戦争が終わり、日本は焼け野原から立ち上がり、復興しました。天皇が人間宣言をして、国民の価値観も総入れ替え。そんなことが、国家規模で起こったわけです。

僕は、1959年生まれなので、もちろん、戦争経験はなく、その後の全共闘などの学生運動の盛り上がりの時期はまだ小学校低学年で、何を騒いでいるのだろうと、子供ながらに思った程度。

子供ながらにして、弟と実母を亡くすという経験はしているものの、幸せな家庭で育ったと、思っています。

そんな僕でしたが、20代の頃にこの世の仕事を投げ捨てて入った統一教会で、やや比ゆ的な表現ではありますが、徴兵に行ったような体験をしました。睡眠時間は4時間未満で、休みなく、およそ2年間、専従生活を送りましたからね。

若かったので、ブレーキをかけることを知らず、自分がぶち壊れるまで頑張ってしまい、ついには、精神崩壊。

使い物にならず、解放されましたが、生きながら死んだ状態が、何年も続きました。

60キロほどだった体重も、2年間の無理な生活で47キロほどにまで落ち、実家に戻ってからは、体重はすぐに回復したものの、傷ついた心が癒えるには足掛け8年ほどかかりました。

ただ、結果論ですが、その、苦しみの8年間が、のちに役立つこととなりました。

その後、幸福の科学に入り、統一教会の呪縛を完全に打ち砕きました。

幸福の科学には、正心法語という経文があり、その中の、光のみ実在、愛のみ実在、という、この、生長の家にも似た、光明思想と言いますか、光の実在を強く押し出す言霊の力が、統一教会の暗黒思想を打ち砕くのに、大変役に立ちました。

さて、そのようにして幸福の科学に入り、18年弱の活動ののち、退会したわけですが、寄る辺なき子さんのコメントの返信を書いてから、また、改めて、僕が退会した8年前のことを思い返すと同時に、自らの人生を振り返り、それを通して、今、喪失感に苦しんでいるであろうところの寄る辺なき子さんのお役に立てないかと、考えた次第です。


退会したときの心境は、「不都合な真実に向かい合う勇気を」と「感性と理性とのせめぎあいの果てに導かれた平安」で詳しく書いているので、重複は避け、今日は別の視点から、記してみたいと思います。


相模原の障害者施設で起こった殺傷事件は、まだ記憶に新しいところですが、事件を起こした男は、障害者に対して生きる価値がないと自分勝手に判断し、殺人事件を起こした後も、悪びれる様子もなく、死をも厭わぬ態度ですが、あの独善性と変わらぬものを、僕は、カルト教祖の中に、見ます。

カルト教祖自身が、誰よりも確信をもって、自分自身を妄信しています。

そして、そういう人の周りに信者が集まれば、彼は教祖となり、一つの団体が形成されていきます。それが、宗教法人格を取れば、宗教団体となります。

カルト教祖は、自己を絶対視するがゆえに、自分を否定する対象を、悪魔、と、見る傾向があります。

日本のみならず、世界には、実に様々なカルト教団が存在しますが、この点は、共通しています。

神である自分を受け入れない社会のほうがおかしいということになり、彼自身の中に、誇大妄想、被害妄想の心理状態が展開していきます。

自分を受け入れない社会に対する不満はくすぶり続け、満たされない自尊心(カルト教祖の場合はこの自尊心が特に顕著)を補強するために、本当の自分はこんなに偉いのだ、ということを、様々な手段を使って訴えます。

それを真に受けるのは信者さんだけで、一般の人は、そもそも関心を持っていないか、何らかのきっかけで目を向けたとしても、その子供じみた精神構造を見抜いて、あきれるか冷笑するぐらいが関の山。

よく、世間が誤解するのは、カルト教祖を詐欺師のように思っている傾向があるのですが、詐欺師というのは自分が相手を騙している自覚があるので、それほどの情熱も、パワーも、ありません。

よく、金儲け主義とも誤解されますが、お金は二次的なもので、詐欺師などと同じレベルの話ではありません。

何よりも、カルト教祖自身が、自分が神であるとの確信を持っている点が、大きな違いです。

その確信がなければ、活動など継続できるものではないし、人もついていきません。

カルト教祖の感化力には、常人の想像も及ばないものがあり、そのいい例が、麻原の死後も存続しているアレフ、などです。今もなお、崇拝の対象を欲するアレフは、麻原の長男を教祖として祭り上げていますが、当の長男はいい迷惑だとして、訴訟を起こしています。

何が言いたいのかと言うと、アレフに見られるように、崇拝の対象を人に求める信者がいる限り、カルト教祖は、なくならない、ということです。

つまり、両者は、相互依存、の関係にあるわけです。

寄る辺なき子さんは勇気をもって不都合な真実を見つめ、今まさに、人間信仰からの脱却を図ろうとしているとき、です。

人間を神と仰いでいる限り、心に真の平安は、ありません。

なぜなら、どれほど、その教祖なる存在が、自らの無謬性を主張しても、そこには必ず矛盾が生じ、信者の側はその矛盾を糊塗し、合理化するための暗黙の努力を余儀なくされるから、です。

その不自然さは、精神の中に何とも言えぬ違和感を生じさせ、本人も、釈然としないが一応は信じている、という状態が長く続きます。

勿論、教祖と同レベルか、それに近いところまで妄信している信者さんは、そうした矛盾さえ感じることは、ありませんが。

しかし大半の、理性が働いている信者さんは、少なからぬ矛盾を、何とか自分の中で無意識のうちに合理化してやり過ごすようになります。

神から与えられた理性が、真に嫌気がさすまでは、そうした足踏み状態は続き、時間だけが過ぎていきますし、この世的に言えば、年だけは取っていきます。

寄る辺なき子さんは、そうした足踏み状態からの脱却の時が来ているわけで、謂わば、脱皮の時期なのです。脱皮には、それなりの負荷がかかるものです。

しかし、そこを通過しなければ、広くて明るい自由な世界には行けません。

広くて明るい自由な世界には、その人、カルト教祖は、いません。

そしてその世界から、カルト教祖を見ると、憎しみよりもかわいそうな気持が生じてくるようになります。

今は憎しみのほうが大きいかもしれませんが、やがては、そうした広くて明るい自由な世界の中で、過去の自分を俯瞰できる視点を持つようになると思います。

そうした広い世界が待っているということを、寄る辺なき子さんに、もっとうまく伝えられたら、と、思うのですが。

それともう一点、良いことをお伝えせねばなりません。

それは、カルト教祖の独善的世界から離れれば離れるほど、むしろ周りにいる人、一人一人の中にある仏性が、より、鮮明に見えてくるようになることです。

それまで、悪魔、に見えていた人が、まだ至らぬにせよ紛れもない神の子である、ということが、わかっていきます。

寄る辺なき子さんは、コメントの中で、「最大の心残りは、夫に対する申し訳なさ、です。主の教えを理解できないバカ夫と思っていましたが、バカなのは私でした。息子にも、申し訳ないですと、おっしゃっていましたね。

かつては、旦那さんを見下し、時には、悪魔のようにも、見えたかもしれません。でも、今は、自分の愚かさに気づいたのですね。

愚かさに気づいた人は、もう愚かではありません。もうそれ以上、自分を責める必要はありません。

もう、今の寄る辺なき子さんであれば、旦那さんや息子さんを悪魔のようには思わないはずですからね。

まだ十分に、自分を客体化するところまではいかないでしょうが、やがては、時の経過とともに、落ち着いて自分自身を眺められる時が来ると思います。

その経過は、人それぞれだとは思いますが、カルト教団から離れるにつれ、むしろ、この世界を、ありのままに見ることができるようになっていきます。

なぜなら、そうした教団で与えらえる情報には偏りがあり、その偏った情報だけを過飽和入力されている状態では、到底ありのままに見ることなど、不可能だからです。

たとえて言えば、毒の入った材料だけで作る饅頭は、毒饅頭にならざるを得ないのと、同じことです。

事程左様に、情報というものは、食べ物と一緒で、よく吟味しなければいけません。

僕は、三帰請願した後、先輩のある信者さんから、素直さが大事だと、繰り返し言われました。

その人が言うには、本佛が御降臨されている奇跡の時代なのだから、自分の小さな頭で判断せず、ただひたすらに主を信じ、ついていくことが大切なのだと教えられ、その通りだと感動して、そのように努めました。

我を信じ、集い来よ、と、主は、言われましたから、ね。

まさに今回、寄る辺なき子さんが言及された、太陽の法のまえがきにも、あなたの常識を入れ替えてほしい、というようなことが書かれていたように思います。

ただ、このまえがきは、初版本のものではなく、方便の時代は終わった、と言われていたころのものかもしれません。僕が、三帰請願したのは、1994年だったと思うので、当時の、すでに、書き換えられていた太陽の法、かもしれません。

その太陽の法も、その後、何度か、書き換えられた、ということなのでしょうが、今回の書き換えが、正確には何度目になるのか、すでに8年前に退会している僕には、よくわかりません。

で、話を戻すと、そのように、とにかく素直さが大事だと思い、歩んでいたわけですが、理性が疲弊していった経緯はすでに過去記事で記したとおりです。

教団から距離を置き、落ち着いた心で世の中を眺められるようになれば、やがては、悪魔に囲まれていると思っていた世界から、未熟ながらも仏性ある人たちのいる世界に生きている自分に、気づくようになります。

それまでには、多少の時間はかかるでしょうが、大切なのは、理性が矛盾を感じるところの疑問に、誠実に向き合うことだと、思います。

僕の場合で言いますと、カルト教祖やカルト教団の矛盾と正面から向かい合って、納得するまであきらめない、粘り強い姿勢で取り組みました。

具体的には、教団の裁判を傍聴するために東京地裁にも足を運びましたし、大川きょう子さんにも、二度、じかに会って話を聞いています。

さらには、元職員の人にも会い、ここではとても話せない内容の教団の実態も、知ることとなりました。

ただ、元職員の人の話であっても、それをまるごと受け入れるのではなく、まず、その人の表情や波動を見極める必要があります。なぜなら、その元職員の中に恨み心があれば、その情報にも、多分に私憤が入り込んで、歪曲してしまうから、です。

いずれにせよ、労を惜しんでいては、価値あるものを手に入れることはできません。

ここで言う価値あるもの、とは、カルト教祖とカルト教団を客体化して観ることのできる認識力であり、その結果得ることのできる、理性が息苦しさを感じることのない自由な世界、です。

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そして、その自由な世界にこそ、本物の信仰がある、のです。

寄る辺なき子さんの未来には、そのような明るくて、公明正大な世界が、待っています。

寄る辺なき子さんの、幸福の科学での長い信仰生活も、決して無駄ではないことを示唆する、シルバーバーチの言葉を紹介します。


「私は皆さんのお答えのいずれにも賛成しかねます。霊的な視点で見ておられないからです。一人の方はもし早くから知っていたらメソジスト派の教えを説いて永い年月をムダにすることは無かったとおっしゃいましたが、私に言わせれば、むしろ荒野に叫んだ時期が無かったら、その方の存在は今ほど大きくなかったろうと思われます。

真理探求に没頭した年月───追求してはつまづき、倒れては起き上がり、間違いを犯しながら遂にそれまでの信仰が真実とは似て非なるものであることを思い知らされることになった───そうした体験がその人の魂の発達の掛けがえのない要素となっているのです。


シルバーバーチは、メソジスト派の牧師に対して、上記のように語りました。

少し説明を加えると、その牧師は牧師なりの善意と使命感から、伝道などの宗教活動をしていたのですが、その後、真実に目覚め、自分の長きに渡る牧師生活を悔やんだことに対する、シルバーバーチの答え、なのですね。

そしてシルバーバーチは、真理探求に没頭した年月───追求してはつまづき、倒れては起き上がり、間違いを犯しながら遂にそれまでの信仰が真実とは似て非なるものであることを思い知らされることになった───そうした体験がその人の魂の発達の掛けがえのない要素となっているのですと、助言しています。


寄る辺なき子さんは、今まさに、それまでの信仰が真実とは似て非なるものであることを思い知らされることになったわけです。

なので、ここが、正念場、です。

まずは、心身を休めること、だと、思います。

色心不二という教えはご存知かと思いますが、体と心は互いに影響を及ぼし合っていますからね。

まずはゆっくり休んでください。

そして、自分の運命を、信じてください。

長くなったので、今日はここまでとしますが、この世は、霊界という永遠の世界に行く前の試練の場であり、魂の足腰を強くする場であるとの認識をもって、落ち着いて生きられることを、祈っています。