昨日は、友人のAさんがお昼前に我が家を訪れ、夕方まで一緒に過ごしました。

まずは、2階の12畳の居間に上がってもらい、そこで談笑。

Aさんから、現在の世界情勢や政治の状況、そしてまた、先日Aさんが参加した香港革命のデモの様子なども、聞くことができました。

気がつくとあっという間に、15時近くになってしまい、一階に降りて、僕はニンニクをたっぷりと振りかけたピザを焼きました。

そのピザを半分ずつに分け、大根と蒟蒻だけのヘルシーでローコストの煮物と、ポテトサラダという質素な晩い昼食を食べ、Aさんが手土産に持って来てくれたビールとノンアルコールドリンクを飲みながら、さらに談笑。

そこで、Aさんの質素な暮らしぶりを知ることに。

Aさんは隣の市でも、もっとも住環境の良い場所に、昨年一戸建てを購入したのですが、それ以前は木造アパートに何十年も住んでいました。

その当時も、そして今も、基本の生活費は、45000円だといいます。

ここで言う基本生活費とは、家賃などを除いた、食費などのことです。

で、45000円を超えて、例えば50000円ほど使ってしまったときは、使い過ぎてしまったな、と、思うそうです。

Aさんは私立高校の事務方トップなので、年収はかなりあるようなのですが、生活レベルは上げないでやってきたそうです。

そのような質素な生活だからこそ、信仰生活でも、私生活でも、自立した盤石に近い基盤があるのだと、改めて思いました。

収入が増えるにしたがって生活レベルを上げる人が大半ですが、収入が増えても、同じ生活レベルで暮らせる人はきわめて少ないでしょう。

こうしたところにも、Aさんの、薩摩隼人としての、質実剛健さは表れているように思います。

また、Aさんとは、西郷隆盛をはじめとした明治の偉人の話でも盛り上がったのですが、鹿児島県民は郷土の偉人に誇りを持っている人が多いので日教組の自虐史観の悪影響を跳ね飛ばせる力があるように思うと、僕が言うと、そうですね、と言っていました。

僕の住む埼玉県などは、郷土に誇りを持つ人も少なく、それなりに歴史を勉強していないと、左寄りの馬鹿教師に、篭絡される輩も出てきがちです。

60に近いほうの50代のAさんは、そろそろ仕事の引き際を考えているようで、職場に迷惑をかけないように配慮しつつも、自分のこれからの人生でこれまでやりたくてもできなかったことに、重心を移していきたいようでした。

昨日は、8時間以上、Aさんと話し込み、8時間と言えば、フルタイムの労働時間で、同じ8時間でも、あっという間に過ぎて行った実りある時間でした。