妻も子もいないおひとり様が、
50代になって介護となると、
仕事との兼ね合いが最も難しい課題。
僕の場合は、
それに加えて、
実家を出て、
一人で分譲マンションに住んでいたため、
二拠点生活での介護となり、
さらに大変でした。
その不便さを解消するために、
自宅マンションを売却した時は、
不動産価格は底値状態。
買ったときよりも、
45%も安い価格での売却でしたが、
僕が一番怖れていたのは、
売れずに空室のまま、
住宅ローンと管理費と修繕積立金を、
支払い続けることでした。
綱渡りだったと思います。
売却したのは今から12年前。
2550万円で買ったマンションを、
1470万円で売りに出し、
70万円の値引きを打診されたときは、
即座に承諾。
1400万円で売れたものの、
その全額を、
住宅ローンの残債の支払いに充てたため、
53歳にして、
無一文からの再出発。
わずかに株式を、
200株ずつ、
2銘柄持っていただけで、
それが全財産でした。
そして実家に戻れたので、
二拠点生活は終了。
介護はしやすくなったとはいえ、
今度は通勤が遠くなり、
往復4時間越えの通勤時間となりました。
通勤時間が長いことの疲労は、
じわじわと効いてきます。
疲労困憊の日々ではありましたが、
不思議に悲壮感は、
ありませんでした。
それは、
受け入れることが、
できたからだと思います。
マンションは隣の市の駅前にあり、
購入当初の予定では、
いずれ定年後は自宅に戻り、
その駅前マンションは賃貸に出すことで、
少ない年金を補填しようと思っていたのです。
しかし親の介護となってからは、
その目論見の甘さを痛感。
反省はしたものの、
状況を受け入れたことで、
悩むことはなかったですね。
ただ、先ほども言ったように、
売却しやすいようにと、
クリーニングをして空室にしてまで、
買い手を待つ日々は、
なかなかにつらいものがありました。
幸い、
売りに出して数か月で買い手が現れ、
値引きにも応じることで売却でき、
仕事と介護に、
集中できるようになりましたが、
会社までの距離は遠くなり、
往復3時間弱の通勤時間が、
往復4時間越えに。
この時期が、
僕の人生の、
踏ん張りどころでした。
バリアフリー化のために実家を建て直し、
その新しい家に父を迎え入れて
(病院からは早く退院してくれと矢の催促)、
父は新しい家に3年弱住み、
老衰でなくなりました。
死の3か月ほど前、
要介護度5になったところで、
24時間介護が必要になり、
勤めていたホテルを介護離職。
父の死の2年後に、
義母も他界。
16歳の時に、
実母を失った僕にとって、
父の再婚相手の義母は、
実の母のように相性が良かったのですが、
すべての家族を失って、
6年が経ちます。
月日の経つのは、
早いものです。
ずっと前からtao313様のブログを読ませていただきましたのでございましたが
最近では 孤独に耐えきれず 他のセミリタイアブログの方たちにもコメントさせていただいておりますでございます
私的には58歳の時に母親は介護施設のサービス付の高齢者施設のいわゆる
さ高と言う施設に入居しましたでございました 田舎の施設でございましたので 決まりもゆるくて 私的には 病院勤務でございましたので 土曜日も午後の1時まで仕事をして土曜日の午後3時半くらいに母親の施設に行きまして 土曜日の夜は 母親の施設の母の部屋に泊まり込みましたでございました 母親はトイレが近くて夜の深夜に2回くらいトイレに行きますので車椅子状態でございましたので トイレに連れて行く感じでございました 私的には 一旦起きるとなかなか眠れずっと土曜日の夜は 睡眠時間は2時間くらいでございました カレンダーの赤い日の日曜日と祭日のみ私は仕事が休みでございましたので 連休の時には連続で介護施設に泊まり込み
睡眠時間は2日で5時間くらいでございました 良く自分でもできたのだと思っておりますでございます コロナでもう施設に泊まれなくなって この私的な介護は やめましたでございましたが 母親は 昨年の4月に亡くなってしまいましたでございました とても残念で 私的には 誰かと話したくて 最近では ブログにてコメントさせていただくようにやりましたでございました いつもためになるブログどうもありがとうございます また読ませてくださいませ