これに対してはいろいろな意見があり、どの意見もそれなりに一理あるのですが、未だ僕の中で、こうだ、と断言できずにいるのが、運命について。
今現在の、僕のおおよその考え方では、生まれてくる前にある程度の人生計画は立ててくるが、生まれた後はいろいろな要素が絡んでくるので、そうそう計画通りに行かないこともあるし、概ね計画通りに進むこともあるという、不確定要素もかなりある、みたいな、考え方をしています。
たとえば、シルバーバーチなども、こうした質問は、降霊会で受けていて、だいたいは決めてあるが、そう細かなところまでは決めていないという、自由意思を尊重したものだったように思います。
僕は、シルバーバーチの教えであっても、はいそうですか、と簡単には納得しないので、一応自分で吟味します。まあそれは、何人かの教祖を妄信した過去の反省から来ているのですが。
で、今働いている僕のアルバイト先での面接のとき、工場側の課長と係長に初めて会ったのにもかかわらず、何とも言えない親しみのようなものを感じました。働いて9か月になる今も、それは変わりません。
何となく、昔から知っている人のように思えるのです。
どの時代かは明確にはわかりませんが、戦国時代かなあ、同じ藩にいて、ともに、外敵と戦った仲間のような感覚です。これは、ちょっと説明が難しい感覚ですね。
で、僕はいくつかの宗教団体を経験しているのですが、どうも僕は、それぞれの団体に所属すべきだった運命のようなものを感じます。
そして、それぞれの団体で、それぞれ学ぶべきこと、体験すべきことがあったのだ、ということを感じています。
だから、僕がかつて所属していた3つの団体について、恨み心はまったくありません。
つまり、その時の僕にとって、それぞれの団体は、僕の導き手であった、と思うのですよ。
それゆえに僕は、ダスカロスの言葉、「自分の人生こそが自分のグル【導き手】なのです」が、とても得心が行ったのですね。
その時々で、必要なグル、つまり導き手は、変わるのではないか、ということです。たとえそれが後になってカルト宗教であったとわかったとしても、そのときの自分には大切な教えであったわけです。
僕は、統一協会においても、幸福の科学においても、あるいは、幼少期から父の影響で信者になった、世界救世教においても、光体験というべきものを経験しています。
シルバーバーチが、ラベルを選ばずに指導する、と言っていることもうなずけます。
彼の言うラベルとは、共産主義などの主義主張や、民族、あるいは宗教団体、など、レッテルを張られたもののことです。
多くの人は、レッテルで人を判断します。まあ、そのほうが考えなくて済むし、楽ですからね。
たとえば、彼は共産党だから何々だ、彼女は在日だから何々だ、あいつは中卒だから何々だ、その人はオウムにいたから何々だ、みたいに、安易に判断を下し、レッテルを張って分類します。
しかし、レッテルを張られる前に、まずは、どの人も、一人の人間です。
その人間を見ずして、安易に人を決めつけるのは如何なものかと、昔から思っていました。
ただ、思い込みの強い人間には何を言っても喧嘩になるだけなので、僕はよほどのことがない限り静観していますが。
さて、僕の考えも固定したものではなく、今後も変化していくと思われますが、運命というモノは、大筋において、だいたい決まっているように、思っています。
今現在の、僕のおおよその考え方では、生まれてくる前にある程度の人生計画は立ててくるが、生まれた後はいろいろな要素が絡んでくるので、そうそう計画通りに行かないこともあるし、概ね計画通りに進むこともあるという、不確定要素もかなりある、みたいな、考え方をしています。
たとえば、シルバーバーチなども、こうした質問は、降霊会で受けていて、だいたいは決めてあるが、そう細かなところまでは決めていないという、自由意思を尊重したものだったように思います。
僕は、シルバーバーチの教えであっても、はいそうですか、と簡単には納得しないので、一応自分で吟味します。まあそれは、何人かの教祖を妄信した過去の反省から来ているのですが。
で、今働いている僕のアルバイト先での面接のとき、工場側の課長と係長に初めて会ったのにもかかわらず、何とも言えない親しみのようなものを感じました。働いて9か月になる今も、それは変わりません。
何となく、昔から知っている人のように思えるのです。
どの時代かは明確にはわかりませんが、戦国時代かなあ、同じ藩にいて、ともに、外敵と戦った仲間のような感覚です。これは、ちょっと説明が難しい感覚ですね。
で、僕はいくつかの宗教団体を経験しているのですが、どうも僕は、それぞれの団体に所属すべきだった運命のようなものを感じます。
そして、それぞれの団体で、それぞれ学ぶべきこと、体験すべきことがあったのだ、ということを感じています。
だから、僕がかつて所属していた3つの団体について、恨み心はまったくありません。
つまり、その時の僕にとって、それぞれの団体は、僕の導き手であった、と思うのですよ。
それゆえに僕は、ダスカロスの言葉、「自分の人生こそが自分のグル【導き手】なのです」が、とても得心が行ったのですね。
その時々で、必要なグル、つまり導き手は、変わるのではないか、ということです。たとえそれが後になってカルト宗教であったとわかったとしても、そのときの自分には大切な教えであったわけです。
僕は、統一協会においても、幸福の科学においても、あるいは、幼少期から父の影響で信者になった、世界救世教においても、光体験というべきものを経験しています。
シルバーバーチが、ラベルを選ばずに指導する、と言っていることもうなずけます。
彼の言うラベルとは、共産主義などの主義主張や、民族、あるいは宗教団体、など、レッテルを張られたもののことです。
多くの人は、レッテルで人を判断します。まあ、そのほうが考えなくて済むし、楽ですからね。
たとえば、彼は共産党だから何々だ、彼女は在日だから何々だ、あいつは中卒だから何々だ、その人はオウムにいたから何々だ、みたいに、安易に判断を下し、レッテルを張って分類します。
しかし、レッテルを張られる前に、まずは、どの人も、一人の人間です。
その人間を見ずして、安易に人を決めつけるのは如何なものかと、昔から思っていました。
ただ、思い込みの強い人間には何を言っても喧嘩になるだけなので、僕はよほどのことがない限り静観していますが。
さて、僕の考えも固定したものではなく、今後も変化していくと思われますが、運命というモノは、大筋において、だいたい決まっているように、思っています。


人間には自由意思というか選択することができますから。選択次第で変っていくと思います。よくYes(はい)かNo(いいえ)で答えていって健康状態や性格などを調べていくアンケートといいますか、チャートみたいなものがありますね。これなども半年後、1年後に行った時、YesかNoの選択で導かれるれる結論は違ってきます。
陰しつ録(いんしつろく)をご存知でしょうか?(詳しくネットで調べてください)
この話に私は共感できます。
ダスカロスはどういっていたかというと、
「神の計画は誕生と死を決める。それだけだ」「すべて、他のことは自分の責任だ。この点を誤解して、何が起きてもそれは避けられない運命なのだと思い込まないように。でないと滑稽な運命論者になり、真理の探究者ではなくなってしまう。あらかじめ決まっているのは、あなたが地上に降りて、生まれ、人生を完成させ、それから死ぬということ。これは避けられないでしょう。人生の他のすべての事柄は、前世から持ち込んできた内容により、今の人生でそれをどう発展させるか、表現するか、その選択にかかってくる」
以上、参考までに。