昨日13時に、
AさんとIさんが、
我が家に来て、
今年最初の3人会となりました。
話は、
いつものように多岐にわたったのですが、
日本のマスコミの偏向報道、
今の世界情勢と今後の動向、
など、
社会的な話題から、
健康、経済、残された人生の時間、
などなど話は尽きることなく、
そうした中、
僕が内省をする日々の中で、
もし結婚して別の人生を歩んでいたら、
ということも話しました。
僕は、高校時代から、
ゆるく付き合っていた女性がおり、
その関係が完全に途絶えたのは、
僕が統一教会に入信した25歳のとき。
もし、統一教会に洗脳されることなく、
彼女と付き合っていたら、
結婚した可能性もありました。
もし、が続きますが、
結婚し、
例えば子供を二人くらい授かって、
といった人生も、
あり得た、と。
そうした、
もう一つの人生の可能性についても考えたのですが、
今日になって気づいたことがあり、
その彼女の誕生日が、2月12日、
つまり、昨日だったのです。
まあ、偶然の一致でしょうが、
ほとんど忘却していた記憶が、
よみがえった昨日なのでした。

13時に始まった3人会が、
気づけば12時間が経過し、深夜1時。
その終盤において、
ある人の死についての僕の見解を披露する機会がありました。
AさんやIさんに聞いてほしかったのは、
僕のその見解に、
慢の要素があるかということ。
傲慢の慢、慢心の慢、の、慢です。
推測の一つとしてとどめておくならば、
慢にはならないが、
それを決めつけてしまうことは危ういのではないか、
との意見をいただき、
自分の浅はかさというか、
軽率なところを反省。
まあ、このように話していると、
キリがないのでこの辺にしておきますが、
AさんとIさんは、
忖度抜きで本質的な話ができる人たちなので、
僕にとっては、
まことにありがたい存在。
二人に感謝して、
今日の記事を終えたいと思います。








