人生100年時代といっても、
みんながみんな、
100年も生きるわけでもなし。
そうは言っても、
寿命は延びつつあり、
そうなると、
リタイア後の時間も長くなることに。
昨日は東松山のIさんの家を訪問。
その後、スーパービバのフードコートで、
15時くらいまで話をしました。
ますます盤石になりつつある、
Iさんの経済状況。
健康管理にも気を使っているせいか、
顔色も良く、出ている波動が明るい。
まだまだ話したりなかったのですが、
夕方5時には、
今介護の手伝いをしている親戚から、
電話が来ることになっているので、
早めに帰宅。
Iさんとの会話では、
元気をもらえる僕も、
親戚とのやり取りでは、
それなりにエネルギーを奪われます。
というのも、
大半が、
愚痴の聞き役だから。
僕は、カウンセラーでもなんでもないので、
そうそう的確なアドバイスも出来かねますが、
介護の先輩としてのアドバイスや、
気持ちの持ち方の助言程度のことは、
しています。
親戚の子供部屋おじさんは、
ちょうどIさんと同じくらいの年齢ですが、
その中身は段違い平行棒。
まあこんな話を続けていくと、
本題に入れなくなるので、
この辺にして、
人生の残り時間を、
いよいよ僕も意識せざるを得なくなりました。
そして思うのは、
可能な限り、
良い気分で暮らしたいな、と。
そのためには、
Iさんのような、
前向きな人と共に過ごす時間を、
増やすことがキモかな、と。
いい年をしてネガティブな人というのは、
それまでの人生で、
自分を見つめることのなかった人だと、
思っています。
別の言い方をすると、
何でも他人の所為や環境のせいにして、
自分の在り方を、
反省することができなかった人たち。
こういう人が年を取ってきて拗れると、
始末に負えません。
切れる老人や、
クレーマーの発生原因となります。
ときどき、スーパーマーケットのレジなどで、
店員さんに対して横柄な態度を取ったり、
怒りをぶつけたりする人を見かけますが、
そのようないい年をしながら、
自分を治めることのできない人は、
自分より弱い立場の人、
絶対に逆らってこない立場の人にだけ、
当たり散らします。
これほど、みっともないことはありません。
漫然と生きていると、
ややもすれば感情に流されるままとなり、
やがて体の衰えとともに、
自分自身にイラつき、
その苛立ちを、
他者にまで向けるようになります。
漫然と生きていると、この世は退屈極まりない、と。
僕が退屈とは無縁なのは、
自覚して、
生きているから。
自覚的に生きていると、
他者に流されることも、
なくなります。
そしてまた、
危ない人とは、
自然に距離を置くようにもなれます。
それは、
自覚的に生きることで、
感性が研ぎ澄まされてくるから、です。
Iさんも、
非常に感性が研ぎ澄まされている人なので、
何時間話していても、
飽きません。
健康と経済的安定があり、
日々、自覚的に生きていれば、
何をしていても楽しいので、
どんなに老後が長くなったとしても、
退屈することはないのでは、
ないでしょうか。