時の経つのは早いもので、今年ももう終わりです。
年々、時が経つのが早く感じます。
光陰矢の如し、とも言いますね。
「光陰矢の如し、少年老い易く、学成り難し」
何だよ、老いるのは少年だけじゃねえぞ、差別じゃねえか、と、現代では言われるかもしれませんが、昔の言葉は、どうも、男、が主役のようです。
まあそれはそうと、ついこの間年が明けたと思ったら、もう年末です。
仕事をしているときも、一年は早いと思っていましたが、早期リタイアしたあとも早いものです。
また、僕の場合は、介護による成行の早期リタイアなので、覚悟も何もあったものではなく、慌ただしい中でのリタイアで、だからまあ、世間一般で言うところの、優雅な早期リタイアでは全然ありません。
まあ、40代あたりでリタイアならば、「かっけー」ということになるのでしょうが、定年まで数年を残しての、成行介護リタイアでは、カッコ良さとは縁もゆかりもありません。
しかし、成行とは言えど、早期リタイアしてみて、自分には、リタイア生活が合っていると、つくづく思います。
全くもって何もしないことが、まったくもって苦ではありません。
これは、なまけものの特徴のようです。
働き者は、暇だと、ダメになるそうです。
怠け者は、働かせるとだめになります。僕の場合は、怠け者なので、働かされるとだめになるのです。まあ、本当に、よくも長年働いたものだと思いますがね。
で、僕は、今、何もしないことが幸せなのです。
何もしないといっても、こうして、ブログを書いたり、他にもあれやこれやと、やりたいことはやっていますし、家事などもこなしていますし、母を介助することもしてはいますが、いたって、それらは苦痛ではありません。仕事と比べればの話ですがね。
また、職場での人間関係の軋轢もなく、たとえば、今であれば、しがらみのある付き合いというものはありません。
だから、嫌な相手だと判断すれば、単に距離を取るだけで事が足ります。
現代は本当に便利で、単身者が生きるには、最高の時代ではないでしょうか。
ということで、今日も一人、僕は、つらつらと途方もないことを考えながら、夜には、紅白を見るなどという俗人ぼいことはせず、格闘技のダビングをして、あとで、レーナのファイトぶりを見るとしましょう。
ナニワの闘拳が亀田なら、レーナはナニワの引きこもりからの立ち直りファイターといった感じでしょうかね。レーナは今が一番輝いていますから、見ておくことをおすすめします。
まあそれはそうと、何も輝いているのはレーナのような二十代の娘ばかりではありません。
50代のおいどんだって、輝いていますばい。せごどんもはじまりますし。
まあ、二十代も、五十代も、九十代も、永遠の時間から見たらおんなじですぜ、旦那。
その永遠のときの流れの中で、知らぬ間に今年も暮れていきますが、僕の人生も人知れず終わっていくのだと思います。
まあそれが、おひとり様の人生の終わり方なのでしょう。
いつ終わるのかはわかりませんが、終わりを意識して生きることが肝要です。
年々、時が経つのが早く感じます。
光陰矢の如し、とも言いますね。
「光陰矢の如し、少年老い易く、学成り難し」
何だよ、老いるのは少年だけじゃねえぞ、差別じゃねえか、と、現代では言われるかもしれませんが、昔の言葉は、どうも、男、が主役のようです。
まあそれはそうと、ついこの間年が明けたと思ったら、もう年末です。
仕事をしているときも、一年は早いと思っていましたが、早期リタイアしたあとも早いものです。
また、僕の場合は、介護による成行の早期リタイアなので、覚悟も何もあったものではなく、慌ただしい中でのリタイアで、だからまあ、世間一般で言うところの、優雅な早期リタイアでは全然ありません。
まあ、40代あたりでリタイアならば、「かっけー」ということになるのでしょうが、定年まで数年を残しての、成行介護リタイアでは、カッコ良さとは縁もゆかりもありません。
しかし、成行とは言えど、早期リタイアしてみて、自分には、リタイア生活が合っていると、つくづく思います。
全くもって何もしないことが、まったくもって苦ではありません。
これは、なまけものの特徴のようです。
働き者は、暇だと、ダメになるそうです。
怠け者は、働かせるとだめになります。僕の場合は、怠け者なので、働かされるとだめになるのです。まあ、本当に、よくも長年働いたものだと思いますがね。
で、僕は、今、何もしないことが幸せなのです。
何もしないといっても、こうして、ブログを書いたり、他にもあれやこれやと、やりたいことはやっていますし、家事などもこなしていますし、母を介助することもしてはいますが、いたって、それらは苦痛ではありません。仕事と比べればの話ですがね。
また、職場での人間関係の軋轢もなく、たとえば、今であれば、しがらみのある付き合いというものはありません。
だから、嫌な相手だと判断すれば、単に距離を取るだけで事が足ります。
現代は本当に便利で、単身者が生きるには、最高の時代ではないでしょうか。
ということで、今日も一人、僕は、つらつらと途方もないことを考えながら、夜には、紅白を見るなどという俗人ぼいことはせず、格闘技のダビングをして、あとで、レーナのファイトぶりを見るとしましょう。
ナニワの闘拳が亀田なら、レーナはナニワの引きこもりからの立ち直りファイターといった感じでしょうかね。レーナは今が一番輝いていますから、見ておくことをおすすめします。
まあそれはそうと、何も輝いているのはレーナのような二十代の娘ばかりではありません。
50代のおいどんだって、輝いていますばい。せごどんもはじまりますし。
まあ、二十代も、五十代も、九十代も、永遠の時間から見たらおんなじですぜ、旦那。
その永遠のときの流れの中で、知らぬ間に今年も暮れていきますが、僕の人生も人知れず終わっていくのだと思います。
まあそれが、おひとり様の人生の終わり方なのでしょう。
いつ終わるのかはわかりませんが、終わりを意識して生きることが肝要です。
いつも楽しく読んでいます。
私もランキングに参加しない誰も来ないブログを細々とやっていて、こちらを勝手にリンクさせてもらっています。すみません。
記事に共感することが多いのですが、今回は特にその通り!と思いました。
>全くもって何もしないことが、まったくもって苦ではありません。
>これは、なまけものの特徴のようです。
そうなんですよ、本当に。
昔は見栄もあったので怠け者の自分が内心恥ずかしかったのですが、年を重ねてこんな自分でいいや、仕方ないという気持ちになりました。
私も準備も覚悟もないままの成行介護リタイアでした。
母がいなくなった後は身寄りもなくなるし、経済的なことから働かざるを得ないと思っています。
のんびりリタイア生活に浸ってしまった後に社会復帰ができるのか、今から不安と恐怖でいっぱいです(笑)