んでいる場合ではない、と。

まあ、気分転換で、たまに飲むのは良いし、他者との交流にもなる飲み会も、たまにはいいとは思うのですが、日々の暮らしの中からは、なるべく、アルコールは、遠ざけたほうがいいように思い始めています。

これにより、今後は、ますます、出費が減ることが予想されます。

まあ、これまでも、家飲みが基本ですから、月にしても、2000円以下だったと思いますが、今後は、これが、限りなくゼロに近くなるかもしれません。

今日も少しだけ、シルバーバーチの言葉を引用します。


 ある日の交霊会に米国人ジャーナリストが招かれた。そして最初に出した質問が「霊界というところはどんなところでしょうか」という、きわめて基本的な質問だった。その時レギラーメンバーの一人が「この方は心霊研究家とお呼びしてもよいほどの方ですよ」と言ったことが、次のようなユーモラスな答えを誘い出すことになった。

(訳者注────ここでは心霊学に詳しい方という程度の意味で言ったのであるが、その心霊学が〝心霊現象の科学的研究〟を目的としているだけで、霊魂の存在も幾つかの学説の中の一つとして扱われているだけである。その点を念頭に置いてシルバーバーチがその〝学説〟を並べ立てて皮肉っぽく答えているところがユーモラスである)

 「私は地上の人たちから〝死んだ〟と思われている者の一人です。存在しないことになっているのです。私は本日ここにお集まりの方々による集団的幻影に過ぎません。

私は霊媒の潜在意識の産物です。私は霊媒の第二人格であり、二重人格であり、多重人格であり、分離人格です。これらの心霊用語のどれをお使いになっても結構ですが、私もあなたと同じ一個の人間です。ただ私は今あなたが使っておられる肉体をずいぶん前に棄ててしまいました。
 
あなたと私の根本的な違いはそれだけです。あなたは物的身体を通して自分を表現しているスピリットであり、私は霊的身体を通して表現しているスピリットであるということです。         

 私はほぼ三千年前に霊の世界へ来ました。つまり三千年前に〝死んだ〟のです。三千年というとあなたには大変な年数のように思われるかも知れませんが、永遠の時の流れを考えると僅かなものです。その間に私も少しばかり勉強しました。

霊の世界へ来て神からの授かりものである資質を発揮していくと、地上と同じ進化の法則に従って進歩していきます。つまり霊的な界層を一段また一段と向上していきます。界層という言い方をしましたが、一つ一つが仕切られているわけではありません。

霊的な程度の差があり、それぞれの段階にはその環境条件にふさわしい者が存在するということです。霊的に向上進化すると、それまでの界層を後にして次の一段と高い界層へ融け込んでいきます。それは階段が限りなく続く長い長い一本の梯子のようなものです。

 そう考えていけば、何百年、あるいは何千年か後には物質界から遠く離れていき、二度と接触する気持ちが起きなくなる段階に至ることは、あなたにも理解出来るでしょう。所詮、地上というところはたいして魅力ある世界ではないのです。

地上の住民から発せられる思念が充満している大気にはおよそ崇高なものは見られません。腐敗と堕落の雰囲気が大半を占めております。人間生活全体を暗い影がおおい、霊の光が届くのはほんの少数の人に限られております。

一度あなたも私と同じように、経済問題の生じない世界、お金が何の価値も無い世界、物的財産が何の役にも立たない世界、各自が有るがままの姿をさらされる世界、唯一の富が霊的な豊かさである世界、唯一の所有物が個性の強さである世界、生存競争も略奪も既得権力も無く、弱者が窮地に追いやられることもなく、

内在する霊的能力がそれまでいかに居眠りをしていても存分に発揮されるようになる世界に一度住まわれたら、地上という世界がいかにむさ苦しく、いかに魅力に乏しい世界であるかがお判りになると思います。


その地上世界を何とかしなければならない───私のようにまだ地上圏へ戻ることのできる程度のスピリットが援助し、これまで身に付けた霊的法則についての知識を幾らかでも教えてあげる必要があることを、私は他の幾人かの仲間とともに聞かされたのです。

人生に迷い、生きることに疲れ果てている人類に進むべき方向を示唆し、魂を鼓舞し、悪戦苦闘している難問への解決策を見出させるにはそれしかないということを聞かされたのです。

 同時に私たちは、そのために必要とする力、人間の魂を鼓舞するための霊力を授けてくださることも聞かされました。しかし又、それが大変な難事業であること、この仕事を快く思わぬ連中、それも宗教的組織の、そのまた高い地位にある者による反抗に遭遇するであろうことも言い聞かされました。

悪魔の密使とみなされ、人類を邪悪の道へ誘い、迷い込ませんとする悪霊であると決めつけられるであろうとの警告も受けました。要するに私たちの仕事は容易ならざる大事業であること、そして(ついでに付け加えさせていただけば)その成就のためには、それまでの永い年月の中で体験してきた霊界生活での喜びも美しさも、すべてお預けにされることになるということでした。

しかし、そう言い聞かされた私たちのうちの誰一人としてそれを断わった者はいませんでした。かくして私は他の仲間と共に地上へ戻ってまいりました。地上へ再生するのではありません。地上世界の圏内で仕事をするためです。

 地上圏へ来てまず第一にやらねばならなかったのは霊媒を探すことでした。これはどの霊団にとっても一ばん骨の折れる仕事です。次に、あなた方の言語(英語)を勉強し、生活習慣も知らねばなりませんでした。あなた方の文明も理解する必要がありました。

 次の段階ではこの霊媒の使用法を練習しなければなりませんでした。この霊媒の口を借りて幾つかの訓え───誰にでも分る簡単なもので、従ってみんなが理解してくれれば地上が一変するはずの真理を説くためです。


同時に私は、そうやって地上圏で働きながらも常に私を派遣した高級霊たちとの連絡を保ち、より立派な叡智、より立派な知識、より立派な情報を私が代弁してあげなければなりませんでした。初めのころは大いに苦労しました。今でも決してラクではありませんが・・・。

そのうち私の働きかけに同調してくれる者が次第に増えてまいりました。すべての人が同調してくれたわけではありません。居眠りしたままの方を好む者も大勢いました。自分で築いた小さな牢獄にいる方を好む者もいました。

その方が安全だったわけです。自由に解放されたあとのことを恐れたのです、が、そうした中にも、そこここで分かってくれる人も見出しました。私からの御利益は何もありません

ただ真理と理性と常識と素朴さ、それに、近づいてくれる人のためをのみ考える、かなり年季の入った先輩霊としての真心をお持ちしただけです。

 それ以来私たちの仕事は順調に運び、多くの人々の魂に感動を与えてまいりました。無知の暗闇から抜け出た人が大勢います。迷信の霧の中からみずからの力で這い出た人が大勢います。自由の旗印のもとに喜んで馳せ参じた人が大勢います。死の目的と生の意味を理解することによって二度と涙を流さなくなった人が大勢います。」

1427785


長くなるので、引用はこのあたりでやめますが、縮小期に入った自分には、そう多くのものは要りません。

いやむしろ、必要なものを見極め、純度の濃い時間を生きなければもったいない、との結論に至りました。

お金を始めとした物質的なもの一切は、この地上を去るときに置いていかねばなりません。

仏陀釈尊の筏の例えの、筏のようなものです。

筏は、川を渡るときには必要ですが、渡り終えたらそれを捨ておいて、また歩き続けます。

魂は永遠であり、肉体はこの世を浮き渡っていく船のようなもの、ですからね。


最新記事
アーカイブ
最新コメント
ハピタスでポイント生活を
その買うを、もっとハッピーに。|ハピタス
介護離職からのおひとり様ローコスト生活 - にほんブログ村
スポンサードリンク
PVアクセスランキング にほんブログ村
ブログランキング・にほんブログ村へ
  • ライブドアブログ