昨日、ホテルに勤めていた頃の、すでにその存在すら忘れかけていたブログを読み直した時に、当時の状況がつぶさによみがえり、特に、あの、4年前の夏の慌ただしさは、きついものがありました。

 2012年の7月7日、本当は、父も一緒に、川越のプリンスホテルに行く予定でした。斎藤一人さんのパーティーに参加するために、すでに3人分のお金を払い込んでいました。一人1万円で、計、3万円だったと記憶しています。

 ところが、父が行きたくないと言い出し、そのときは理由は言いませんでしたが、今思えば、すでに体調に異変が生じていたのでしょう。その数日後、緊急入院となりました。

 それからは、仕事と、僕自身の生活と、病院通いと、実家通いで、ブログの更新どころではなくなっていました。

 そしてその1か月後の8月に、長いお別れ、という、一文を書いて、そのブログは放置、ということになってしまいました。

 あれから、もう4年近くが経ったのかと思うと、感慨深いものがあります。

 2012年7月に入院した父が、最終的に退院し、家に戻ってきたのが、その翌年の2013年8月です。

 その間に、僕は、住んでいたマンションを売り払い、実家に戻り、さらに、その実家を建て直すために借家に移り、その後新築の家に戻って、父を迎え入れる準備をし、といったことをしていたわけです。

 2013年8月から、2015年7月に再入院するまでの、約2年間は、バリアフリー化した新築の我が家で、楽しく暮らしました。僕も仕事を続けながら、介護をすることが可能な状況でした。父は、杖をつけば歩くことができましたし、トイレも、自分の力で行くことができました。デイサービスにも、週に3回ほど、行っていました。

 去年の7月に再入院し、今年の1月末に、退院してきたときには、要介護5で、オムツ交換と痰の吸引が必要不可欠だったため、僕は仕事と介護の両立はあきらめ、介護離職による早期リタイアとなりました。

 今では、さらに、常時、酸素吸引が必要となったため、深夜でも、父が寝ているベッドをのぞき込み、ちゃんと鼻から酸素吸引ができているかを、確認します。

 仕事と介護が両立できていた時から数えると、今年の夏で、介護生活は3年になります。先は見えませんが、介護が悔悟にならないようにと、ときどき自分に、言い聞かせるようにしています。