大きな病気というのはしたことがありませんが、精神も肉体も強靭なほうではありません。

と言うか、弱いほうだと思います。

転職が多かったのも、どこの職場でも使い物にならず、つまり、精神も肉体も、仕事に耐えられず、逃げ回っていたからです。

そして、どうにも逃げられなくなった頃に、運良く、自分でも続けられそうな会社に潜り込むことができ、そこで、経験を積み、転職もでき、さらに介護離職後は介護が始まり、それも終わり、そして今は、アルバイト生活。

こう見てくると、このひ弱な自分がよくぞここまで生きてこれたものだと、改めて、思いました。

僕が仏教に惹かれたのも、自分の弱さと無縁ではありません。

仏教では、一切皆苦ということが言われます。

この世は、すべてが苦しみである、という意味になります。

この教えに出会ったとき、少しだけ、心が楽になったのを覚えています。

あんなに偉いお釈迦様が言われているのだから、僕が毎日苦しいのは、当たり前なのだ、と。

まあ、苦しみの連続の人生でしたが、50歳の頃に大きな苦しみがあり、それを最後に、自分の目に映る風景が変わり、今は、苦というモノがあっても、それに執着することなく、サラサラと生きられるようになりました。

56歳で介護離職したときも、周りからは大変だね、と言われましたが、一度も、大変だ、苦しいと、思ったことはありません。

では、苦しみがないのか、と言えば、そんなことはなく、衰えつつある肉体の苦しみ、具体的には、関節や腰の痛み、など、もあるし、アルバイトとは言え職場に行けば、老害先輩社員からの理不尽な罵声もあります。

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老害先輩社員から怒鳴り飛ばされた話は、過去記事でも何度か触れていますが、60歳にもなって怒鳴り飛ばされる経験は、貴重以外何ものでもありません。

いまでは、この老害先輩社員を、心の中で、小暴君、と名付け、「今日の小暴君」として、観察材料にしています。

観察者になることで、苦しみが消えていきます。

まあ、そのことは、後日、記すとして、ここまで生き延びてこれましたから、これまでの経験と、失敗を通して学んだ生きた知恵を使って、今後は、しぶとく、また、できるだけ楽しんで、生き抜いてやろうと、考えています。