僕が途方にくれたのは、二十代と三十代のとき。
きつい日々でした。
で、その次は、50代の前半で、18年弱続けていたカルト宗教、幸福の科学を退会するとき。
でも、途方にくれたからこそ、見えてきたものもあります。
カルト宗教と言えば、幸福の科学以上にカルト性の強い統一協会にも、僕は二十代の一時期、いたことがあります。
大沢誉志幸を知ったのは、僕がそのカルト宗教、統一協会の専従をしていたとき。
新潟県湯沢町での暮らしを切り上げ、板橋区のアパートで生活していたときに、赤羽でアンケートに答えたのがきっかけで、ビデオセンターなるところに連れて行かれ、その後、2回の泊まり込みの合宿などを経て洗脳され、統一協会に身を投じました。
で、その統一協会で、福岡出身の花田兄が、よく聴いていたのが、大沢誉志幸。
よく聴いていたと言っても、自由になる時間はほとんどなく、月に一度の心霊復興の日に、彼がラジカセで聴いていたのですね。
心霊復興の日というのは、月に一度だけ与えられる休日のことです。
ちなみに、統一協会では、お互いを兄弟姉妹と認識しているので、男性に呼びかけるときは、兄、を付け、女性に呼びかけるときには、姉を付けます。
うーん、花田兄の博多弁が、懐かしくなってきました。
きつい日々でした。
で、その次は、50代の前半で、18年弱続けていたカルト宗教、幸福の科学を退会するとき。
でも、途方にくれたからこそ、見えてきたものもあります。
カルト宗教と言えば、幸福の科学以上にカルト性の強い統一協会にも、僕は二十代の一時期、いたことがあります。
大沢誉志幸を知ったのは、僕がそのカルト宗教、統一協会の専従をしていたとき。
新潟県湯沢町での暮らしを切り上げ、板橋区のアパートで生活していたときに、赤羽でアンケートに答えたのがきっかけで、ビデオセンターなるところに連れて行かれ、その後、2回の泊まり込みの合宿などを経て洗脳され、統一協会に身を投じました。
で、その統一協会で、福岡出身の花田兄が、よく聴いていたのが、大沢誉志幸。
よく聴いていたと言っても、自由になる時間はほとんどなく、月に一度の心霊復興の日に、彼がラジカセで聴いていたのですね。
心霊復興の日というのは、月に一度だけ与えられる休日のことです。
ちなみに、統一協会では、お互いを兄弟姉妹と認識しているので、男性に呼びかけるときは、兄、を付け、女性に呼びかけるときには、姉を付けます。
うーん、花田兄の博多弁が、懐かしくなってきました。
いつでも戻ってきてね!
待っているから
彷徨いの人生から解放されてね