「楽しい日本」を標榜する石破総理が、
初めて良い仕事をしたと思ったのは、
大阪高裁の判決について、
上告しない方針を明らかにしたこと。
「赤木さんのお気持ちそしてご遺族の気持ち考えたときにこの判決は真摯に受け止めるべきだとこのように考えて、上告しないということを決断したものでございます。」石破総理は公文書の改ざんを苦に亡くなった近畿財務局の元職員・赤木俊夫さんについて「自ら命を絶たれたことは本当に重く受け止めなければならない」と述べました。
真面目で律儀な仕事をする人が犠牲になる世の中は、
終わりにしていかなければいけません。
こうした流れも、
風の時代を感じさせます。
現役で働いているIさんは、
仕事が忙しく、
カレンダーがないということだったので、
先日僕の家にカレンダーを取りに来たついでに話をしました。
Iさんが持ってきてくれたロールケーキを食べながらの談笑。
その中で、驚くべき二人の共通点を再発見。
今でもあるのかもしれませんが、
Iさんや僕の中学時代は、
北辰テストというのがありました。
このテストにより、
他校の生徒との比較もでき、
その中で偏差値もわかります。
Iさんは、特に勉強をしているのでもなく、
普通に先生の話を聴いているだけで理解し、
川越高校に行ける偏差値でした。
ただ、その先の人生を考えた時、
そのような進学校に行って勉強してという人生に意味を見いだせず、
別の高校に進学。
高校時代もノートは持参せず、
勉強もしなかったので、
上位で入学したにもかかわらず、
卒業するころには最下位のほうに。
何とか高校は卒業したものの、
大学にも行かず就職もせず、
アルバイトをしながらバンド活動。
そして根底には常に虚しさがあった、と。
Iさんの話は、
そのまま自分の学生時代を見るようでした。
僕の通っていた中学は市内でも田舎のほうで、
同学年の生徒数は100名ほど。
1学年3クラスしかありませんでしたが、
北辰テストの度に順位は廊下に貼られました。
僕は常に1位か2位でした。
もう一人抜群に勉強の良くできる女子がいて、
その子が1位の時は僕が2位、
僕が1位の時はその子が2位、
と言う感じでした。
で、僕もIさんと同じように、
川越高校への進学を教師から勧められたのです。
浦和高校にも行ける成績だけど、
学区が違うからそれはあきらめろ、と。
そして結果的には、
僕もIさんも、
川越高校ではない高校に進学。
僕と常にトップを争っていた彼女は、
川越女子高に進学。
同学年に、
かつてテレビ朝日で、
久米宏とよく一緒に出ていた小宮悦子がいたそうです。
で、僕も、Iさんと同じように、
高校時代は勉強をほとんどせず、
卒業するころには最下位に近く、追試で卒業。
Iさんの話を聴いていてびっくりしたのは、
教師が成績が落ちたIさんを奮い立たせるためか、
入試結果で上位何番目かを教えてくれたこと。
実は僕も全く同じ経験をしています。
追試の時に、
お前入試の時の順位を知っているか、
と数学の教師に訊かれ、
首を横に振ると、
340人中4番目であることを教えてくれたのですが、
僕はとても意外に感じました。
当然自分が1番だと思っていたからです。
俺の上に3人もいたの?というのが率直な感想でしたが、
そのときの僕の成績は落ちに落ちていて、
追試に受からなければ留年というありさま。
昔勉強ができたなどという話は、
昔喧嘩が強かったというのと同じくらいに、
痛い話であり、
恥ずかしい話で、
本当は記事にしたくもないのですが、
Iさんとの共通点という意味で、話しました。
井の中の蛙大海を知らず、と言いますが、
田舎の中学で1番だったくらいで、
自分は誰よりも頭がいいと自惚れていたのです。
この自惚れがあったから、
簡単に作家になれると思い込み、
それ以外の人生計画を考えないほどのドン・キホーテぶり。
実は僕は14歳で、
学校の勉強をやめました。
その理由の一つが、
ある教師からの心ない言葉に傷つき、
その教師の前で、
俺はもう一生勉強はしない、と宣言したからです。
自分で言ったその言葉を律儀に守り、
高校に行ってからは、授業すら、
ろくすっぽ聞いていませんでした。
そしてIさんと同じように、
僕も高校卒業時、
進学も就職もせず、
何もない人として社会に出ていきました。
漠然と作家になるという夢はありましたが、
実態はアルバイトを転々とする生活。
さて、ここからが大事な話になります。

今僕は人生の晩年を迎え、
自分の来し方を総括しています。
そして浮かび上がってきたものがあります。
それは、それぞれの魂が、
本人に自覚があるかどうかは別として、
誰しもが羅針盤を持って生きているということ。
なので、訊ねるべきは自分であり、
他者の意見は参考程度にとどめること。
どんなに評判がよかろうと、
尊敬する人であろうと、
その他者が最後まで責任を取ってくれるわけではありません。
一切の責任を持つのは自分自身。
なので、霊能者や占い師、
あるいは宗教的指導者に、
何か言われたとしても、
自分の中にこそ、
尊い神性があることを忘れないことです。
とりわけ、
あなたは誰それの生まれ変わりです、
あなたの過去世は誰誰ですと、
いうような霊能者や占い師は、危険です。
他人の過去世などわかる人はいないし、
仮にわかっていても、
ホンモノはそれを口にしません。
Iさんと僕は、
それぞれ自分の過去世を何となくわかっていますが、
それもおぼろげなものです。
この世に修行に来ているのですから、
過去世などどうでもいいし、
知らなくていいのです。
ただ、ある程度霊性が向上してくると、
ごく自然にわかってくることがあります。
Iさんと僕は、
とても似た部分があることに、
先日はさらに気づきました。
二人とも、
他者の意見は尊重するし、
参考にすることはあっても、
どこまでも頼るべきは自分であるという境地にあり、
この境地に至った人は、
別に知ろうとしなくても、
自分の魂の傾向性がわかってくるので、
おおよその過去世の姿も分かってきます。
わかろうとしなくても、
勝手にわかってしまうことがあり、
いろいろと大変なこともありますが、
この地上を修行の場と定めて生きているうちは、
スピリチュアルなことは控えめにして、
世間の常識から遊離しないように配慮しつつ、
地に足を付けた地道な生活をして、
日々の暮らしにこそ重点を置いていきたいと、思っています。