夏目漱石の最後の小説「明暗」で、
主人公の津田の叔父が、
津田の父親を評して言った言葉が、
緩慢なる人生の旅行者、でした。
津田の叔父は東京から出たことはなく、
一方の津田の父親は、
広島に三年、長崎に二年というふうに、
方々を移り歩かねばならぬ官吏生活。
官吏生活の最後の八年を神戸で過ごし、
最後は京都に終の棲家を持つ、と。
ひとところにとどまっていようと、
引きこもりで部屋から出なかろうと、
生きているだけで人は、
緩慢なる人生の旅行者ではありますまいか、と、
僕などは思っています。
街に雪は残っているものの、
昨日今日と天気に恵まれた僕。
予定とは違った旅程となりましたが、
青森でたっぷり時間を取れたのは、







最適化に導かれた証左。
太宰治ゆかりの場所も、




ありました。
青森市には、










たっぷり5時間ステイ。

海を見ながら寝ている外人さんも、

いました。

奥羽本線に乗って新青森で新幹線に乗り換えて、盛岡へ。
前日よりも少し早い時間に盛岡に着いた僕は、
早速街歩き。
盛岡は、駅前でなくても、



地下道が多い街。

岩手と言えば、



あの山、ですよね。
石川啄木の家にも、




行きました。
少しずつ、



日が暮れていきます。
川沿いの道を、





歩きます。
この後夕食を食べ、
帰りの新幹線で岐路につきます。

そう思うと何やら立ち去りがたい、



夕暮れ時の風景でした。
私的には今数えただけで もう12回程度引越しをしておりますのでございましたが 元の家に帰って来たのも数えたら
もっと回数が増えるのでございます
関東圏のあちこちに住みましたのでございましたが 余り感慨深いものがないでございました 若い頃は 数年で何度も仕事を辞めてあちこちで働いておりましたのでございましたが 先輩からは
お前は何でそう何回も仕事を辞めるのだ
と言われておりましたのでございましたが 今の職場では奇跡的に22年間勤めておりますのでございましたが 良い職場では無くてこの歳でもはや仕事にありつけ無いのでものすごく我慢我慢して今まで勤めておりますのでございました
今は左足が痛いのでございますが
足を引きずりながら仕事をしておりますのでございます 今迄勤務しておりました病院の中で一番給料も安くてボーナスは昔勤めていた給料の高い時代よりも
給料よりもボーナスの方が安いのでございましたが 母親は家にお金を全く入れなかったためにとてもたいへんでございました もう亡くなっおりますのでございましたが 父親は年金は月に5万程度でございましたが やはり私的には
食わせてやるのがとてもたいへんでございました 父親はそんな感じでございましたので預金など全くございませんでございました 2人とももう亡くなってしまったのでございましたが 最近では親と同期していても余り家にお金を入れていない方たちも大勢いるようでございます もう時代が違うのでございますね
素晴らしいブログ読ませていただきたいへんありがとうございます 私まで旅行した気分になりましたのでございました
また素晴らしいブログの更新を楽しみしておりますのでございます