ひろゆき
ちょっと失言すれば叩かれる今の日本では、
無名であることが一番の保身術かもしれません。
ひろゆきなどは腐るほど金があり、
自由に生きているようでいて、
危うい要素も多い。
彼の口癖は「無能」ですが、
他人を無能呼ばわりできるほど、
確かに、
マネーリテラシーには長けている、と。
僕は、
神長さんやペペさんなどの、
ダメ連方面にも親和性があり、
(あ、ペペさんは死んでしまいましたが)
生きづらさを感じてきた人間である一方、
個人的には、
ひろゆきは嫌いではありません。
ただ、有名になり過ぎたがゆえに、
めんどくさい人生を、
自ら呼び込んでいるようにも見えます。
おそらく彼は、
好きで有名になったのではなく、
流れで、
有名になってしまったタイプだとは思うのですが、
中には自己顕示欲から、
自ら進んで有名になりたがる人もいます。
現代日本では、
これは、
かなり危険な行為です。
それよりも、
人知れず、
ひっそり暮らしながら、
諸外国に比べれば、
インフラも民度も高いこの日本で、
自分なりの快適さを求めて生きるほうが、
賢いように思えてなりません。
今日は午後から雨予想だったので、
13時に検針業務を終えて、
先ほど帰宅。
なので珍しく、
午後にブログを書いています。
昨日はブログ記事を書いた後、
のんびり外出。
ウェルシアで買い物をした後、
隣の市の図書館の駐車場に車を停め、
本とCDを返却したのち、
歩いて近くのすき家へ。
牛丼並のランチセットを食べた後、
再び図書館へ歩く途中、
木々の美しさに足が止まり写真を。
写真は、
そんなふうにして、
ふと撮りたくなるもの。
そして歩いて行くと、
いきなり婆さんが僕を怒鳴りつけました。
どうやら、
僕が勝手に写真を撮ったと主張しているようで、
あれ、これ何処かで見た風景だな、
と思いましたが、
彼女の剣幕はすごく、
何だこのババアは、
と思ったものの、
そんなに疑うのならばと、
スマホの写真を見せてやりました。
以下が、その写真。
どこにも、ババアは、写っていません。
そもそも、ババアなど、撮る意志はゼロ。
おそらくそのババアは、
木の近くのベンチに座っていたのでしょう。
どうです、と僕。
他にも見せろ、とババア。
スライドして見せたらそれで納得したようで、
人の写真を撮るのは何とかだと、
まだ言っていましたが、
あ、これ、ひろゆきのアフリカ旅で、
ディレクターが現地の人にカメラを向けた時に言われていたな、と。
図書館から帰宅後、
ひろゆきの旅の続きを一気見。
一緒に旅をする気分で最後まで見ましたが、
人間のおおらかさについて、
思いを新たにした、
僕なのでした。
ひろゆきと堺雅人を一気見して、
やや目が疲れているのは、
ビデオデッキが壊れたのが端緒。
もうおそらく、
15年以上は使っているデッキですが、
電源を入れても起動しなかったりとか、
突然正常になったりとか不安定だったので、
これはやばいと思ったのは、
撮りためて一気見しようと目論んでいたVIVANTが、
見れなくなるのを恐れたため。
何とか正常に作動したときに、
そのときは午後の遅い時間でしたが、
そこから一気に7話まで見ました。
見終わったのは深夜で、
その後は、
リアルタイムで見ることに切り替え。
あの砂漠の風景が目に焼き付いていたせいか、
ネットで、
砂漠にいるひろゆきを発見。
17日まで無料で見られるとのことで、
滅多に見ることのないamebaTVで、
アフリカを横断するひろゆきを見ています。
途中から、
東出昌大が合流し、
同行するディレクターも、
なかなかの能天気ぶりで、
ひろゆきのマイペースの自分軸も健在。
アフリカなんて、
自分では今後行くことのないところを、
まったく自由自在に旅してくれるところがおもしろい。
さすがに一気見するには、
量があるので、
昨日は、#5まで見ましたが、
無料期間中には、
見終えることにしませう。
僕は転職が多かったのですが、
パワハラ上司は論外としても、
苦手だったのは、
イライラしている女性社員。
ときどき、いますよね。
昔はよく、
そうした女子社員に対して、
欲求不満なんじゃね、
とかいう人がいましたが、
今だと、
それもセクハラとかになるんでしょうね。
以下は、ひろゆきが言っていたこと。
自分が「余裕」を持っていないときには、あることが気になり始めます。 それは、まわりの人への「嫉妬」や「イライラ」です。 同じ職場でうまくいっている人がいたときに、フツーに喜べなくなるのです。 「どうせ何かずるいことをやったんだろう」「あんなのは大したことない」などと思ってしまいます。 そうやって周りの人にイライラしているときは、自分の心の中に余裕がないサインです。
自分の仕事などの中で「重要なことが何か」がわかっているときには、それに集中して取り組んでいるはずです。 そういう状態であれば、他の人に「嫉妬」や「イライラ」を感じることはありません。 成功した人を見ても、素直に「すごいね!」と思うことができます。 逆に、自分の中で何が重要なのかがわかっていないときは、「焦り」や「不安」が生じます。それが、他人への攻撃に向かってしまうんですよね。 ということで、他人に対してイライラするときは、「自分の中に余裕がないな」「何が重要なことかわかっていないんだ」と、自省するといいでしょう。そうやって自分のことに時間や労力を費やしたほうが、イライラで消耗するより何倍もマシだと思いますよ。
うーん、 それと、もう一つ言えるのは、
強気、の大切さ。
会社なんかでも、
ここを首にされたらどうしようなどと弱気になっていると、
そのビクビクした波動が不幸を呼び寄せてしまいます。
別にこの会社を辞めても、
人生いたるところセイザンありだ、
と、思っていると、
その強気の波動が、
一種のバリアとなって、
上手く行くもの。
最近、僕が体調を崩した原因の一つも、
ある人に同情して悲しくなり、
波動を下げてしまったから。
こちらの本の内容に、
近いかもしれない環境で、
かつて知り合いだったある女性が、
今もまだ苦しんでいるのではないかと危惧したから。
少女時代の悲しみ、
思春期の街での放浪の彼女の過去を、
わずかですが知っていた僕は、
純粋な人間が傷つけられる世の中
慟哭せざるを、得ませんでした。
しかしそうした同情も、
度を越せば、波長同通で、
自らの体調をも崩すことを、
身をもって、知りました。
そこは大いに反省して、
今は、そのような愚かなことは、
ないように切り替えました。
強気の波動、
これを覚えておくと、
強力な護身術にもなりますね。
ホワイト企業であっても、
その組織の中で長く働いていれば、
その組織の色に染まっていきます。
まあ、たとえ染まっても、
ホワイト企業であれば、
さほど問題はありませんが、
これがブラック企業だと、
悲惨なことに。
過労死するまで働くとか、異常な世界。
でも、
その企業内の価値観に染まってしまえば、
他の選択肢が思い浮かばなくなります。
カルトに至ってはさらにひどく、
死後の行き先まで教団に握られているので、
操られるがまま。
以下は、文鮮明教祖の“お言葉集”からの一部抜粋。
岸(信介)首相は霊界に行っていますが(亡くなっているの意)、その次に福田(赳夫)首相です。福田は、私が首相にさせたのです。中曽根(康弘)も私が首相にしたんです。(98年6月10日/294巻)
中曽根の時は(略)、130人の国会議員を当選させ、20ある国会の委員会のうち、13の委員会の長は、私が立てた人になりました。(04年9月16日/468巻)
安倍晋太郎は私と契約書まで書いたのです。これを発表すると、世の中がひっくり返ります。その時の約束はというと、自分が首相になれば、80人から120人の国会議員を連れて漢南洞(文氏の自宅があったソウルの地名)を訪問するということでした。(95年10月22日/273巻)
安倍元総理の父が安倍晋太郎。
彼は総理にはなれませんでしたが、
息子は、二度も総理を経験。
統一教会の解散請求、
いつやるんですか?
今、でしょ。
議員さんも、
腹をくくってください。
以下は、そのリトマス試験紙。
最初から、25分くらいまでを聴けば、
概略がわかります。
三浦瑠璃の薄っぺらさも浮き彫りに。
山谷えり子の悪質性は必聴。
日本の教育を、疑うことなく生きていると、
隷属的人生が、待っています。
それは長らく、
日本の教育が、
平均的な労働者を大量生産するために、
プログラミングされたものだから。
一方、そうした頸木から自由に生きてきた人たち、
たとえば、斎藤一人さんとか、ひろゆきなどは、
ストレスなく自由に生きて、
大金持ちで自由を謳歌。
一人さんなどは、中卒を売りにしていますが、
実は、その中学校もろくに行っていません。
でも、卒業後、自分で商売をはじめ、
あっという間に大金持ち。
ひろゆきも、自由に生きた結果が大金持ち、と。
割に合わないのは、平均的な人たち。
まじめに先生の言うことを聴き、
まじめに受験戦争を勝ち抜き、
地合いが悪ければ、就職難。
運よく新卒で大企業には入れても、
過労死で死んだり、とか。
以下は、集英社オンラインからの抜粋。
さまざまな国際調査で、日本のサラリーマンは世界でいちばん会社が嫌いで、仕事を憎んでいることがわかったこと。それも小泉政権の「ネオリベ」改革以降の話ではなく、日本企業が世界を席巻していたバブル全盛期の1980年代ですら、日本のサラリーマンよりアメリカの労働者の方が自分の仕事に誇りをもち、友人にいまの会社を勧めたいと思い、「もういちど生まれ変わっても同じ仕事をしたい」と答えていた。日本のサラリーマンが仕事を憎むのは、新卒でたまたま入った会社に40年も「監禁」されるからだろう。
それに追い打ちをかけたのが、一人当たりの労働者がどれくらい利益をあげたかを示す労働生産性の国際比較だ。日本のサラリーマンは長時間労働とサービス残業で過労死するほど働いているにもかかわらず、アメリカの労働者の6割程度しか稼いでおらず、主要先進7カ国(G7)の中では1970年以降、約50年間にわたって最下位の状況が続いている。
うーん、いやいや働いても続かないし、
続いたとしても精神を病むのが落ち。
勿論、一定数の平凡な人たちの中には、
サラリーマンが向いている人もいて、
十把一絡げには、できないのですが、
僕などは、
サラリーマンがつらくて辛くて、
安定したのは35歳。
逃げ回っていた人生ですからね。
でも、逃げ回ったおかげで、
過労死をしなくて済んだし、
人生何とかなるという楽観も、手に入れました。
で、何が言いたいのかというと、
仕事がつらいのならば、
電車に飛び込む前に、
転職したほうがいいし、
もっと自由になりたいのならば、
お金を貯めてFIREしたほうがいい。
何にしろ、自分が主役の人生を生きないと、
人生はもったいなさ過ぎ。
僕は、適度に横歩きをしながら、
転職するたびに、
居心地の良い職場を見つけてきました。
そもそも当時は、
FIREという概念もなく、
貯金体質でもなかったので、
サラリーマンを続けるしかなかったのです。
僕のようなタイプは、
老後に暇を持て余すことはなく、
むしろ今こそが、
人生ど真ん中、
なのです。
日本人は休むことが苦手、ということをよく聞きます。
これは、僕には全く当てはまらないので、そうかなあ、と思っていましたが、
アンケートなどによると、定年後も働きたい、と答える人が多いです。
まあ、その働く内容にもよりますが、
動機も、様々でしょう。
僕がバイト先で出会う男性はほとんどが、
暇でしょうがないから働いている、という感じでした。
一方、ブログパトロールをしていると、女性の場合は、
お金のため、生活のために働いている人が多い印象。
これには、当然ながら理由があり、
貰える年金の平均額の差を見れば、
頷けます。
さて、日本の労働観と西洋の労働観の違いについて、
ひろゆきがおもしろいことを言っていたので、紹介します。
いまの会社や職場で、「2週間以上の休み」はとれますか?
たぶん、1週間くらいが限界ではないでしょうか。
というのも、日本には「バカンス」という文化がないからです。
ヨーロッパにはバカンスという文化があって、何週間も、ヘタしたら1ヵ月くらい休みをとることが当たり前です。
もし、仕事関係のことである会社に問い合わせても、「その担当者はバカンス中で、お返事は1ヵ月お待ちください」と返されることだって、よく起こります。
それくらい、「やりがい」よりも「休むこと」のほうが重要なのです。
キリスト教の価値観では、労働は「罪を償うため」にやるものです。
その行為に対して、「汗水たらして働くのは尊い」と洗脳させたのが、日本の労働価値でしょう。
歯車として頑張って、社内だけで評価されるような仕事は、その時間だけ割り切ってやればいいだけです。
本当にやりたいことは、「業務外」、つまり自分の時間にやればいいし、思いっきり休めばいいんです。
それとは別に、「社会的評価」が得られる仕事もあります。クリエイターっぽい仕事なら、自分の名前が世に知られるきっかけになったりします。
そういう仕事なら、業務外でもやりがいを持って働けばいいんでしょうが、そうではない仕事は「別物」として捉えましょう。
うーん、 労働は罪を償うためにやるもの、とのキリスト教的価値観が、
土台にある西洋と、明治以降の教育洗脳による日本的労働観では、
ずいぶんと違いがあるものですが、
先日亡くなられた藤子不二雄さんなどは、クリエイターですから、
死んでも名が残るし、今も印税を稼ぎ続けていて、
そのような仕事であれば、罪を償う的な労働とは違い、
創造的な作業ですから、
死ぬまででも、働けるのではないでしょうか。
僕のことで言えば、転職が多かった現役時代、
瞬間風速的にやりがいを感じたことはありましたが、
生きるためにやらなければならないという位置づけでした。
ただ、長く続いた二つの会社は、共に穏やかな勤務というか、
ノルマをこなすような過酷な仕事ではなかったので、
息をし易かったですね。
結論として言えることは、
過酷な労働からは、逃げる。
そして、自分が生きられそうな現場を見つけたら、
そこで長く生き抜ける方法を模索する、
ということが肝要か、と。
いずれにせよ、休む時間をしっかり確保することが、
健康を保ちながら人生を長持ちさせるコツ、
なのではないでしょうか。
実は僕も、
かつては、
「目標がないと生きがいを感じられない人」
でした。
そして、
いろいろなことに、
罪悪感を感じてしまう人間、
でした。
かくあるべし、
という思いが、
強かったのですね。
これについて、ひろゆきが、面白いことを言っているので紹介します。
自分磨きが当たり前になることによる弊害。 それは、「何もしていない人」「ダラダラ過ごしている人」が「もったいない!」「人生を無駄にしている!」「何も考えていない!」と、攻撃される対象になってしまったことです。 あたかも悪いことをやっているかのようになったのです。 それにより、週末に何も生産的なことをせずにダラダラ過ごしている人が「私はダメな人なんだ……」「みんな頑張っているのに……」と、罪悪感を持つようになったんです。 でも、それって、ちょっと行き過ぎなんじゃないかと僕は思うんですよね。 別に、自分の時間に何をしようが、その人の自由なわけです。ダラダラすることが無駄なのであれば、なんのために生きているのでしょうか? バリバリ働いたり、時間を有効活用している人は、逆の見方をすると、「目標がないと生きがいを感じられない人」です。 つまり、ヒマな時間を上手に過ごすことができない。それって、かなり息苦しい人生だと思いますよ。 ということで、ダラダラ過ごすことに罪悪感なんて持たずに、ヒマな時間をヒマなものとして過ごせるほうが、人生は豊かだと思います。
うーん、勝間和代と議論したひろゆきが、
彼女をフルボッコにしたのは、何年前でしょう。
僕は、勝間さんの考えも理解できますが、
人間は、そんなに立派ではないし、
ましてや、ロボットではないのですよ。
休日も、好きなように過ごせないのでは、
何のために生きているのか分かったものではありません。
充実感、
とやらの胡散臭さも、
一考の余地があります。
以下は、クリシュナムルティの言葉。
もしあなたが「私は退屈している。だから何か他のことをやりたい」と言うなら、あなたは単に退屈から逃避しようとしているだけなのです。そして私たちの活動の大部分が逃避であるため、社会的な面だけでなくあらゆる面で、あなたははるかに多くの実害を及ぼすことになるのです。あなたがありのままの自分でいるときより、あなたがあなた自身から逃避するときの方がはるかに実害は大きいのです
太字にした部分は、僕が強調したいところ。
あるがままの自分に向き合うことの功徳は、計り知れません。
目標を与えられ、走らされる人生ばかり生きていると、
このことの重要性に気づきません。
その結果、虚しさから逃避するために、
アルコール、セックス、ギャンブル、爆買い、などの刺激を求めます。
場合によっては、戦争すら引き起こします。
本当に豊かな人は、
ダラダラ過ごしていても、
罪悪感など微塵もないし、
そのだらしない自分をも、
楽しめてしまうものなのです。
今は付き合いがありませんが、
ストレス解消に風俗に行くという奴がいました。
一回行けば万札が飛ぶ場所に、
ストレスの解消を求めると、
お金などはたまるはずもありません。
勿論、それ以上に稼いでいれば、別ですが。
さて、そのことについて、
ひろゆきがいいことを言っていたので、紹介します。
「ストレス解消」と言われて、最初に何を思い浮かべるかが大事です。
大前提として、「お金をかけない方法」を持っているでしょうか。
もし、「ストレス解消=お金を使うこと」しか思い浮かばないようなら、危険です。
それを当たり前だと思っていると、今度は「お金を使わないと満足できない」という体質になってしまいます
そうなってしまうと、依存症に陥ったり、借金の入り口になったりするのです。
そうならないためには、お金をかけないストレス解消法を1つは持っておくことです。
「目覚ましをかけずにひたすら寝る」とか、「坂道を思いっきり走る」とか、「子どもと思いきり遊ぶ」とか。
タダでできることを1つは持っておきましょう。
それがあると、たとえお金がなくても、働いていなくても、いつでもストレス解消をすることができます。
お金を使うのは、それをやった後です。
それも、高いお金を使うのではなく、「1000円以内で考えよう」とか「2000円は好きに使おう」とか、低い金額で考えるようにすべきです。
そうしないと、あっという間にエスカレートして、「100万円の時計を買った」とか「ギャンブルで10万円が消えた」ということになってしまいます。
その入り口を作らないためにも、「0円でできること」を手段として1つ持っておきましょう。
うーん、 まさに、ひろゆきが普段言っていることそのもの。
子供の頃、赤羽の桐ヶ丘団地などで、
人物観察してきただけのことはあります。
僕の場合、街歩き、川沿い歩きなどの散策と、
図書館巡りが趣味なので、
それがストレス解消にもなっているのでしょうが、
そもそもゆるく暮らしている日常では、
ストレスを感じることも、稀。
先日、請負アルバイトの仕事で歩いているときに、
犬に吠えられたときは、少しストレスを感じましたが。
中型犬以上の大きさの犬が、いきなり吠え掛かってくると、
びっくりするし、心臓もどきんとしますからね。
その日は、3匹ぐらいの犬に吠えられたので、
そのときは、確かにストレスでした。
で、何の話でしたっけ?
ああ、そうそう、ストレス解消も、
お金をかけずに工夫しようよね、という、
話でした。
あ、お金のかからないストレス解消法であり、
趣味にもなるのが、瞑想。
心には、
時空間の制限がありません。