日々の暮らしに「楽しい」がないと、
人生から活気が失われていきます。
だから、
どんな状況にあっても、
その中から、
少しでも、
楽しい要素を見つけ出していくことが肝要かな、と。
昨日は、
近所のスーパー銭湯に免許証を見せ、
お風呂に入った後は、
誕生日サービスの生ビールで、

一人でお祝い。
人間は、
究極、
一人で生まれてきて、
一人で死んでいくのですから、
一人でも楽しく生きる工夫が必要です。
四面楚歌、という言葉があります。
これは、
四方が敵だらけの状況を表しています。
孤独な状況というのは、
自分だけが、
一人ポツンと取り残されている感覚です。
大なり小なり、
人は、
孤独を感じるように、
できています。
理由は、分離、にあります。
分離とは、
大いなる源からの分離です。
平たく言えば、
神からの分離です。
敬虔なクリスチャンが、
どんなに過酷な状況にあっても心に平安があるのは、
神を求め、
統合に向かおうとするからです。
僕は、
キリスト教は好きではないので、
クリスチャンではありません。
平安を得るのに、
クリスチャンである必要はありません。
神への祈りや平安は、
クリスチャンだけの特権ではないからです。
一人が寂しいときは、
その周波数を手放します。
手放して手放して、
向かう先は、
源の意識、です。
それを、
神と呼びたい人は、
呼んでも構いません。
自分がしっくりくる呼び方でいいのです。
シルバーバーチは、大霊、と呼んでいます。
その大霊や源の意識に、
より近い存在が、
ハイヤーセルフ、です。
そして、
そのハイヤーセルフは、
自分自身でもあります。
その、
より源の意識、
大霊、
神に、
より近い存在であるハイヤーセルフ(霊界にいる自分自身)と、
繋がることが、
最高にして最適な統合であり、
分離(孤独)からの脱却法です。
この事実に気づいた人は、
神社や教会に行く必要はありません。
パワースポットだと思って行った神社で、
不成仏霊に憑依されて、
より不幸になっていく人も、
いますからね。
触らぬ神に祟りなしとは、
よく言ったものです。
わけのわからないパワースポットに行くよりも、
自分の中にこそ、
神への道があるよね、
という話でした。