昨日は、
午前中は晴れ間がありそうだったので、
御山へゴー。
3時間ほど山歩きをして、
いなげやで買い物をして帰宅。
さて、2回にわたって、
マイケルとブリックスという、
いわば一般人の霊の証言を紹介しましたが、
聖職者の中にもまた、
あの世に還ってから、
自らの間違いに気づいた者もいます。
そうした中から、
二人の霊を紹介します。
あの世からの通信者の中で最大の聖職者の一人は「コスモ・ラング」である。彼はカンタベリーの大主教を三十年にわたって務め、エドワード八世が離婚歴のある女性と結婚するに際しては、彼の不屈の反対が王を退位にまで追い込んだのであった。一九五九年、グリーンはいつもの質問を彼にストレートにぶつけた。「あなたが死んだとき、どんな様子でしたか?」「驚きました。私はある意味で偏狭な宗教的信仰を持ち続けてきたと思います。私がそれまで真実だと思ってきたことが、必ずしも正しくないことに気がつきました。そして私は今、これまで信じてきた多くの事柄が実際は間違っていたことを、はっきり認めています。人類は何世紀にもわたって、
上記もまた、
「500に及ぶあの世からの現地報告」からの抜粋です。

カトリックの大主教と神学者が、
同じように、
ドグマの誤りを認めています。
「そちらにも教会がありますか?」とウッズは一九六二年、エリザベス・フライに尋ねた。「地上近くの界層世界にはあります。そこにはさまざまな宗派の教会や教義があります。そしてそこにいる人々は、地上にいたときと同じようなことを続けているのです。彼らは自分たちだけの信仰の世界の中で、幸福感を味わっているのです。彼らは無知の状態の中で生きているのです。よく無知であることは最高の幸せである、というようなことが言われますが、どんな人間にも、より多くの知識を求めて飢えを感じるときがくるものです。少しでも多くのことを知りたいと思うときが、必ずくるようになるのです。そしてこれが人間の進歩の始まりなのです」
ドグマに拘束され、
狭い世界観の中で生きるようになると、
死後、
低位霊界にとどまったまま、
長い時間を過ごすことになります。
地上生活ではカルトの教義に縛られ、
死後もなお、
長い時間低位霊界にとどまり続けるという、
実に、割に合わない生き方です。
全ての人がスピリチュアリズムに目覚める日が来ればよいわけですが、現実はなかなか厳しい。
カルトにハマってしまうよりは、ハマらずに普通に生活できた方がよいし、普通に生活するよりも、スピリチュアリストになるべく、霊的真実を受け入れてその実践に努める方が(霊的視野でみると)望ましい、と思っています。
それでも、スピリチュアリストが、カルトにハマっている人と同類と判断されてしまいがちであることに、もどかしさを感じています。
そろそろ読書会なるものに参加してみようかと相方に相談したら、早速、上記のような反応があり、ちょっとがっかりしたもので。
宗教的な臭いのするものに首を突っ込む人を、十把一絡げで見てしまう、そういう場合が多い。まあ、自分も少し前まではそうだったのですが。。。
グチっぽくなってしまいました。