映画「国宝」が、

大人気らしいのですが、

吉田修一の作家的体力は、

人間の闇を、

見つめることができる力に、

根差しているのかもしれません。


「あそこに安売りの靴屋の看板があるやろ? あそこを右に曲がってまっすぐ田んぼの中を進んだところが高校やったと。それでこの道をもうちょっと駅のほうに戻ったところに小学校と中学校があって・・。それよりももっとちょっと鳥栖のほうへ行ったところに前の職場。…考えてみれば私って、この国道からぜんぜん離れんかったとねえ。この国道を行ったり来たりしとっただけやったとよねえ」

上記は、

吉田修一の小説に登場する、

地方都市で暮らす、

もう若いとは、

言えなくなりつつある女性の、

セリフです。


女性にとって、

30歳前後というのは、

どんな意味を持つのでしょうか。


まあそれは、

個人差があるでしょうから、

一概には言えないのだと思いますが、

自分のことで言うと、

仕事が安定せぬままに、

先の見通しなど、

一切立たぬうちに、

過ぎていったのが30歳でした。


いや、

たとえ安定した職を得ていたとしても、

この小説の女性のように、

狭い世界で職を得て、

暮らさざるを得ない閉塞感は、

それもまた、

苦しいものなのかもしれません。


決まり切った人間関係、

決まりきったルーティンワーク、

その狭い世界で息をするうちに、

どんどん年だけを重ねていく焦燥感。


僕のことで言うと、

20代は、

割とゆっくり過ぎたというか、

悩みが多すぎて時間が長く感じました。


30代は、

前半がゆっくりで、

後半は速く過ぎ去った感じ。


そして40代、50代と、

さらに時間が過ぎゆくのが、

速くなっていきました。


60代の今は、

さらに時間が、

速く過ぎ去っていきます。


「一緒におると、なんかイライラするったい」

上記も、

吉田修一の同じ小説に出てくる、

別の女性のセリフ。


この女性が、

自分に会いに来てくれた男との会話が以下のもの。

「天神、来たことないと?」
「車で何度か行ったことはあるけど、街ば歩いたことはなか」

長崎からわざわざ福岡まで、

会いに来てくれる男を、

完全に下に見ているのですが、

好きな男と、

そうではない男とでは、

露骨に態度を変えるという、

わかりやすい設定。


実は僕も、

介護離職するまで働いていたホテルで、

8つほど年下の同僚にとっては、

イラつく存在でした。


彼が僕を呆れた目で見るときは、

大きくため息をつき、

「やれやれ」とつぶやくのが常でした。


「やれやれ、また残業かよ」

みたいに、

ざけんなよ、

とイラついたときに使う、

あの「やれやれ」です。


彼は手先が器用で、

確かに仕事は良くできたし、

もっさりした僕の仕事ぶりに、

イラつくことも多かったのでしょう。


僕は転職が多いので、

ダメな社員だったこともあれば、

有能だと思われた職場もあったので、

他人からどう評価されようと、

自分は自分だと思う気持ちが、

ホテル時代には確立されていたのです。


で、吉田修一の小説に戻ると、

国宝も、

おそらく深みのある内容なのだと、

推測できます。


映画のほうは、

3時間にも及ぶ長さだと、

聞いているので、

トイレのことを考えると、

二の足を踏みます。


と言うより、

今年は旅行でかなりお金を使ったので、

今は緊縮財政。


小説も、

おそらく、

図書館の待ち人数が、

かなりあると思われるので、

ほとぼりが冷めたころに、

借りるといたしましょう。


話は変わりますが、

先日見つけた燕の巣。

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命、がんばれ。






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