先日、父方の親戚の叔母から、
一周忌法要をするから来てくれとの連絡が。
少し考えたのち、
お断りしました。
僕自身、
死んだ父や母の一周忌法要を、
していないというのもありますが、
率直な気持ちは、
行きたくない、というもの。
この叔母は立正佼成会の信者で、
先祖供養に熱心です。
で、僕も、そういったことに、
一定の理解があることから、
呼べば来てくれると思ったのでしょう。
この叔母の夫は、
父の兄弟の中で最も年下であり、
最後に残っていた人。
昨年の、
この叔父の死によって、
父の兄弟は、
すべてあの世に。
その葬儀に参加した甥は、
本家の従兄弟と僕だけ。
他の甥たちは、
通夜にも告別式にも、
来ていませんでした。
それ自体は、
別に責められるべきことでもなく、
自由なこと。
僕は、
この叔父への思いがあったので、
花輪も出したし、
香典も多めに包みました。
でも、
今回の一周忌法要は、
まったく気持ちが乗りませんでした。
ある程度、
霊界のことがわかってくると、
そのような法要には、
ほとんど意味がないことがわかるから。
そのような法要を喜ぶ霊がいるとしたら、
未だに地上に執着があり、
スムーズにあの世に行けていない、
いわゆる不成仏霊。
叔父の場合は、
とっくに天国に行っているし、
法要など全く必要なし。
ただ、親戚が集まって、
自分の思い出話などを、
語ったりするのを見るのは、
それなりに嬉しいものでしょうね。
そうしたことは良いと思いますが、
坊さんを呼んで経を上げてもらうのは、
僧侶の生活の助けにはなるでしょうが、
参列者にとっては退屈で、
足が痛くなって苦痛でしかない。
そのような不毛な時間を過ごす気は、
僕には皆無なので、
お断りした、と。
まあこうした宗教関係の儀式は、
半ば習慣化され、
坊さんたちの既得権益にもなっているのですが、
風の時代がすすむにつれて、
こうした不毛な行事も、
次第になくなっていくでしょうね。