奇跡の9連休と言われた年末年始の休みも終わり、
仕事始めの6日には、
退職代行会社に依頼が殺到しているとのニュースを見て、
さもありなんと思った僕。
以下はキャリネコニュースからの一部抜粋。
多くの企業で賃上げが進んでいるが、投稿を寄せた40代男性(素材・化学・食品・医薬品技術職/年収350万円)は、「うちの会社は昇給がありません。正確にはうちの部署ですが、入社から定年まで全く同じ金額になります。所謂ブラックでやつですね。今時ありえません」と、うんざりしている。昨今、就職や転職は応募者に有利である売り手市場と言われるが、男性は「何とか必要最低限に生活できてるため妥協して生きています」と、今のところ転職する気はないようだ。その一方で「あと15年同じ給料でとなると何となく虚しくなるような」とこぼす。東京都の50代女性(サービス・販売・外食/年収300万円)は、「勤怠管理がいい加減で社員にはタイムカードもありません。月末に出勤時間欄と退勤時間欄にハンコを押し、休みの日は手書きで休みと書くだけの出勤簿を提出するだけです」と不満を漏らす。
本心に逆らって生きるのは、
もう無理な時代になっています。
もう、気づいている人は多いかと思いますが、
風の時代になってからは、
取り繕うことができない世界になりつつあります。
スマップの中居君のことは、
僕はよく知りませんが、
9000万円の示談金というのは、
よっぽどのことでしょう。
比較するのもどうかと思いますが、
9000万円と言えば、
東電が帰宅困難者の4人世帯に支払った賠償金の平均額。
中居君は特殊な世界に生きてきたのでしょうが、
彼の同年代は就職氷河期世代。
たとえば、手取り20万円の人が、
昇給もなく40年働いて得るお金が9600万円です。
そう考えると、
9000万円という示談金が、
いかに高額かがわかります。
そこから類推するに、
かなり重度の肉体的精神的被害を、
その女性は負ったものと推測できます。
今までは、こうしたことももみ消され、
公にはされなかったのでしょうが、
今は風の時代。
もはや隠し事はできません。

前記事で取り上げた幸福の科学も、
公式コメントで、以下のように宣言していますが、

であるならば、遺体はどこかにあるわけで、
僕は熱心な会員だった時のことを思い出しました。
支部で桜の植樹で、1000万円の植福(献金)を達成し、
皆で喜び合い、いずれ総裁が帰天された後は、
あの大ストゥーパに、遺骨は安置され、
世界中から会員がやってくる姿を思い描いていました。
もう13年も前に退会した団体のことですから、
僕の心配することではないのですが、
このままではいつになっても総裁の遺骨は、
大ストゥーパには安置されないのかもしれません。
今年は昨年末からの継続で内省を重ね、
初詣に行ったのは5日のこと。
その地元の由緒ある神社で、
数年前になりますが、
幸福の科学時代にお世話になったFさんと会いました。
今はロヂャースに変わりましたが、
当時はライフがあった場所に車を停め、
歩いて神社まで行ったのですが、
急斜面を登りきったところで、
お孫さんを抱いているFさんと会い、
少し話をしたのを覚えています。
Fさんは早稲田大学を出ており、
頭がいいだけでなく武闘派でもあり、
極真空手の全日本大会を三連覇した三瓶啓二とも、
一緒に空手の鍛錬をしたこともある強者(つわもの)で、
その風貌は河合継之助に似ています。
そんな数年前のFさんとの再会を思い出しながら、
今年も地元の神社を参拝し、
2025年の成り行きに思いを馳せ、
風の時代の特質が、
さらに鮮明化していくことを感じ取りました。
時代は、動いています。
ふと気がつくと、
僕の高校時代のクラスメイトも、
すでに4人死んでいて、
しかもそのうちの3人は体格も良く、
当時ひ弱だった僕が、
肉体的にコンプレックスを持っていた奴ばかり。
なんか頭の毛が抜けるように、
同年代の友人や知り合いが、
この世から消えていく儚さは、
何と言っていいのやら。
大半の友人が高卒後の進路として、
大学や会社へと旅立ったのに対し、
僕だけはプータローのまま卒業。
作家になるという根拠のない自信だけが、
唯一の支えでした。
村上龍が「限りなく透明に近いブルー」で芥川賞を取った1976年当時、
僕は高校生で、大学に行く気も就職する気もなく、
ぼんやりと卒業する前の、ちょうど今頃の時期、
八高線に乗って東福生で降り、
横田基地沿いの道をぶらぶら歩いて、
国道16号沿いのドライブインの屋上に行き、
これまたぼんやりと飛行機を見たり、
広大な基地を見たりしていました。
自分がこれからどうなっていくのか、
作家になりたいとは思っているものの、
本当になれるのか、
そうした不安はあるものの、
ただただこの目の前に広がる荒涼たる風景のようなものを、
作品にできはしないかと、考えていました。
それまでに読んでいた本と言えば、
ヘルマン・ヘッセとエミリー・ブロンテくらいのもので、
読書家でもありませんでした。
もう50年近く前のことになりますが、
この時期になると、
無性にあのドライブインに行ってみたくもなりますが、
今やドライブインという言葉さえ死語に近いのかもしれず、
当然そのドライブインも、今は跡形もありません。
ピンク・フロイドのアルバムを聴くと、
当時の不安と焦燥と孤独がよみがえってきて、
今の僕にはそれも、一つの心象風景になっています。