今日は朝から肌寒い陽気。
連休を終えた多くの勤め人が、
この時間にはもう電車に乗っているか、
あるいは職場に着いて、
長い一週間を始めているかもしれません。
僕はと言えばありがたいことに、
こうして家にいて、
ブログなどを書くことができます。
今日、5月8日は、
僕の弟の誕生日であり、命日です。
62年前の今日、
彼はこの世に生を受け、
そして何度か息をしたのち、
あの世へと旅立っていきました。
その弟の、
あまりに短い人生と比べ、
僕はもう、64年と2か月の歳月を、
生きてきました。
昨日は、Iさんが、
午後の3時過ぎに我が家を訪れ、
そして、午前3時過ぎに、
帰っていきました。
およそ12時間、
Iさんとは、
これまでにないほどの深い話ができ、
とても感謝しています。
幼少時より、
人生の儚さについて、
思い煩うことの多かった僕は、
温室のような学生時代を終え、
世の中に放り出されたときから、
苦しみの連続。
人生は苦なりと、
看破した仏陀釈尊の教えに惹かれたのも、
無理からぬものがあります。
この世に真理というものがあるならば、
それは何なのか、
それを志向し続けた日々でした。
生家は、というよりも父は、
世界救世教の熱心な信者で、
母は無神論でありながら正直な性格。
神を信じているはずの父のほうがときどき嘘をつき、
無神論の母のほうが真っ正直な姿を、
子供のころから不思議な感覚で眺めていました。
やがて思春期となり、
世界救世教の学生部で活躍し、
青年部へと移行したときに、
教義の疑問をぶつけたところ、
的を射た回答を得られず、
そこを離れ、
求道の日々が始まります。
アルバイトを転々としながら、
宗教関係の本を読み漁り、
多くの人に会い、
やがて、友人を通して、
GLAという団体に導かれます。
そこで、緩やかに学び始め、
集会などにも顔を出したものの、
創始者である高橋信次氏の死去と、
その後の後継問題のごたごたから、
会は分裂。
もともと深入りしていた団体ではなかったので、
そう大きな影響も受けなかったのですが、
一時期、高橋信次氏とその著書が、
僕の人生の指針でもありました。
その後の紆余曲折は、
過去記事でも何度か触れているように、
統一教会、幸福の科学を経て、
今は、いかなる宗教団体にも属さず、
宇宙法則としてこの世界を統べるところの神、
スピリチュアリズムが明らかにした神への信仰が、
僕の中心軸になっています。
昨日は、Iさんとの、
多岐にわたる話の中で、
僕の、今の状況に至った経緯なども話すことができ、
それゆえ、深夜になっても話が終わらず、
長い対話となりましたが、
最後までこの対話の相手となってくれた、
Iさんへの感謝の思いと、
また、立場は違えど、
Iさんの、今の立ち位置なども知ることができ、
貴重な時間となりました。
ともに二人に縁のある、
ある人の死をきっかけに、
そのような対話へと導かれたことを、
感謝して、
今日はこのブログ記事を、
終えたいと思います。