社畜労働の虚しさは、何度も書いていますが、今、内省をしていて、改めて思ったのは、僕の二十代の頃の息苦しさ。

まるで、砂漠の前に立つ無力な人。

とにかく、会社と言いうものになじめず、労働というものに慣れず、お金お稼ぐことの苦しさばかりに気を取られ、この先俺は、この渇き切った世界で、どうやって生きて行けばいいのだと、途方にくれた日々。

 しかし、友人たちを見渡すと、そんな悩みがあるようにも見えず、順調に仕事をし、順調に結婚し、順調に子供を育てながら、仕事もちゃんとやっているという、僕から見たら、ずいぶん立派にも見えましたよ。

当時は、インターネットもなく、情報も限られ、自分だけが欠陥人間ではないか、との思いにもなり、焦るも、解決策はなく、職を転々とし、宗教にも救いを求め、さらには、拭いようのない虚しさから、死を考えたことも一再ならず、ありました。

この世界を生きることの虚しさから宗教に走るのは、ありがちなことかもしれません。

25歳で、統一教会に入信した僕は、2年間の専従生活をします。

そこでは、生きることの虚しさからは解放されましたが、別の苦しみが待っていました。

そして、27歳のときに、統一教会から逃げ出します。

実家に戻るも、抜け殻のような状態で、生きるためにまた、職を転々。

まあ、だいたい35くらいまでは、そんな感じ。

人並みに恋などもしましたが、何しろ自分に自信がなく、まあ、あの状態で自信を持てたら別の意味でやばいのですが、結婚などは、考えることさえできませんでした。

自分の口も養えないのに、伴侶を持つなどもってのほか。

二十代の頃は、結構友人たちの結婚式にも呼ばれて、スピーチなども頼まれました。

落研にいたので、人前で話すのは苦にならないどころか、快感でもあったので、で、必ず、笑いを取りますから、場が和むのですよ。

こういう時は、うお座ですから、持ち前のサービス精神が発揮されて、自分の不幸は棚に上げて、良いスピーチをするように頑張りました。

だから、友人たちからは明るい奴だ、とは、思われていたと思います。

ただ、底流部分に、満たされない思いが常にあり、孤独、でもありました。

就職しても、すぐに辞めるというのを繰り返し、いつしかもう自分はだめなのではないか、と思い、恋をしても、先の見通しはなく、切ないばかりの日々でした。

   

生まれてこないほうが良かったのではないか、と、何度思ったでしょうか。

今のような時代であれば、他の人のブログなどを読むことで、自分と同じような人間もいるのだと知り、安心することもできたのでしょうが。

仕事もダメ、恋もダメ、金を稼ぐ能力が決定的に欠けている、まあ、資本主義社会においては、ダメダメの人間でした。

まあ、だめだからこそ、見えていた世界もあり、自分の寿命と引き換えに金を得ることの虚しさに、突き動かされながら放浪を重ねていたわけですね。