2023年10月
安倍総理の死から、
風向きが変わった統一教会への対応。
僕自身、
20代の頃、
2年ほどその教団と関わった人間として、
昨年以降内省を深める日々。
僕が伝道したK君は、
岡山県の出身。
上京し、
専門学校に通い始めた頃に、
僕が池袋で声をかけ、伝道。
その後、
彼は素直に学びを続け、
いつしか専従職員となりました。
僕は、
退会しましたが、
彼は今も教会内にいて、
祝福結婚もし、
子供も3人います。
良かれと思って、
僕がした伝道で、
彼の人生は変わりました。
退会後、
何度か彼に会いましたが、
今でも、
信仰を貫き、
人生に悔いなしというか、
この信仰に出合えてよかったと、
本気で思っているようです。
それどころか、
できれば僕にも戻ってきてほしい、
という気持ちがあるようなのです。
以下は、今朝読んだ毎日新聞のネット記事からの一部抜粋。
東北地方に住む元信者の50代男性は、かつて自分が勧誘して信者になった1人の女性を今も案じている。男性が入信したのは1986年。専門学校への進学を機に上京し、1人暮らしをしていた18歳の時だった。その後、教団主催の「合同結婚式」で女性信者と結婚し、教団関連会社で10年近く働いた。自身は98年に脱会したが、信仰があつい妻子とは離別した。今は連絡も取れない。やましい活動にも身を投じてきたという。87年、教団の仲間と住宅街を回って「ベトナム難民の支援のため」と偽り、1口1000円のカンパを募った。自分だけでも1週間で6万円ほど集めた。「全て教団の活動資金に使っていた。詐欺だった」勧誘にも熱心に取り組んだ。ある日、自分が声を掛けられた時と同じように、アンケートと称して一軒一軒訪ね歩く中で、教団に誘い入れた女性がいた。昔の自分と重なる、上京したての19歳。1人暮らしで、まだ友人もいなかった。「素直で疑うことを知らない人だった」教団名を出さずに教団施設に誘い、「考える時間を与えないため」に、すぐに3泊4日の合宿「修練会」へ送り出した。教団名が伝えられたのは、その最終日だった。「完全に正体隠しだった」と明かす。合宿から帰ってきた女性とは、自分が携わったような「詐欺募金」活動も、ともにした。女性は入信や活動を受け入れているように見えたが、深いやり取りはしていない。かつて身も心もささげた教団は、国から解散命令を請求される事態になった。自分は脱会した。でも、正体を明かさないまま自分が教団に引き入れた女性のその後を想像すると、今も心が痛む。女性は入信後、韓国人男性と結婚して渡韓した。「しばらくはやり取りもあったけど、今はどうしているか……。私が誘いさえしなければ、彼女の人生も違ったものになっていた。一生を狂わせてしまったかもしれない」

うーん、 素直で疑うことを知らない人は、
良い方向に進めば、
素晴らしく伸びますが、
悪い方向へ行ってしまうと、
とてつもなく危険です。
これは、
カルト宗教だけに限った話では、
ありません。
僕も人生の晩年になり、
ますます、
我が人生を振り返ることが多くなりました。
人生をより良く生きようと思う人が、
一度は陥る罠があります。
それは、自己肯定感の罠。
自己肯定感を上げようとして、
常にポジティブでいなきゃ、
と頑張ったりしますが、
それこそが罠。
そもそも、
常にポジティブなんて、
気持ち悪いですよ。
だって、
テレビをつければ、
罪のない住民が、
爆撃を受けたりしているんですから。

戦争や紛争以外にも、
ひとたび会社に行けば、
厭なことの連続、
だったりします。
上司からの意味不の説教、
わがままな顧客に振り回されたり、
同僚から足を引っ張られることもあります。
それでポジティブなんて、
あり得ませんから。
無理にポジティブでいなきゃ、
なんて思ったりすると、
その反作用で、
自己嫌悪に陥るのが関の山。
本当の自己肯定感は、
ありのままの自分でいいと、
思えること。
これだけです。
ポジティブでいなきゃ、とか、
クソ上司だけど良い人だと思うようにしなきゃ、とか、
思う必要は、さらさらありません。
だって、
クソ上司はどこまで行っても、
クソ上司なんですから。
それよりも、
他者はどうでもいいので、
誰よりも大切な自分を、
丸ごとそのまま受け入れて、
認めることが第一歩。
誰だって自分が一番かわいいんですから、
誰だって自分がいちばん大事なんです。
それでいいし、
それが当たり前なんです。
風の時代に、
一番やってはいけないことを、
言います。
これをやると、
波動が、
ドーンと下がります。
それは、自己犠牲。
宗教的魂の人は、
自己犠牲に美学を見出している人もいますが、
そういう人は浮かび上がれないし、
一番割の合わない人生を送ることになります。
長くなるので、
この辺にしておきますが、
年を取るにつれ、
自己肯定感が上がっていくのが、
本来の在り方なんです。
だって、
生まれる前に計画してきた人生を、
概ねその通りに生きていれば、
年々、年を追うごとに、
ハイヤーセルフに近づいていくはずですから。
あ、ハイヤーセルフって、自分自身、ですからね。
別の言葉で言えば、
地上で生きている自分の意識が小我だとすると、
霊界にいるハイヤーセルフは大我ということになります。
その大我のほうが、
肉体の束縛がない分、
はるかに認識力が高く、
小我である自分が想像できないような、
遥かなる高みの幸福の在り方を知っています。
だからつまらないことを考えて悩む暇があったら、
波動を上げて大我に少しでも近づくほうが、
いいに決まっています。
人生は、
実にシンプルで、
単純なのですね。
願望実現の方法として、
願いを紙に書く、
というのがありますよね。
でも、
多くの人が、
その紙に書いた願い事を、
かなえられずにいます。
その理由は至極簡単で、
本当に感じていること、
が、
現実になる、
から。
たとえば、
結婚願望がある適齢期の女性が、
理想の男性と結婚すると決め、
紙に書いて毎日一度はその紙を眺めるとします。
そのときに、
その女性が感じていることが、
現実を引き寄せます。
いくら願い事を紙に書いて眺めても、
そのとき、
でも私なんかにはそんな理想の男は現れないのでは、
と思っていたら、
その思いのほうが実現してしまうということ。

お金持ちになりたいでも、
ビジネスで成功したいでも、
異性にもてたいでも、
何を願ってもいいのですが、
肝心なのは、
そのときに、
あなたが「感じていること」
なのです。
この話は、
掘り下げていくと、
とても深いので、
まずは基礎となる心の状態を、
維持することが先決。
以下の記事は、
その参考になるかもしれません。
行きたい未来とつながる方法
金木犀の香りを嗅いだ昨日、
思い出した曲。
赤崎と小山の走りが光った昨日のマラソン。
昨日は、
町内一斉清掃日。
雨のため、
早く終わったので、
マラソンを見ることができました。
2位までがパリ五輪の内定だそうで、
また3着に泣いた大迫。
今回も5秒差の負けというのは、
何やら不思議な現象。
不思議と言えば、
お金のこともそう。
楽しくお金を使える人もいれば、
お金を使うことに抵抗のある人もいる、と。

僕のことで言えば、
長らくお金のかかる宗教団体にいたせいで、
バンバンお金を使うのは当たり前でしたが、
その後猛省し、
一時期、
貯蓄と節約に励んだ時期もありました。
節約に特化していたころの僕は、
小さくまとまっていたと思います。
わずかな出費にも痛みを感じ、
せこくなっていたというか。
でもそれは、
本来の自分の姿ではないため、
3年ほど前に御嶽神社に行く機会があり、
そのときに降りてきた啓示に従い、
マインドを切り替えました。
その後は、
少しずつ波動を上げていき、
お金を喜んで使うようになり、
使っている割には、
節約していた頃よりも実入りが増えています。
これはまことに不思議ではありますが、
事実です。
お金は、
使うときの意識が大事。
喜んで使いながら、
お金を受け取る相手へ感謝し、
相手の繁栄を願うことです。
このお金で相手も潤い、
僕もそのお金の対価として受け取ったもので、
潤っていくという意識。
そのようにして感謝の波動で送り出したお金は、
不思議とまた自分のところに戻ってきて、
富の循環が拡大していきます。
その富の循環に乗りながら、
自分の波動を上げて行けば、
上がった分だけまた富が循環してきて、
螺旋状に上がっていく感じですね。
前々回うちに来たときに、
Iさんが、
会社から貰ったというビールを、
もう飲まないからと、
持ってきてくれたことがありました。
訊くと、
飲んでいるうちに気持ちが悪くなったとのこと。
僕の場合は、
元からアルコールが強くないこともありますが、
今は、
ビールであれば350ml缶が適量。
どうかすると、
それですら飲み切れずに、
捨ててしまうこともあります。
つまり、
それは、
体からのメッセージ。
体からのメッセージには素直に従ったほうが良い、と。
食べる量も以前よりもだいぶ減っていて、
もともと大食いでもないし、
少し食べ過ぎると、
消化で一苦労。
リタイア生活は、
食生活も自分軸でできるのがありがたい。
朝食を食べるのは月に数回ほど。
これはつまり、
食べたいという状態になるまで、
体からの要求があるまでは食べないということ。
その分、
食べたいものは、
しっかり食べる。
外食は、
ブロンコビリー、大戸屋、魚べい、地元の鮨屋、町中華、
などが多いのですが、
先日大戸屋で、
どこまで食べられるか試してみようと思い、
五穀ご飯を特盛にしてみたら、

多すぎて、
自宅であれば残しますが、
外食なので何とか食べきりましたが、
その日は、
もう夕食は要らないほどでした。
事程左様に、
食欲も少なくなっている今だからこそ、
質には配慮したいと思っています。
9日のIさんとの対話の中では、
引き寄せについての話でも、
盛り上がりました。
引き寄せ、
については、
多くの人が、
一度くらいは耳にしたことがあるかもしれません。

Iさんは、
僕よりも10歳ほど年下ではあるのですが、
聴いている音楽は、
かなり僕の世代と被ります。
Iさんは、
ブラックオークアーカンソーのセカンドアルバムのCDが欲しかったのですが、
レアなのでどこのオークションも高い値付け。
高額でならば手に入るのですが、
そこは、
Iさんなりの自分軸があって、
妥当な値段になるまで待っていたらしいのですよ。
そして、
思っていたよりも安価にゲットできた話をはじめ、
今の愛車を手に入れるときも、
同じ様な引き寄せがあったことなども、
興味深く聴きました。
さらに言うと、
CDを大人買いして、
トータルで数十万円を使っただけでなく、
自宅の補修にもそれなりの金額の支払いなどがあったのですが、
手持ちの資産はさほど減らなかったというか、
現状維持であった、と。

これは少しスピリチュアルな話にもなりますが、
僕も同じことを感じていました。
僕も、
今は節約という意識はほとんどなく、
あ、勿論、経済合理性は持ち合わせているので、
同じクオリティであれば安いほうを選ぶなどの判断はしますが、
概ねお金は使いたいように使っています。
それでも生活費は大して変わらず、
資産もほとんど減りません。
使った分は、
どこからか補充されるような流れに、
なっています。
これを、
「お金が減らない生活」と言います。
一昨日の9日は、
Iさんが我が家に来て、
対話は深夜にまで及び、
気が付けば12時間が経過。
話はいつものように多岐にわたったのですが、
その中でも特に面白かったのが、
音楽、鉄道、引き寄せ、です。
これは、
それぞれ、
数回に分けて書きたい内容で、
今回は鉄道。

Iさんは、
中学生のころからの乗り鉄。
お父さんが豪快な人で、
まだ中学生だったIさんに、
相当額の旅行費用を与え、
これで好きなように行って来い、と。
夏休みなどを利用して、
自分で鉄道の乗り継ぎや泊まる場所などを考え旅をするという、
まことにこれこそが、
夏休みの下手な自由研究よりもよっぽど有益じゃね、と。
鈍行列車を乗り継いで、
稚内まで行った話などは、
特に面白かったですね。
あと、
新婚旅行で乗った、
カシオペアの話とか。
そうした話の中で、
出雲へ行く寝台列車の話も出て、
僕自身も、
今後の旅行に、
それを取り入れたプランを考えてみました。
まずは飛行機で米子鬼太郎空港に行き、
尊敬する水木しげる先生の境港へ。
その後、
以前から行きたいと思っていた皆生温泉へ。
お金に糸目をつけず、
海の見える露天風呂のある宿に泊まる。
その後、
松江に行き2泊ほどして、
一畑電車で出雲大社へ。
そして帰りは、
サンライズ出雲で眠りながら東京へ。
午前中に東京に着けば、
昼間空いている電車でゆっくりと埼玉県の自宅に帰れる、と。
まあ、
ざっくりとしたプランは、
そんな感じ。
何事も、
アバウトがいい、
僕なのでした。