イエス
自分はこうあるべきだ、という思いが強い人は、絶えずストレスに晒されています。
なぜなら、実態は、全然自分の理想像とはかけ離れているから。
まあ、勝手に理想像を描き、勝手に苦しんでいるという、自縄自縛の状態。
実は、これ、若い頃の僕の姿、でした。
もう遠い過去のことだから、こんなことが言えるのですが、ね。
で、こういう人は、マイナスの感情を持ちやすいので注意が必要。
理想の自分を描くのは、思考、すなわちエゴのなせる業。
理想の自分という幻想よりも、今ここにある自分の尊さに気づけば、すべては解決します。

僕たちに必要なのは、思考、ではなく、気づき、なのですよ。
まあ、気づきは、あなた(自分)次第だということですね。
高校時代のときどき行っていたロック喫茶、赤毛とソバカス。

吉祥寺にあったのですが、高校3年ともなれば、車の免許を持っている友達もいて、そいつらの車で吉祥寺に。
赤毛とソバカスは、ジャズ喫茶もあったのですが、当時は僕も仲間もだれ一人、ジャズを聴く者はおらず、当然ロック小僧で、ツェッペリンとか。
まあ、僕は、イエスとか、クリムゾンなんかをリクエストしていたのですが。あとは、ピンク・フロイドね。プログレが多かったですね。
ただ、当時一番耳にしたのが、ジェフ・ベックだったと思います。
ファンが多かったんでしょうね、その必然として、リクエストも多かったのだと思います。
確かに、ジェフ・ベックのギターはすげえとは思います。僕も、今でもたまに聴いています。
で、それはさておき、やっぱ、クリムゾンをリクエスト。
イエス、キング・クリムゾンときたら、ピンク・フロイドをリクエストしないわけには行きませんね。
と言うことで、
当時の、プログレ御三家と言うか、何と言うか。
思春期にいい音楽をたくさん聴いていたおかげで、老後も、これらの曲を聴くたびに、当時の楽しかった日々がよみがえります。
今でも年に三日くらいは、ひとりプログレ祭りで、プログレを聴きまくることもあります。

吉祥寺にあったのですが、高校3年ともなれば、車の免許を持っている友達もいて、そいつらの車で吉祥寺に。
赤毛とソバカスは、ジャズ喫茶もあったのですが、当時は僕も仲間もだれ一人、ジャズを聴く者はおらず、当然ロック小僧で、ツェッペリンとか。
まあ、僕は、イエスとか、クリムゾンなんかをリクエストしていたのですが。あとは、ピンク・フロイドね。プログレが多かったですね。
ただ、当時一番耳にしたのが、ジェフ・ベックだったと思います。
ファンが多かったんでしょうね、その必然として、リクエストも多かったのだと思います。
確かに、ジェフ・ベックのギターはすげえとは思います。僕も、今でもたまに聴いています。
で、それはさておき、やっぱ、クリムゾンをリクエスト。
イエス、キング・クリムゾンときたら、ピンク・フロイドをリクエストしないわけには行きませんね。
と言うことで、
当時の、プログレ御三家と言うか、何と言うか。
思春期にいい音楽をたくさん聴いていたおかげで、老後も、これらの曲を聴くたびに、当時の楽しかった日々がよみがえります。
今でも年に三日くらいは、ひとりプログレ祭りで、プログレを聴きまくることもあります。
もうずいぶん昔のことになりますが、とても不幸な女性がいて、その人の悲しみを消してあげたかったのですが、僕は、どうすることもできませんでした。
今でも、その人のことを思うと、涙が流れます。
僕がキリスト教に興味を持ったのも、そのことと無縁ではありません。
イエスは、売春婦や取税人といった、蔑まれていた人たちと行動を共にしていました。
僕が、悲しみを消してあげたかった、と思った女性も、世間からは蔑まれていた人でした。でも、その心は、純粋だった。
「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」
イエスのこの言葉に、僕は泣きました。
誰も、他人を責めることはできません。僕も、同じです。
僕はクリスチャンではありませんが、イエスは、最大限尊敬しています。
ただし、キリスト教は大嫌いです。キリスト教に興味は持ちましたが、その実体は堕落していて、イエスの霊性は皆無です。
ごく一部、優れた牧師はいますが、その牧師の人格に拠ることが多く、やはりキリスト教は、中世の魔女裁判をはじめ、植民地支配の道具とされていたことなど、容認することはできません。
ただ、クリスチャンの中には素晴らしい人もいることも事実なので、そこが難しいところですね。
全くもって人生は、切な過ぎます。
今でも、その人のことを思うと、涙が流れます。
僕がキリスト教に興味を持ったのも、そのことと無縁ではありません。
イエスは、売春婦や取税人といった、蔑まれていた人たちと行動を共にしていました。
僕が、悲しみを消してあげたかった、と思った女性も、世間からは蔑まれていた人でした。でも、その心は、純粋だった。
「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」
イエスのこの言葉に、僕は泣きました。
誰も、他人を責めることはできません。僕も、同じです。
僕はクリスチャンではありませんが、イエスは、最大限尊敬しています。
ただし、キリスト教は大嫌いです。キリスト教に興味は持ちましたが、その実体は堕落していて、イエスの霊性は皆無です。
ごく一部、優れた牧師はいますが、その牧師の人格に拠ることが多く、やはりキリスト教は、中世の魔女裁判をはじめ、植民地支配の道具とされていたことなど、容認することはできません。
ただ、クリスチャンの中には素晴らしい人もいることも事実なので、そこが難しいところですね。
全くもって人生は、切な過ぎます。
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