自分には、
根を張れる場所がどこにもない、と、
思っていました。
仕事のことです。

周りを見渡すと、
公務員になったり、
安定した会社員生活を送っていたりと、
特に何の問題もなさそうにして、
生きている人ばかりでした。


自分だけが、
どこの会社に入っても、
長続きがしない、と。
そんな二十代の真ん中ごろには、
統一教会にいたこともあったのですが、
そこの集団生活も、
二年でとんずら。
とんずらできたから、
今につながる人生の流れがあったわけで、
あながち、
長続きがしないという特性も、
悪いことばかりではない、と。



人生に絶望し、
引きこもりにもなり、
それでも、
生きていくために、
またぞろ働き出し、
などするうちに、
三十を過ぎ、
周りの友人たちは、
結婚をし、
子供も生まれる中、
僕だけが、
歩くダメ人間みたいな。
筋肉少女帯の踊るダメ人間が、
頭の中を駆け巡り、
30を過ぎてもなお、
ふらふらとさまよっていた日々。
その後のことは、
何度もこのブログで、
書き記してきたので、
繰り返しませんが、
人生には、
どうしようもない流れのようなものが、
あるのではないか、と。


個人では、
如何ともしがたい流れ、
です。
しかし同時に、
どうしようもない流れがある一方、
個人としての、
自由意志もある、と。
で、僕の自由意志はと言えば、
少しでも居心地の良い場所のほうへと、
歩き続けてきただけのこと、
のように思います。
そんな僕が、
たどり着いたのは、
ビル管理業界。
どの業界でも、
続かなかった僕の、
駆け込み寺的な場所でした。
先週、
友人Oと、
本庄早稲田の杜ミュージアムに行ったのですが、

35歳の時に、
この友人Oの紹介で、
入ることのできた会社で、
会社員生活の安定を、
得ることができました。
その後、
転職はしましたが、
同じ業界で、
働くことができ、
今の年金生活へとつながっています。


























