高校時代は、結構遊んでいました。

友達の車に乗って、吉祥寺の赤毛とソバカスに行って、よく、レッド・ツェッペリンとか、ディープ・パープルを聴いていました。

当時僕は埼玉県の南端にある、入間市というところに住んでいて、よく都内にも遊びに行っていました。

父が、横田基地に勤めていた関係で、結構福生にも行きました。

福生と言えば、村上龍の、「限りなく透明に近いブルー」でしょうか。

吉祥寺に近鉄デパートがあり、その近くに、赤毛とソバカスはありました。隣がジャズ喫茶でしたね。

地下にあったことは覚えています。当時僕はハイライトを吸っていて、なんだか背伸びしていましたね。

昔のことを思いだすのは、年を取った証拠でしょう。

全くの風来坊だった僕は、いったいどれほどの町に移り住んだのでしょう。

思いだせるだけ振り返ってみると、実家を出て最初に住んだのが、板橋区仲町です。大山ハッピーロードが近くにあり、便利でした。

そのあと、統一教会に入ってしまい、赤羽で暮らしました。そのあとが小岩、葛西、です。

いやいやちょっと待った、板橋に行く前に、新潟の湯沢で、ひと冬を過ごしました。スキー場でバイトしたのですね。

思いだしました。湯沢の後は、高尾です。高尾に男女4人で家を借りていました。そのあとは、逗子に行きました。

そうです。板橋に行く前は、そうした街を移り住みました。

さらに、30代になってからは、イギリスに行き、チチェスターという小さな町で、暮らしました。

そのあとは、実家に戻り、坂戸市というところにマンションを買って住み、また親の介護で実家に戻りました。

たぶん、まだ、他にも住んでいる町があるような気がします。記憶に残っているだけを列挙しましたが、まだありそうだなあ。

また思いだしたら、書いてみます。