一昨日は、
低支出ながらも生き抜いている人、
そして昨日は、
公務員でありながら破綻しかけている人、
を取り上げましたが、
今日は、
お金が腐るほどあるのに不幸な人、
を取り上げてみます。
以下は、現代ビジネスからの一部抜粋。
「これからも事業をさらに拡大しようと思えばできるでしょう。ただ、これ以上事業を拡大することに意義や面白味が感じられない。個人的な財産はかなりあるが、これといった使い道もなく、貯金が増えていくばかり。
資産運用もやっていますが、資産運用してお金を増やしても、増やしたお金をまた資産運用に回すだけ。事業も資産運用もマネーゲームに感じられ、マネーゲームに勝ってお金を得ても、意義や面白味が感じられるお金の使い道が見つからない。試しに違うビジネスも始めてみたが、やはりマネーゲームの域を出ない。
独立して事業が軌道に乗るまでは毎日大変だったが、今から思うとあの頃はモチベーションも高く、忙しいながらも楽しかった気がする。今は目標ややりがいを見出すことができず、正直、生きていて面白くない。毎日が憂鬱です。
独立して必死で頑張って手に入れたかった状況を手に入れたのに、まさか憂鬱な毎日を過ごすとは思わなかった」
T氏は28歳でIT関連の仕事を始め、不労所得を得ることを目的として寝る間も惜しんで働き、43歳となった今では、ほとんど何もしなくても毎月1千万円弱の収入が入ってくる仕組みを作り上げました。
港区のタワーマンションに住み、毎日、好きな時間に起き、好きな物を食べ、夜な夜なパーティや飲み会に出かける。高級車や高級ブランドの時計や服も買ってみた。興味があることはとりあえずやってみた。それでも預金残高は増え続ける。そういう生活を3年ほど続けてきた。
でも、今はそんな生活にも飽き、欲しいものも特になく、マンションの中にあるスポーツクラブに通って軽く運動し、出前をとって食事を済ませ、マンションの敷地の中から出ない日も多いとのこと。
そんな現状を説明された後、こう話されました。
「今、生きている感じがしないんです」
うーん、 お金は腐るほどあり、
もはや生きるために稼ぐ必要がなくなり、
同時に生命力も失っていく、と。
地位財依存型の人に、
ときどき起こる症状、
でもありますね。
高級車や、
高級ブランドの時計や服は、
地位財の象徴。
こうした、一部の成功者が陥る退屈を、
僕は、悪魔の退屈、と呼んでいます。
悪魔というのは、
だいたいが、
退屈な存在なんです。
その理由は、
内的な喜び、
内発的な充足感がないから。
その、
内的な喜びへの道を説くのが、
本来の宗教家の在り方だと思うのですが、
そうした宗教家は極めて少ないのが、
現状です。
その点、たとえば中村哲さんですか、
アフガニスタンで銃弾に倒れましたが、
死ぬまで、
内発的動機付けによって、
生き抜いた人。
内発的動機で生きている人は、
退屈とは無縁だし、
その内なる喜びこそが、
神へとつながる道。
宗派も思想信条も関係なく、
永遠の命を得ている人。
本当の豊かさとは何かを、
丹念に追及していくと、
次第に地位財から離れ、
もっと有り体に言うと、
他者との比較、
優劣というものから、
離れていきます。
そして、
そうした生き方こそが、
風の時代の生き方であり、
これからの時代の主流になっていくような気が、
しています。
[ 荒野に 希望の 灯を ともす] を 観て来たところです。 氏の活動は 以前から 見聞きしていましたが これほど 尊い 魂を 見たこともなく
不明を 恥じた 次第です。数えきれない 人々の
命を救い 劣悪な 環境下 、 日本では ご自身の
息子さんが 10歳 と言う 短い生涯を 終え様としてる時も 黙々と アフガニスタンの人々の為に歩を 緩めない。こんな 無私の仁 が いたのですね。 又、医師で ありながら その 卓越した
文章力は 常人の それでは ないなと 思っていましたが、あの 芥川賞作家 火野葦平の
甥で 有ることも 初めて しりました。
医師になるか 小説家に なるか 葛藤されたとのことですが 医師の様に 沢山の命は 救えなくても やはり その作品を 読んでみたかったなあと
残念にも 思います。