定年まで数年を残して介護離職し、
父を自宅で看取ったとき、
父の年齢は89歳でした。
男7人女一人の8人兄弟の、
父は四男。
その父が、
今でいう中学生の時に、
口減らしのために、
親戚筋の家に奉公に出されます。
父は大正15年生まれであり、
同時に昭和元年だか2年だか、
ちょうど年号が変わる頃の12月に生まれたので、
年齢の計算がちょっと複雑だったのを、
覚えています。
14歳ころから働き始めたようで、
生家の食事よりも、
奉公先の北海道の食事のほうが良かったそうです。
で、前々回の記事で、
消えた年金が戻ってきた話をしたのですが、
年金制度が始まったときに、
いち早く会社に進言して、
入りたいと言ったそうなのです。
会社もそれを却下しなかったのは、
親戚筋であったということも、
あるかもしれません。
以下は、日本年金機構のサイト内記事からの一部抜粋。
厚生年金制度は、昭和17年6月1日に労働者年金保険法としてできました。この当時加入できたのは、一定範囲の男性労働者だけでした。その後、昭和19年6月1日に厚生年金保険法となり、職員や女子も加入できることになりました。ただし、昭和19年6月から昭和19年9月までは準備期間とされていたため、保険料の納付はなく、期間の計算は昭和19年10月からとなります。
ううーん、父は昭和19年ごろに、
支払った記憶があると言っていたので、
戦争中のことで、
何にせよ古い話。
当の本人が、
ハガキが来るまで忘れていたのも、
無理はない、と。

で、今日の本題、
父の年金受取総額ですが、
ざっと計算したところ、
7000万円台かな、と。
計算の根拠は、
ざっくりですが、
以下の感じ。
年240万円×29年=6960万円+220万円(消えた年金)
ざっくり言って、
7200万円ほどが、
父の年金受取総額ではないか、と。
今60代の僕と比べたら、
本当に父の世代は、
年金受給においては、
恵まれていたと言えるでしょうね。