介護離職からのおひとり様快適生活

定年まで数年を残して介護離職したのち、父を自宅で看取り、その二年後に母も天国へ。風の時代の上昇気流に乗りながら、日々の暮らしでの気づきと心象風景を綴っています。

2022年08月

悪魔が持つ最も高価な道具



人間をダメにするものは、いくつもありますが、

どんなに誘惑に強い人間にも効果覿面の、

悪魔の道具があります。


何だと思いますか?


以下は、悪魔の店じまい、というお話。


悪魔が店じまいをするということで、
持ってる商売道具全部を売りにかけました。


猜疑心、嫉妬、怒り、恨み、妬み、恐怖心、、
などなど恐ろしい道具ばかりです。


ある日、
その店に来て、悪魔の商売道具を物色してたお客さんが
おやっ?っと思ってある道具を、じっと見つめました。


大体の道具の値段は均一なのですが、
1つだけ、破格な値段が付けられてる商売道具があるのです。


その破格な値段が付けれてる道具は何かというと、
「失望」という名の道具でした。


そこで、お客は悪魔に問いました。


「何でこの「失望」という道具だけ、こんなに高いんだ!」


すると悪魔はニタニタと笑いながら答えました。


「怒りや恨みや嫉妬や猜疑心や恐怖心などなど、
 それらの道具は全て、
 人間どもにそれなりの打撃を
 与えることができる代物だが、
 部分的にしか打撃を与えられないところがある。」


「が、この「失望」という優れものの道具は、
 一度、人間の心の中に埋め込めば、
 あとはもう、内部爆発するかのように、
 その人間の心の中に、
 怒り、猜疑、恐怖などのあらゆる攻撃を与え、
 あとは、ほっといても勝手に自滅してくれるんだ!」




僕は、 山上容疑者の犯行を知った日に、

この話を、思い出しました。

彼の味わった絶望は、いかばかりであったろう、と。


昨日は、絶望を与えることの罪について言及しましたが、

まさに山上は、その絶望という悪魔の道具に、

胸をえぐられた一人。


自分の国の首相が、

こともあろうに、

自分の家庭を破壊した組織のトップを賛美し、

どこに相談しても、何も動かない現実。

八方塞がりの中、彼は絶望の果てに、

日本中を悲しませるようなことを、

しでかしてしまったのです。


安倍元総理は、功罪両面あり、

日本国への思いが強く、

数少ない、理想を持った政治家でした。

そのうえ、実行力もあり、

外交力にも優れていました。


それだけに、

僕としても、

残念でなりません。

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統一教会の被害者の相談件数が、

7月に急増したのも、

政界の中枢深く入り込んでいる組織には勝てないとする無力感から、

これまで行動を起こす気力すらなかった人たちが、

ようやく動き出したということでしょう。


失望や、無力感が、

人に与えるダメージは、

計り知れません。


僕自身も、

程度の違いこそあれ、

失望や無力感を、

散々味わってきた人間の一人です。


だからこそ、

この問題は、

見過ごすことが、

できないでいるのです。





絶望を与えることの罪について



やっとというか、遅ればせながら、

NHKが、クローズアップ現代で、

統一教会について取り上げました。

民放との格の違いを見せつける狙いか、

梶栗が初めてインタビューに答えていました。


まあ、そんなことはどうでも良くて、

今日は、絶望、について。


何が問題なのかさっぱりわからない発言をした福田も二世。

一方、今苦しんでいるのも親の信仰の被害を受けている二世。

いよいよクロ現も、

その二世のことを来週取り上げるとのことですが、

家庭が大事だと言っている教団そのものが、

実に多くの日本の家庭を破壊し、

その裏には、

日本はエバ国家であるという、

教団にとって都合のいい教えがあるのですが、

その日本国から富を吸い上げ、

多くの若者を絶望に追いやり、

その狡猾な理屈と、

宗教法人格であるがゆえに無税で搔き集めた金と、

ロボット化した信者を駆使して政権に入り込み、

一方、政治家のほうでも、

これほど使い勝手が良い組織はなく、

まさに欲と欲の共時性

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特に安倍派との癒着ぶりは目に余るものがあり、

萩生田をはじめとしたその子分共が、それに便乗し、

政治家としての信念の欠片もない生稲などは、

安倍から見ればロボットも同然。


教団も安倍も、

自分の言うことを聞くロボットを操り、

その先にある、

彼らなりの理想を実現する道具として使い捨てる、と。


事実、萩生田は、都合が悪くなると、とぼけ通す狸ぶり。

民主党政権時代、苦汁をなめた萩生田にしてみれば、

選挙に負けるみじめさを痛感しているだけに、

縋り付く思いで八王子市子安町に詣でていた、と。


絶望を与える片棒を担いだ安倍が、

絶望の果てにただ一つの生きる動機となった、

復讐という狂気に賭けた山上に、

撃たれ、殺された、と。


この因果、というか、巡り会わせに、

慟哭している、

僕が、います。




世の片隅でひっそり暮らす喜び



今思うと僕の人生は、

狡賢い奴らに操られまくった人生でした。 


統一教会でのことは、

このブログでも散々書いてきたので、

今回は触れませんが、

人生を棄損するのは、

なにもカルト宗教だけに限りません。


いたる所に、

そうした罠は、

張り巡らされています。


今、僕自身が、

若者だったらと思うと、

かなり暗澹とした気持ちに、

なるのではないでしょうか。


日本の政治には絶望しかなく、

お金持ちだけが上手くやっている状況。

富裕層がどのようにして、

タックスヘイブンを利用しているかは、

知っている人は知っています。


一方、勤労世帯は、搾取されるばかり。


なので、ミクさんのように、

若くて賢い人は、

早々にリタイアして、

極力搾取されない人生を選びます。


結局、大半の庶民にとって、

合法的に搾取から逃れるには、

それしか選択肢がないのです。


僕が若者だったら、

もし十分なお金があれば、

与沢翼やひろゆきのように、

日本を離れて暮らすと思います。


フランスの知性、ジャック・アタリが予測したように、

今後は、ノマド的に世界を渡り歩く富裕層と、

地元から離れられないマイルドヤンキー的な生き方、

あるいはヤンキーほどの元気もなく、

派遣会社を渡り歩くしかない疲弊層、

などに分類されるのではないでしょうか。


同じ若者世代でも、

二極化が進み、

それは、

端的に言えば、

お金があるかないかの差。

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僕は、

今を絶望し、

日本を絶望する若者の気持ちが、

わかるような気がします。


翻って自分のことを話すと、

今シニア世代で良かったな、と。


辛うじて年金はもらえるし、

下手な欲を積み上げなかった分、

しがらみが少ない、と。


何よりも天涯孤独者で、

あとは、

死ぬまでの自由時間。


世の片隅で、

ひっそり暮らす喜びを、



満喫しています。




少ない収入でも黒字であれば破綻しない



経済は、どこまで行ってもこの話に尽きるのですが、

収入が支出を上回っているか、トントンであれば、

家計は破綻しません。


なので、本来は、

難しい金融知識などは、

要らないのです。


ノーベル賞を取った経済学者でも、

この原則を破れば、破綻します。


大学院まで出て破綻する人間もいれば、

小学校しか出ていなくても、

堅実に暮らせている人もいます。


 さて、少ないとは言え年金受給に辿り着いた僕は、

謂わば、やっと島に辿り着いた遊泳者と、

似ているかもしれません。


サメに喰われる危険に怯えながら、

あるいは体力を温存しながら、

心細く泳いでいた世間という海。


遠くに見えていた年金島は、

法律の改正でさらに遠のき、

それでも34年生まれのため、

特別支給の厚生年金という救命ボートに救われ、

何とか、63歳からの年金受給。


後ろを振り返れば、

僕より後に生まれた遊泳者たちには、

その特別支給の年金も、

ある者は64歳からと一年先延ばしになり、

そのあとに続く者は、

例外なく65歳からの受給。


年金島の砂浜で、

さらに遠くを見れば、

自分たちは70歳からの支給になるのではないかと、

怯えながら泳ぐ者たちの群れ。

彼らに伴走するように、

iDeCoやNISAと言った丸太船が投げかけられ、

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それらに縋りつつも、不安げな顔。


では、年金島に辿り着いた自分は安泰かというと、

月5万円の年金では、いかにも心もとない。

しかも、年々お金のかかるリスクは増えていく、と。


なので、ローコスト生活は、

まだまだ、続きます。


ときどきやってくる誘惑を、



やり過ごしながら、ね。




一人で生きることの安らぎ



年齢に関係なく、

ぼっちというのは、

ネガティブに受け止められがちです。


一人ぼっち、の、ぼっち、ですね。


ただ、僕は、思うのですよ。

いずれは、誰もが、一人になる、と。

端的な例は、死ぬとき。

無理心中を別にすれば、

一緒に死んでくれる人はいません。


一人焼肉、一人キャンプ、一人旅、などなど、

一人でいることが、

昔よりは世に受け入れられているのも追い風。

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夜、

一人で、

自己と向き合っていると、

深い安らぎを、

感じることがあります。 


勿論、一人でいて、

とてつもない孤独を、

感じたこともあります。


一見、

相反するようなそれらの感覚ですが、

深いところで、

通底し合っている気が、

するのです。


上手くは、

言えないのですが。


たとえば、昨日の夜などは、

外から、

虫の鳴く声などが聞こえていて、

しみじみとした気持ちになったり、

雨の降る夜なども、

雨音を聴いているだけで、

厳かな気持ちになったり。


そうしたことが、

とても、

豊かなことだと、

思えるのです。


自己と宇宙、

と言いますか、

世界と自分、

と言いますか、

何やら、

混然一体となってくる感じが、

するのです。


そのような時は、

一人でいることこそが安らぎであり、




心地良いのです。





働きながら学ぶ人が増えている



勉強カフェ大阪本町の動画を、

まーきちさんのブログで見たのですが、

働きながら勉強する人がたくさんいて、

僕も若い頃を思い出しました。


商社勤務の女性は、

米国公認会計士の資格を取るために、

また、金融系の会社に勤める女性は、

司法試験合格後は弁護士か検察官を目指しているとか。 

所謂、意識高い系の人たちが集まって、

それぞれのペースでお勉強。


こうした勉強カフェでかかるお金は、

自己投資なので良いお金の使い方。


僕が、

建築物環境衛生管理技術者試験に向けての、

勉強をした場所は、

上福岡駅前にあったマックでした。

当時は、200円セットというのがあって、

ソーセージマフィンとホットコーヒーのセットが200円。

しかも、珈琲はお替り自由だったので、

朝入って昼まで3時間くらいは勉強しましたね。

今は、そのマックはなくなっていますが、

そこでの勉強の甲斐あって合格しました。


芸は身を助く、と言いますが、勉強も自分のため。

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飯の食える、価値のある資格を取っておくと、

たとえば、米国公認会計士の資格を取っておくと、

活躍の場が世界に広がります。

将来的に、日本が傾いていっても、

フィールドが世界であれば、

生き抜いていける確率は格段に上がります。


米国公認会計士の試験は、

出される問題はすべて英語なので、

同時に英語力がマスト。

最低でも、

英検準一級程度の英語力がないと、

問題すら読めません。


難しい試験は、

勉強量も半端なく必要ですが、

すべては自分の将来のため。


勉強にせよ、運動にせよ、

夢に向かって集中している人からは、

元気がもらえます。



月5万円の年金生活は健康でなければ成り立たない



月5万円の年金と、ときどき働くアルバイトで、

細々と暮らしている僕ですが、これは、

健康だからこそなせる業だと、思っています。 


2か月に一度受け取る年金の額は、9万円台後半。

なので厳密に言えば、月5万円を切ります。

でも、めんどくさいので、

自分の中では5万円と、認識しています。


まだ母の介護をしていたころ、

隣町の豆腐工場でアルバイトを始めたときに、

そこの給与振り込みとして指定された、

金融機関の通帳を持っていなかったので、

作ったのですよ。

作る時に、

10万円だけ口座に入れました。


その豆腐工場は、

訳あってすぐに辞めたため、

あまりにも少ない勤務日数と金額のため、

手渡しとなりました。

なので、長らく、

10万円だけ預金したままだったその金融機関から、

僕が63歳になる4か月ほど前に郵便物が届き、

それが年金受取の口座指定のお願い、だったのです。


その流れで、そこの担当者にお任せし、

煩雑な手続きはすべてやってもらいました。

で、今年の6月から貰い始めた特別支給分の年金。


昨日、飯能に行ったときに、

10万円を下したのですが、

実際には僕の年金は9万円台のため、

10万円だと、年金額以上を引き出すことになり、

残高は今は、9万円台。


その9万円台の預金も、

年金を引き出すごとに削られていくという寸法。

でも、その10万円を、

いろいろな支払いの指定口座になっている、

みずほ銀行の口座に移さないと、

もう直近では、

楽天カードの支払いがありますからね。


で、こんな細々とした生活が成り立つのも、

何とか健康を維持しているから。

幸い、医療費は、

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歯科検診くらいで済んでいるので、

今のところは、助かっています。


ばね指の時も、医者に行かずに治しました。

先日の熱中症の時も、そうです。

ただ、いつまでも、

そうそう元気でいられる保証もなく、

そうしたことも考えねば、と思った次第。


まだまだ、

低空飛行の家計管理は、

続きます。




愚痴を聞くのも、ボランティアです



昨日の夜、例によって上福岡の後輩から電話が入り、

また妻が不機嫌になっているからなだめてください、と。


なだめると言っても、

だいたい一方的に亭主の悪口を聴かされるだけなのですが、

まあ、それは置いておいて、

まずは30分ほど話を聞くと、

どうやら子供の進路先のことで、

意見が割れているらしいのですよ。


それを、子育て経験のない僕に言われても、

何とも答えようがないのですが、

簡単に言うと、お金のこと。


妻の入れたい学校は、

お金がかかるらしいのですが、

僕の後輩の稼ぎでは心もとないと、

ざっくり言うとそんな内容でした。


先輩、僕の彼女です、と紹介されたときは、

可憐だったその妻も、今は昔の話。

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桐谷美玲さん似の、華奢な体つきも、今は昔。

で、彼ら夫婦がよく聴いていた音楽は、以下のもの。






うーん、で、僕の世代だと、やっぱ、ツェッペリン。




もう、上福岡市ってないのに、

その後輩の話をするときはいつも、

上福岡の後輩が、

となってしまうのは、

なかなか人間は変えられないから。


で、何の話でしたっけ、

そう子供の教育の話ですが、

その後輩夫婦の場合も、

旦那にもう少し稼ぎがあれば、

解決ですし、

妻のほうが、

身の丈に合った教育で足ることを知っていれば、

解決、です。


双方の歩み寄りが、

大事なんじゃないでしょうか。



家畜の如く "死につつ生きる” 人生



【快と引き替えに「生きる意味」を見失い】と、

森岡正博は、その著書、無痛文明論の中で、述べている。


バブル期の退廃の中、

多くのまじめな若者が、

オウム真理教へと引き寄せられましたが、

快楽は充満しているけれども、

生きる意味が見いだせないと嘆く人の心に響くものが、

そのカルト教団の中にも、

あったのかもしれません。

 
こういうタイプの本は、

若い頃にこそ、

読んでおいたほうが良いと思います。


以下は、読者の若者が書いたコメントの一部抜粋。


無痛奔流に飲まれることで、我々は「生命のよろこび」を失い、家畜の如く "死につつ生きる” 人生を歩むことになるのだという。

20代があと数年で終わろうとしている僕は、人生を振り返り、改めて「幸福とは何だろうか?」と疑問を持った。
努力して努力して努力して何かを掴み取ることだろうか。
欲を捨て、現状に満足し、日常に溢れた小さな出来事に喜びを見出すことだろうか。
ネガティブ思考を捨て、ポジティブ思考の癖をつけることだろうか。

しかし、どれもすっきりしない。

中島義道は、著書『不幸論』で「本当の幸福などは存在しない」と断言し、「自らを幸福だと言う人間は真実から目をそむけているだけだ」と言い切った。
哲学者カントは、自分自身に誠実であることを、幸福であることよりはるかに重要なことと見なしたという。
関連して、マコなり社長(真子就有氏)は動画『結婚式は行かなくていい』で、幸福の定義を
「いかに自分の信念を貫いて生きたか、自分の心に嘘をつかなかったか」とした。
なるほど、「自らを幸福だという人間」は無痛奔流に飲み込まれた人間と言え、
「自分の信念を貫く」ことを選んだ人間は、無痛奔流からの脱出を決意した人間と見ることもできるのではないか。

岡本太郎は著書『自分の中に毒を持て』で、
「自分を大事にしようとするから、逆に生きがいを失ってしまうのだ。」
と言った。
まさに、これは『無痛文明論』で言うところの
「身体の欲望」が「生命のよろこび」を奪い取る、ということではなかろうか。

これらの本を読んで、僕は「生きがい」と「安楽」はトレードオフの関係にあると考えた。
「安楽」を選択すれば「生きがい」を失うという意味で幸福にはなれず、
「生きがい」を選択すれば「安楽」を失うだろうし、その選択はある意味最もつらいことだろう。
生きるとは、自分自身の「不幸のかたち」を選ぶことなのかもしれない。


上記は、好意的なコメントですが、

批判的なコメントもあり、

それは、以下のような感じ。


著者自身の思い入れは激しそうだが、流し読みできるほど密度は薄く、読み応えに乏しい。タイトルの卓抜さ、インパクトは大であるだけにいかにも残念。やたら「戦え」とアジっているが、本人が山谷暮らしで日々の仕事にあぶれて苦労してるならともかく、ぬくぬくと大学教授の椅子から訓戒を垂れてるわけで説得力不足。それほど「無痛文明」を憎むなら、一度辞職して内戦下のコンゴあたりにヴォランティアラーとして身を投じてみては?


本にせよ、ブログにせよ、

支持する人もいれば、批判的な人もいる、と。


政治もそうだし、宗教もそう。

雑多な世界の中で、

自分が腑に落ちるものを、

探せばいいわけで。

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買うには、そこそこ値段の張る本なので、

図書館で借りるのがよろしいか、と。


若いうちに、

うんと悩んでおくと、

年を取ってから、

精神的には、



楽になりますからね。



一度信じたものを変えられない頑固さについて



武市半平太をはじめとした土佐勤皇党の面々から見たら、

坂本龍馬は裏切り者に見えたでしょうね。

思想信条に心酔した人間は血気盛んですから、

土佐勤皇党の中には、

龍馬を殺したいほど憎んだ者も、

いたかもしれません。 


坂本龍馬は器が大きいので、

重箱の隅しか見えていない人間からは、

理解の外。


武市半平太は、

脱藩した龍馬を苦々しく思っていたかもしれませんが、

同時に信頼も寄せていたように思います。


さて、今日は、幕末の話ではなく、

人間がいかに頑固であるか、ということ。


これを書いている僕も、

相当に頑固かもしれず、

自分も含めて人間というものは、

一度信じた思想信条はそうそう変えられないし、

ましてやそれが生死をも握る宗教であれば、

なおさらのこと。


そのことを十分わかった上で、

自分のことを話すと、

父親が世界救世教という宗教の熱心な信者で、

その薫陶を受けて育った僕は、

そこの教祖である岡田茂吉こそが救世主であると、

素直に信じて育ちました。


その後、思春期になり、様々な疑問が生じ、

二十代の半ばで統一原理に触れ、

善悪を明確に説明し切ったその教えに魅了され、専従生活へ。


約2年間の統一教会での集団生活から逃げ出し、

廃人のような引きこもり生活へ。


その後、アルバイトをしながら細々と暮らし、

35歳のときに光体験をし、幸福の科学へ。


そして、その17年半後、

その幸福の科学も、自らの意思で退会、

という流れの中で感じたことは、

どの団体にいた時も、

それなりの神体験というか、

神秘体験があったということ。


特に、統一教会のような、

過酷な生活の中においては、

そうした体験は起こりやすい、と。


その理由は、

絶えず極限状態に近いような状況に追い込まれているため、

脳がそのような反応をし易いのではないかと、

僕なりには推測しています。


しかし、僕自身の体験から言えるのは、

地球上のどの宗教団体においても、

少なからず、奇跡といえるような現象は起こっているはずだし、

霊的体験をしている人も多いはず。

そしてそうした体験をした人は、

信仰心が強化され、

ますます熱心になっていく傾向があります。


そして、一度固く信じたものは、

それが信仰であれ、思想信条であれ、

なかなかそれが変わることはありません。


パソコンなどで、

インターネット体験をしている人ならわかるように、

ネットにおいてさえ、

ユーザー好みの情報を提供してきますよね。

あなたが欲しい情報はこれでしょ、みたいな。

ましてや人間内の思考や感情であれば、

自分好みの情報のみを取りに行くのは自然な流れ。


その理由は、

人間には自己保存の欲求と、

自己整合性を取ろうという、

無意識の操作が入るから。


どれほど説得しても、

信者が耳を貸さないのは、

ある意味当然のこと、なのです。

彼らは、

自分の見たい現実しか

見ていない、


のですからね。


昨日紹介した動画の中で、

あの女性が言っていたこと。

人生は長くてもたかだか100年だが、

霊界は永遠である、と。

その永遠の世界である霊界で、

勝利した人生を送るために、

この世がある、と。

だからどんな苦労も、

耐えられる、と。

なぜならこの苦労は、

地上という限定した世界のものであり、

自分たちには、

霊界という永遠の素晴らしい世界が待っている、と。


それを確信している信者は、

今のどんな苦労も、

乗り越えていこうとします。

それは一過性のものであり、

自分の目指すものは永遠の世界、だから。

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それともう一つ。

たとえ一過性のこの世の生活であったとしても、

これまで自分が信じてきたものが嘘であるのは耐えられない、

という気持ち。


原理というものを信じるがゆえに、

すべてを犠牲にして歩んできた自分の人生が、

間違っていたなどとは思いたくもない、

という強い感情。


この感情に突き動かされて、

血眼になって自分に都合のいい情報だけを探すし、

教会に行けば同じ仲間がいて、

やっぱり自分のやってきたことは正しいのだ、

と安心する。


そして、またビデオを見せられ、

そこには、トランプ元大統領や、

今も現役の共和党の有力者たちが、

自分たちの総裁をたたえている、と。

これこそが、

自分たちが正しい証明ではないか、と。


そのようにして、

揺れる心を強化し慰めながら、

不安と希望と悔恨と自己正当化などの、

有象無象の感情に翻弄される、と。


そうした信者のどこに、

心の安らぎがあるのでしょう。




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