カルト関連の記事が連続しているので、
今日は少し違うものを。
今日のタイトルは、エドワード・デシの言葉。
僕の言葉で言い直すと、
主体的に生きる、ということ。
少しだけカルトに寄り道しますが、統一教会においては、
主体的に生きることはサタン的生き方とされます。
なぜなら、すべての人類は、堕落しているから。
だから、自己否定をし、何かをするときは、アベルに相談する、と。
端的に言えば、アベルへの絶対服従生活、です。
ああ、やばい、このまま話していると、
また統一教会の話になりますからこの辺にしておいて、
皆さんは、コロナワクチン、打ちましたか?
僕は、打ちませんでした。
その選択も、自分が主体的に選んだこと。
それでコロナにかかって重症化しても、自業自得。
つまり、結果に対しても責任を持てる覚悟があって初めて、
人生の選択に対しても、主体的になれる、と。
ある程度お金を持っている人にとって、自由はお金よりも大切です。ここでの「ある程度」とは、「お金よりも自由を優先しても食べていけるだけの経済的余裕」です。
心理学者のエドワード・デシは、「自分で自分の人生を決めることが幸せにつながる」ことを指摘しました。また、経済産業研究所の調査結果によれば、「所得や学歴よりも、自己決定が幸せにつながる」ことが分かりました。
つまり、「幸せになりたいのであれば、お金よりも自由を優先した方が良い!」ということです。
それこそ、「お金を稼ぐために、他人に振り回される」と、不幸になります。多少の収入を犠牲にしてでも、「他人に振り回される仕事」よりも「自己裁量でできる仕事」を選ぶ方が幸せになれるのです。
うーん、 上記は、Allabout記事からの抜粋。
太字にした部分は、まさに今の僕が、それ。
今現在、二つのアルバイトをしていますが、
どちらも、自分主体でやっています。
会社の言いなりには、なりません。
むしろ、言葉は選ばなければなりませんが、
会社を手玉に取っています。

それができるのは、自分、が、あるから。
カルト宗教を経験したおかげで、
自由のありがたさ、
自主独立のありがたさ、
依存しない精神の貴重さを、
頭ではなく、
実感として、理解できるのも、
カルトのおかげかもしれません。
カルト宗教での経験も、
しっかりと、
肥やしにしています。
自由に、
この世界を、
歩いて、
行きましょう。