僕は、つくづく思うのですが、人間関係には恵まれてします。

50代という、いい年をして知り合った花火師で投資家のSさんには、いつもお世話になっていますし、そのSさんが、投資の師匠と仰ぐTさんのところにも、何度かお邪魔し、貴重な話を聞くことができています。

また、このブログでもときどき登場する、友人Oですが、彼の紹介で入ったビル管理会社で、人生が劇的に好転しました。

Oがいなければ、僕がビル管理業界に入ることもなかったと思います。Oもまた、今、90代の母親を介護しているのですが、彼は、生涯の親友でもあります。

また、それ以外でも、僕のブログにこそ登場しないものの、何人かの、ありがたい友人がおり、彼らにも支えられています。

そして僕が、最も恵まれていたと感じるのは、親ですね

すでに他界した父は、僕が介護離職して、自宅にて在宅介護し、老衰で亡くなりました。

僕の実の母は、僕が16歳のときに亡くなりましたが、僕を大事に育ててくれました。


そして今入院中の母も、僕が19歳のときに父と再婚し、男所帯に来てくれました。


当時母は、大山に住んでおり、この町を、ずいぶん田舎に感じたようです。

川越でも田舎に感じたらしく、さらにその先ですからね。

まあ、その母も、今は入院中で、血のつながりこそありませんが、この6月で、親子になって40年になります。

幸い、相性が良かったので、仲良くやってこれました。

僕が、男なのもよかったのかもしれません。

もし娘だったら、葛藤があったのかもしれません。


まあ僕は、義理であろうが何であろうが、親子になるということは縁だと思っているので、浅からぬ因縁があるということなのでしょうね。


人の運命というものは、決まっているように思います。

しかし同時に、運命があらかた決まっているとしても、人は決して操り人形ではなく、そこから、人生の栄養ともいうべき学びをするのではないでしょうか。

僕は、永遠の命を信じているので、死んだら終わり、という唯物論者ではなく、人はこの世に、霊性を高めるために生まれてきていると信じている者です。


まあこの世は、謂わば、旅の途上です。

どうせ旅なのですから、少しでも学び多い、良い旅にしたいものです。