前記事で、
田舎の親がなくなり、
帰る故郷もなく、
都会をさすらううちに、
シニア世代になっていく人たちの、
話をしたのですが、
実家に帰って、
親と暮らすようになる人たちの中にも、
介護や親の世話といった問題が、
浮上してくる場合もあります。
妻も兄弟もいない単身者の場合、
介護になると、
一人で担わねばなりません。
もちろん、介護サービスを受けたりして、
助けてはもらうのですが、
介護度が重くなってくると、
僕のように、
介護離職ということも、
あり得ます。
僕は、56歳の終わり、
57になるあたりでの、
介護離職でしたが、
もっと若い年齢で、
親の介護が必要になる場合もあります。
以下は、THE GOLD ONLINEからの一部抜粋。
佐藤さん(40歳・仮名)は、大学卒業後、エンジニアとして6年間勤務していました。しかし過労で倒れ、やむなく退職。その後1年間の休養を経て社会復帰したものの、どの職場も長く続かず、4年前に実家に戻りました。現在は司法書士事務所で事務員として働いており、月の手取りは約17万円。都心まで電車で1時間ほどの首都圏近郊、築20年の2LDK賃貸(家賃11万円)に、両親と3人で暮らしています。「父も母も昔は自営業で、年金保険料を十分に払っていなかった時期があったようです。2人合わせても月10万円あるかないかくらい。だから、私の収入がなかったら生活が難しいんです」佐藤さん一家の収入は3人合わせて約30万円弱。そこから家賃11万円、水道光熱費3万円、食費・日用品5万円を差し引くと、残るのは10万円程度。医療費や突発的な出費があれば、貯金はおろか、赤字になることも珍しくないといいます。「一人っ子ですし、親戚ともほとんど連絡を取っていません。何かあったら、私が全部対応するしかない。老人ホームに入れる余裕なんてないので、最終的には私が面倒を見るつもりです」
うーん、 この人の場合は、
まだ親が介護状態ではないものの、
先行きを考えると不安だ、
という思いは、わかります。
僕がラッキーだったのは、
父の年金が、
それなりにあったから。
少なくとも、
僕の稼ぎを、
注入する必要がなかったのが、
大きいかな、と。
一昨日は、
巾着田に、
曼殊沙華を見に行ったのですが、
まだ、
満開には程遠かったです。
歩く道すがら、


きれいな花を写真に。
猫ちゃんも、



リラックス。
外国人の女性が、
寂しく咲いている曼殊沙華を写真に撮っていて、
その後木橋を渡り、

また帰ってきたところで、
英語で話しかけてみました。
この花は英語でなんて言うのですか、と。
リリー、という言葉が返ってきました。
なるほど、百合か、と僕は思い、
日本語では、
曼殊沙華というんですよと言ってから、
しばらく立ち話をしました。
彼女は大学を出たばかりで、
まだ働いてはおらず、
スイスから来て、
3カ月日本を旅するのだとか。
8月に来たらしく、
明日は広島に行くと言っていました。
だったらその前に、
川越に行くといいですよと、アドバイス。
なんやかんやと、
いろんなことを話したのですが、
英語を使うのはかなり久しぶりでした。

その後またブラ歩きをして、


カフェで早めのランチ。
ミントティーも、

なかなかの味わい。


曼殊沙華は、
まだ咲き誇るには間がありそうでしたが、

コスモスとか、

ほかの花がきれいで、
うれしかったです。

