前記事で、幸せは未来にあるんじゃなくて、
今にしかないよ、という話をしたのですが、
今回はもう少し詳しく書いてみます。
それと言うのも、
最近ある人からメールをもらったのです。
ずいぶん久しぶりだったのでびっくりしたのですが、
彼はモルモン教徒のアメリカ人。
もう十数年前になりますが、
僕が幸福の科学の信者だった頃、
世界宗教にするには、
キリスト教を伝道する必要があると思い、
ずいぶん多くのクリスチャンに会いました。
プロテスタントの牧師だけでなく、
カトリックの神父、
さらには彼のようなモルモン教徒にまで会って、
いろいろと話をしたのです。
こうした活動は、
当然所属する支部の支部長(教団の職員)にも、
報告していたのですが、
あまりいい顔はされませんでした。
僕のそうした活動は、
支部の実績にはならなかったからです。
支部には毎月、
伝道と植福(献金のこと)の目標が本部から与えられ、
支部長はその数値目標を達成するのに頭がいっぱいでした。
なので、
僕がいかにキリスト教伝道の大切さを訴えても、
あまり興味はないようでした。
すぐに数字になる話ではなかったからです。
で、そのメールを送ってきた彼からの文面は、
挨拶部分を省くと以下の通り。
I've never told you, but I once threw my faith away. I didn't like the word “rely.” I didn't want to feel like I had to rely on God. You might understand how that feels.
But over time, I learned something: Even though I'm an adult, I can't throw away my family. Everyone needs their family. If I was alone, life would be miserable. It's okay to trust my brothers and sisters. It's okay to trust God.
Relying on my family doesn't make me any weaker. Elder Merrell
簡単に訳すと、
まだあなたに話したことはないけど、
かつて僕も信仰を捨てたことがあるよ。
「頼る」という言葉が好きじゃなかったんだ。
神に頼らねばならない感じが嫌だったんだ。
あなたなら、この感じ、わかるかもね。
だけど、時間の経過とともに僕は学んだ。
大人になったときでさえ、家族は捨てられない。
誰だって家族は必要だ。
もし僕が一人ぼっちだったら、
人生は惨めなものになるだろう。
兄弟姉妹を信頼するのは自然なことだし、
神を信じるのもそうさ。
家族を頼ることは僕を少しも弱虫にはしないってことさ。
メレル長老
もう十数年も前のことですが、
隣の市の駅前マンションに住んでいたころ、
歩いて数分のところにモルモン教会があり、
無料の英語教室などもあり、
時々顔を出していたのですね。
モルモン教はキリスト教からは異端扱いされていましたが、
彼等もまた救済の対象であると思ったのです。
しかし彼らからすれば、僕もまた、
教えを伝える対象でもあり、
このようにメールなども、
忘れた頃に送ってきたりします。
で、おそらくほとんどの宗教団体が、
表現形態は異なるでしょうが、
いわゆるユートピアを目指しています。
地上天国と言ったり、
神の国と言ったり、
いろいろでしょうが、
目指すのは未来の理想世界。

その理想実現のために今がある、という考え。
しかしこれでは、
「今」は手段になってしまいます。
未来のために、
今を犠牲にする、
今を我慢する、
みたいな、
受験生のような人生です。
そしてその理想の未来とやらは、
いつになってもやってきません。
統一教会などでは、
摂理という言葉を使いますが、
この摂理は常に延長されます。
支配する側は、
ゴールを先延ばしすればいいだけ。
洗脳された信者は、
それでも理想の未来という希望があるから、
頑張り続けますが、
彼らも年を取っていきます。
どこの宗教団体も、高齢化が課題。
若い頃の情熱は擦り切れ、
いたずらに時間だけが過ぎていきます。
理想の未来のために、
今味わうべき家族の団欒を疎かにし、
時間とお金と労力を、
未来の理想という幻に注ぎ込むのです。
骨粗しょう症の骨は折れやすいように、
今という時間の大切さを見失って生きてきたツケは、
概ね晩年に訪れますが、
洗脳状態にあれば、
その気づきすら得られずに、
人生を終えていきます。
今、目の前にいる人、こそ、大事な人であり、
今生きているこの場所、こそが、人生です。
僕が幸福の科学をやめて、
来年3月で13年になりますが、
辞める前の3年間、
徹底的な検証を行いました。
それは、
自分の人生を、
悔いなく生きるためでした。
なぜ、幸福の科学を辞めざるを得なかったのか、
その詳細な理由は過去記事で書いてありますが、
信じていた教祖、教えを、
善意の第三者の立場になって検証する作業は、
僕に激しい葛藤をもたらしました。
自分の立っている土台、
レゾンデートルが失われる恐怖とも、
対峙せねばならなかったからです。
今日の話は、
ほとんどの人には興味のないことだと思うので、
スルーしてくださいね。
今日も楽しく生きる、
それだけで、
僕たちの人生は、
豊かさにあふれているのですから。
あるテレビて 一瞬懸命 と言う文字がございました それからあるテレビでございましたが その方はガンの手術をされておりまして 一日一生と言う言葉を使っておりましたのでございました
私的にももう平均寿命でございましたら
20年もありませんでございます
私的にも今を懸命に生きていきたいでございます ためになるブログいつも読ませていただいてたいへんありがとうございます
また素晴らしいブログの更新を楽しみしておりますのでございます