また一人、友人が死にました。
入院しているのは聞いていましたが、
年が明けてからの1月半ばに他界。
これで、
同じクラスだった男が、
5人死んだことになります。
男子18人、女子24人のクラスだったのですが、
18人のうち5人の死って、どうなのでしょうか。
女子のほうも、
知っている限りでは1人死んでいますが、
何しろ同窓会に出てくる人間は毎回減り続け、
昨年の出席は12人。
なので、
情報の入ってこないクラスメイトの中には、
すでに死んでいる者もいるかもしれません。
事程左様に、死は、
僕にとって身近に感じられるものに、
なってきています。
そうなると、
自分の身に照らし合わせて、
人生を最適化したくもなりますよね。
しみじみとそんなことを思い直した僕は、
昨年暮れから英語学習を再開しました。
僕は30年前に、
英検準一級を取ったのですが、
僕の体感としては、
僕の英語力は穴だらけ。
その自覚があるので、
なんかこの中途半端な英語力を、
せっかくリタイア生活をしているのですから、
行けるところまで伸ばしてみようかな、と。
まあこれも、
タイムリッチなシニアライフだからこその贅沢かも。
ただ、前提として言っておくと、
日本人にとって、
本当は英語はそんなに重要じゃありません。
日本は翻訳力が優れていて文化程度も高いので、
母国語で海外の優れた本が読めるから。
そうした本を原文で読もうとしたら、
大変な労力なので、
英語そのものが好きな人だけが学習すれば十分なのです。
英語ができなくたって、
なにも困ることがないのが、
日本の凄いところなのですから。
図書館に行くと英語の本もいろいろあって、
その中には、改めて気づかされるものもあります。
たとえば、以下のようなこと。
Weは限定的な「私たち」であって、
そうではない人たちがいることが前提なのだということを、
アメリカ人で在日期間の長い方が、

自著で語っていました。
We have four seasons in Japan.
Sorry, we don't carry leather goods.
こうしたWeの使い方はオッケー。
四季のない国もあるし、
革製品を扱っている店もありますからね。
「インターネットを使えば、どんな情報も手に入れられる」
という日本分を英文にする時、僕は以下のようにしていました。
We can get all kinds of information on the Internet.
Weは人間一般を表せない限定性があるということを知っていれば、
そもそもこういう英文にはならないと。
でも僕は、上記のような形で今までWeを使っていました。
では、ネイティブはどう言うのかというと…
You can get all kinds of information on the Internet.
「私たち」を含む人間一般を指すyouですね。
You never know what the future holds.
You can't smoke in the lobby.
上記の英文などは、限定のかからない一般性の例。
getとtakeの微妙な違いも、
ネイティブの感覚で説明されていました。
getは「与えられて得る」感じで、
takeは「自分の意志で取り込む」感じ。
My brother always gets the biggest piece of cake.
兄はいつも一番大きなケーキを貰う。
Mam is serving.「ママが割り振る」という働きかけがあって、与えられる感じ。
My brother always takes the biggest piece of cake.
兄はいつも一番大きなケーキを取る。
He's serving himself. 自分の意志で一番大きなケーキを取っている感じ。
ただ、「自分の意志で取り込む」と言っても、
間違えてby mistakeや偶然by accidentに取る場合にも用いられます。
I think someone took my suitcase by mistake.
この辺りの感覚は、
英語を外側から学んだ僕たちには、
体感として欠けている部分がある、と。
だから僕は、
イギリスやアメリカの小学生が学ぶ教科書なども、
見るようにしています。
そうすると、getとtakeの違いがより分かってきます。
たとえば、I took the train to Kyoto.は言えても、
I got on the train to Kyotoはおかしな英文になります。
その理由は、
動詞がカバーする意味の範囲が違うから。
get on the train電車に乗る
take the train電車で目的地まで移動する
ずいぶん昔のことになりますが、
オーメンという映画を観た時に、
男が犬に命令した台詞がTake him. で、奴を殺せ、
という意味で takeが使われていました。
状況によっていろいろな意味でつかわれる基本動詞の奥深さを、
感じたりもしたのですが、
僕が英語をやり直したい理由のもう一つが、
原書でしか読めないものがあるから。
仏教とキリスト教をそれなりに研究している僕は、
主イエスの教えが捻じ曲げられた経緯を調べていて、
313年にコンスタンティヌス帝によって、
キリスト教が公認されたあたりが、
人類史のカギとなると思っています。
異端として排除されたグノーシス派のほうにこそ、
受け継ぐべき真実がある、と。
哲人皇帝マルクス・アウレリウスの時に、
キリスト教が受け入れられていれば、
その後サタンに乗っ取られたかのような、
キリスト教の暗黒史はなかっただろうと。
で、何が言いたいかというと、
翻訳本を読むには限界がある、と。
その領域にこれから挑むとなると、
時間がいくらあっても足りませんが、
チャレンジしてみたい気持ちはあります。
ただ一方で、
AIの進歩には目覚ましいものがあり、
これから10年かけてやっと原書が読めるようになった時には、
クリック一つで自動翻訳ができるように、
なっているのかもしれませんが(笑)。
まさに、松本清張の「或る小倉日記伝」の世界ですね。
それでも、
コツコツと研究を積み上げていくのが好きなので、
やってみようと思っています。
同時に、
イスラム教のスーフィズムや、
西田幾多郎の足跡(特に京都時代)及び膨大な著作群、
天台智顗の摩訶止観の研究もまだ道半ばで、
一日28時間くらいは欲しいところ。
二つ前の記事で、
横田基地やドライブインのことを書きましたが、
当時FENというのを、
英語もわからないまま、
聞いていたことを思い出すとともに、
ネットでそのドライブインらしき、
当時の写真を見つけたので貼っておきます。

いかにも昭和という感じでしょ。
韓国もアメリカも分断が進んでいますが、
今、世界中のあらゆるところで分断が起きている理由は、
統合と分離の流れが先鋭化してきているから。
この統合と分離の理解がないと、
身の回りの状況に振り回されて、
自分が何をしたいのかすら、
わからなくなっていきます。
世界情勢も混沌としており、
今年はさらなる混沌が予見できますが、
日本ではなかなか放送されないことも、
VOAを聴くことにより、
いま世界で何が起きているかを、
いち早く知ることができます。
そういう意味でも英語を学ぶことは、
世界の最新の在りようを知る上でも、
大いに生きる力にはなっています。

