介護離職からのおひとり様快適生活

定年まで数年を残して介護離職したのち、父を自宅で看取り、その二年後に母も天国へ。風の時代の上昇気流に乗りながら、日々の暮らしでの気づきと心象風景を綴っています。

2021年04月

74歳女性の質素な暮らし



昨日の記事の60代の女性は、キリスト教を捨て、神はいないとすることで自由になった話でした。

ただ、その自由は、まだ苦しみの中にあり、煩悶は続いているようです。

今日取り上げる女性は、さらに高齢の74歳。

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ミツコ(みつこ)
1946年生まれ。牧師。8人きょうだいの5番目として牧師家庭に育ち、自身も牧師を志す。神学系の大学を卒業後、同じく牧師の夫と結婚。夫婦二人三脚で47年間教会を運営。その傍ら、娘4人を育て、孫が16人。長年闘病していた夫を2016年に見送る。現在も協力牧師として、週2回教会につとめ、日曜礼拝で説教を行うことも。

こちらの本も、図書館リクエストで、借りた本で、人気があるらしく、予約者がいるようなので、すぐに読んで返しました。

昨日取り上げた、野原さんとは、まさに、好対照の人です。 

どちらもプロテスタント。

一人は棄教し、一人は継続。

こちらの女性は、クリスチャンとしての生活に幸福を見出しています。

どちらが良いとか、正しいとかいうつもりはありません。

7万円の年金で質素に暮らしながらも、幸せを感じているようなので、それは何より。

まさに清貧の暮らしぶりですが、どうしても献金ということがあるため、その分は、仕事をすることで収入を得ているようです。

つまり、7万円の年金だけで暮らしているわけではないのですね。

健康のためにも、仕事をしていることに喜びを見出しているようなので、この人の清貧暮らしには、見習うべきものがあると感じました。

一方、クリスチャンを辞めた野原さんのほうは、自由にはなったものの今は苦しみのただ中ですが、今は呪いの対象でしかない過去が、あの過去があったから今の自分がある、というレベルにまで、昇華できると、また、違った心境になっているでしょうね。

その時点で、両者を比べて見ると、野原さんのほうが、ミツコさんよりも、懐の深い、複眼の持てる、器の大きな人格になっている可能性もあります。

そのような、永遠の旅人としての視点で見ると、今の不幸、というか、悲惨な状況も、また恵みに思えてきて、そのときは、今の神観というか、神はいないとする今の認識も、また変わっているかもしれません。





「生き地獄」に陥る危険性は誰にでもある



直近の芥川賞受賞作、「推し、燃ゆ」を読んでいるときに、図書館からリクエスト本が入りましたとの連絡を受け、直行。

そして、借りてきたのが、以下の本。

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 いくつか前の記事で、洗脳の怖さを久しぶりに垣間見た話を書きましたが、それ以降、僕の内省も進み、20代の頃、統一教会から逃げ出してきたころの自分を思い出すとともに、シンクロニシティが働いて、たまたま本屋で気になる本を見つけて、リクエストした次第。

精神が崩壊し、分裂していくところは、僕も二十代後半に体験していることなので、他人ごととは思えませんでした。

ただ、僕は、そのときで良かったと改めて思いました。

この本の著者は、1958年生まれで、僕が59年生まれですから、ほぼ同世代。

で、そのような年で、宗教的煩悶からの精神分裂は、きついと言えばきつい。

自費出版本にしては、アマゾンのレビューも、熱のこもったものが多く、その一部を紹介します。

複数の視点を通すことで、多面的に理解できるかと、思います。


Aさん 
何とも壮絶な本を読んだものだ。本書は「信仰という陥穽に陥り、文字通り『生き地獄』を見てしまった人の手記」といってよいだろう。著者は元キリスト教徒とのことだが、いかなる宗教においても、「生き地獄」をみる危険性を孕んでいると断言してよいだろう。

 「鰯の頭も信心から」という諺があるが、対象が何であれ、「信じることで救われる」ならば、それはそれでよいことだ。しかし決して忘れてはいけないことは、「信仰とは、あくまでも『鰯の頭を信心することでしかない』ということ」だ。つまり「救われること」とは、その人の「心理現象」であり「物理現象」ではないのだ。
 私はある機会に「神」や「霊」の存在といったものを全く信じない「無神論者」(無信心者)となったが、そのことによって、心の開放を得ることができた。つまり「神や霊、あの世の存在という呪縛」から解き放たれることで、人生を大いに楽しむことができるようになったのである。まさにこの本の帯に書かれているとおり、「人間を幸せにできるものは、人間」なのである。その現実に不惑を遥かに超えた頃、ようやく気付いた。情けないことだが、それゆえ、一層著者である野原氏の気持ちはよく理解できる。
 私は、ミッション系の大学で学んだこともあり、キリスト教についての講義も4年ほど受けた。しかしその中でかなりの違和感、換言すれば、「神の行いにおける大いなる矛盾」を感じたのは、「アブラハムの試練」においてだ。神はアブラハムの信仰心を試すため、息子であるイサクを生贄にするよう命ずる。最終的には文字通り「機械仕掛けの神」の如く下される神の奇跡により、最悪のことは回避される。しかし「なぜ全知全能であるはずの神が、アブラハムの信仰心を試すために、そのような試練を必要としたのか」。全く理解に苦しむ。
 もっとも、この逸話からは、キリスト教が「契約に基づく宗教である」ということはよく理解できる。つまり「人間としての幸福とは、神との契約のなかで初めて与えられるものである」とキリスト教は説くのだ。その考えは、砂漠地帯という厳しい自然環境に生きていく中で培われたものだろう。しかし(時にはとんでもない禍をもたらすとはいえ)豊かな恵みを与えてくれる自然のなかで育まれた日本文化には、やはり異質な考えだ。そんな日本の文化とはかけ離れた文化の中で生まれ、しかも数千年も前に起こったとされる事象が「すべて真実」として信じられる宗教を日常生活の基盤とし、しかも何の不審も感じないことに、私は強い違和感を覚える。
 「信仰とはアヘンである」とはよく言われることである。私は、そこまでは思わないが「アルコール」だとは思う。適度に嗜むにはよいのだが、度が過ぎると陥穽にはまり、生き地獄を見る。要は「宗教とは鰯の頭に過ぎない」という実態をわきまえ、うまく付き合うことが大切なのだ。
 そういった現実を示してくれる、良書である。

Bさん 
明治以降日本ではキリスト教が広まったが、全体としては他の宗教より尊重され恵まれていたと思う。 なぜなら、日本人でキリスト教を奉じたのは、知識人や貿易商など、外国文化になじみやすい裕福な層が多かったからである。矢内原忠雄・有島武郎・新渡戸稲造・内村鑑三・賀川豊彦・遠藤周作・三浦綾子・曽野綾子・佐藤優など、キリスト教信仰を「売り」にする有識者というジャンルさえあって、一定の需要があることからもわかる。さらに日本にはミッション系の大学が数多くあるが、多くは仏教系大学や神道系大学より偏差値が高く評判が良い。これらの背景には、日本人の西洋文化に対する劣等感と憧れがあったことは否めない。もちろんこれら有名人が奉ずるキリスト教は通常、良識ある人が眉を顰めるような「狂信的」なものではなかったことも理由の一つではある。ほぼ同じだけ信者がいると思われる創価学会において、創価を売りにする知識人などいないどころか、ネット上では今もなお蛇蝎のごとく嫌われているのにくらべれば、日本におけるキリスト教にたいする批判や攻撃は、非常に少ないとみるべきである。

 しかし冷静に考えれば、これはかなり不思議なことである。創価学会や日蓮宗系が日本人に嫌われるのは、日蓮宗を受け入れない者は行いがどんなに善良であれ地獄に落ちると叫ぶからである。だがこの点ではキリスト教も全く同じなのだ。もちろん最近のカトリックやリベラルなプロテスタントの上層部はやや方向性を改めており、またさきの「有名人」なども大体はその範疇に入る人が多いので表面化しないが、一般的なキリスト教信者、とくにかなり多数を占める福音派=「聖書信仰」派の人はそうではない。聖書信仰派の主張は「聖書は一語一句が誤りのない神の言葉であり、人間はその命令にひたすら服従するのが務めであり、それ以外は滅びの道しかなく、聖書の神を受け入れない人のヒューマニズムや、一般的な善行は、神の前には無価値である」ということである。相当狂信的な学会員ですらなかなか言いそうにないことが、キリスト教徒の中では「あたりまえ」なのである。
 著者もまたプロテスタントの信者であり、人生の究極の知恵や規範をすべて聖書に求める聖書信仰者である。著者の母は、もうすぐキリストが再臨し、自分たちが携挙されることを夢みるほどの人である。しかしある時著者は精神疾患にかかり、家庭が崩壊し、すべてを失う。子どものころからキリスト教を信じ、高校生の時に洗礼を受け、10分の1献金をするのはもちろん教会のあらゆる仕事に全力をもって尽くした自分と自分の家族が、いったいなぜこんな目に合うのか。つまり「神はいない」ということではないか。そう気づいたとき、社会に対する見方の一切が変わり、いままで非キリスト教的として相手にしなかった人間観が自然なものに思える一方、聖書が何の保証もなしに人間を一方的に縛り付けるものでしかないと気づくのである。
 かつてダーウィンは一人娘を失った時、神はいないと確信した。キリスト教の神は全知全能である。悪魔は神の承認のもとに活動している。この世に理不尽や不幸があるなら、それは神が望んでいることと解釈するのが自然である。つまり神は人間を救わないのである。あるいは神など最初から存在しないということになる。これは屁理屈でも何でもなく、実際本書帯に書いてる通り「人間を救うのは人間だけ」なのである。
 ここで注意すべきは、著者は決して「エホバの証人」や「統一教会」などといった評判の悪いカルトの信者ではないという点である。にもかかわらず、キリスト教に入信していたころの彼女の発想は、エホバなどを盲信している人のそれとなんと似ていることか。聖書など特定の経典や教祖の一言一句を誤りなき言葉として狂信し、世間の良識も科学的真実もそのフィルターでしか見ないという点では瓜二つである。日本では創価に比べ、キリスト教が非難されることは少ないけれど、教えの排他性・異常性というのは福音派を中心にかなり強度のものと気づかされる。あえて邪教というなら、邪教はエホバ・統一教会・創価・幸福の科学だけではなく、「良識あるキリスト教徒」も実は心理レベルではたいして変わりないのである。

Cさん
元、敬虔なクリスチャンが自身の体験をもとに、キリスト教の負の側面について言及しています。

自身の体験の他、キリスト教の歴史についても著者が調べた内容が分かりやすく説明されていて、あらためて宗教の危うさや人間の愚かさを認識させられます。
現代の人はイスラム過激派の事件をテレビで見て暗い気持ちになりますが、キリスト教の過去の歴史はもっとずっと怖ろしいと感じました。
ただ、著者が精神の健康を損なって信仰を捨てるに至った経緯が本書の後ろのほうにまとめられていますが、このあたりは、正直あまり共感することができませんでした。
まず、著者はずっと信仰生活を送ってきたのに神の導きもなく体調を崩し、家族もバラバラになってしまったと言ってますが、この程度のことを不幸と言って嘆くかな?と思ってしまいます。
現に夫も子供も孫もいて、特に敵対しているというわけでもないのに・・。
世の多くの孤独や不条理を知らなさすぎるのではないでしょうか?
この程度のことで神がいるとかいないとか判断しようというのが、人間の未熟さ愚かさを露呈しているように思えてなりません。
ただ、やはり教理や教会システムに問題が多いということは十分納得できました。

Ⅾさん  
著者は、「いったい正しいキリスト教信仰とは何なのでしょう」と問います(139頁)。

お答えします。正しいキリスト教信仰とは、正しいキリスト教を信じることです。

いろんな人がいろんなことを言いますが、何が「正しいキリスト教」なのか、答えは出ています。

「自分が属する教派の教会の主張、および、それを受け入れた自分の見解」
これが正しいキリスト教です。

これに反する主張を「間違ったキリスト教」と言い、自分たちが容認できないくらい見解が違う場合には「異端派」と言います。逆から見たら逆に見えるだけです。ですから、世には無数の「正しいキリスト教」があります。

「正しい聖書解釈」も同じことです。いろんな人がいろんなことを言いますが、これも答えは出ています。

「自分が属する教派の解釈、および、それを受け入れた自分の見解」これを正しい聖書解釈と言います。

これに反する主張を「間違った聖書解釈」と言い、自分たちが容認できないくらい見解が違う場合には「異端派の解釈」と言います。逆から見たら逆に見えるだけです。ですから、世には無数の「正しい聖書解釈」があります。

キリスト教は科学の理論ではありませんから、その主張に科学的な証明が求められるわけではありませんが、少なくとも、理屈の通った主張をする必要はあるでしょう。クリスチャンと称する人の中にはまるで理屈の通らないことを言う人もいますが、それでは迷信や狂信と変わりません。
また、人は、自分が知らないものを信じることは出来ません。神様を信じると言うなら、神様を知っていることが前提になります。でも人は、見たこともない神様を、どこまで「知る」ことができるのでしょう。
クリスチャンと称する人の中に、聖書の言葉を適当につないで、想像も混ぜて作りだした「神様」を信じているのではないかと思える人たちもいます。それは人間が作った「神様」です。つまり偶像です。自分たちが偶像を作り、それを維持しているのです。二重基準です。

世には無数の「正しいキリスト教」がありますが、他宗教や他教派などの異なる立場を断罪することで自分たちを正当化する「正しいキリスト教」には警戒したほうがいいでしょう。

良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結びます。その「教会」が一体どんな実を結んでいるのか、よく見て木を選ぶ必要があるでしょう。信者二世、三世であれば、親から受け継いだ信仰が、外から見たらどう見えるのか、今日の科学や人権意識に照らしてどうなのか、よくよく考える必要があるでしょう。

この本をお読みになったクリスチャンの方々のご意見を伺いたいと思います。型通りの護教論や模範解答ではなくて、ご自身のお考えを、ぜひお聞きしたいと思います。


うーん、通常はあまり顧みられることもない、自費出版本に、これだけの熱のこもったレビューが書かれること自体、宗教というものに一家言ある人が多いのかもしれません。

宗教は、生き方の問題でもありますから、それだけ、真剣になる人もいるのだと思います。

僕自身の考え方は、スピリチュアルな話カテゴリーの中で表明しているので、ここで繰り返すことはしませんが、明日も、この続きの話になりますので、こういう話に興味のない人はスルーしてください。




休日も結局は「労働力の回復」のため



会社員時代、何が空しかったって、それは、

休みの日でも休んだ気がしないことでした。

それは、当然で、休日というのは、

疲労回復のため、だったから、です。

これは、会社側の論理、ね。

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でも、僕たちは、会社員である前に、人間です。

その人間としての僕が、むなしさを感じたのは、当然のこと。

でも、当時は、

甘ったれてる、とか、根性なし、

と言われました。

まあ、そう言われても、否定もしなかったのは、

まあ、そうだよね、と、思っていたから。

確かに、その会社では、甘ったれの根性なし、

ということになるのでしょうが、

転職を重ね、

自分が何とか耐えられる程度の会社にもぐりこんだとき、

やっぱ、逃げながら藻搔き続けてきて、正解だったと思いましたよ。


 若い人は知らないと思いますが、当時、

24時間戦えますか? 

などという、無茶ぶりのCMが、

さも、それが素晴らしいことにように喧伝され、

エコノミックアニマル丸出しの時代でしたから、

僕のようななまけものは、居場所もなかったのですよ。

そういう時代を知っているからこそ、

今は今でいろいろ問題があるにせよ、

当時に比べれば、いい時代になったと思っています。





タイムマシンがあったとしても、

昔に戻る気にはなりません。




70歳就業法とリタイアは夢物語なのか



70歳まで、定年が、延長するようです。

これって、誰が見ても、

将来、年金支給を70歳からにする布石、ですよね。 

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昔、チャンス、というドラマがありましたが、

チャンスをつかんでリタイア、は、夢物語なのかなあ。




今は、水瓶座の時代。

そして、風の時代。

大丈夫、誰にでも、チャンスはあります。


こちらは、本城裕二版。




三上博史も、若かったですね。



所有することで、その所有物に支配される



人生が拡大する時期においては、

所有を求めて悪戦苦闘するのが世の常。 

少しでも多く、

もっと上に、

より高く、

を求めて、

あがき続けます。

勿論それが、

一概に悪いことだとは言えません。


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ただ、人生は、つかの間の夢。


 


それだけは、心のどこかにでも、

とどめておいたほうが良いのかもしれません。








自分を救えるのは自分だけ



もうこれは、どれほど口を酸っぱくして言ってもいいことなので、言いますが、

自分を救えるのは自分だけ、です。

これが、結論です。


こういう話をすると、一部のクリスチャンなどは、

思いあがっている、とか、原罪がわかっていない、とか言いますが、

キリスト教の矛盾はこれまでも随分話しているのでそれには触れず、

昨日の記事の続きになってしまいますが、

その気功師を語る詐欺師だけでなく、

スピリチュアル界隈は、多くの詐欺師、あるいは偽者の跋扈する状況。

カルト宗教については、

これまでも相当深く踏み込んで持論を展開しているので、

今回は、そちらは無視して、

巷の詐欺師たちのことについて少しだけ話すと、

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霊能者、占い師、スピリチュアルカウンセラーなどという、

所謂スピ系の人たちの中には、本物もわずかにいますが、

得体のしれない人たちが跳梁跋扈するおぞましい領域でもあります。

眼力のない人は、近づかないことが賢明。

昨日話題にした気功師も、詐欺師でしたが、

本来気功というものは、素晴らしいものです。

なので、本物の気功師ももちろん存在します。

ただ、どの世界にも、本物がいれば偽者もいるということ。

そして特に、スピ系には、偽者が多すぎるということ。

なので、見分けがつけられない人は、そもそも近づかない、

これが肝要。


で、一番大切なことは、

他者に依存するとその他者に操られるよ、ということ。

それと、

あなたを救えるのはあなたしかいませんよ、ということ。


この二つだけ覚えておけば、

被害者になるリスクはかなり下がると思います。



 

洗脳の怖さを実感した昨日



一昨日、いつも世話になっている、花火師で投資家のSさんからラインメール。

Sさんが恩のある人の、息子さんがやばい状況だとかで、僕も同行。

その息子さんというのが、僕と学年は同じですが、今年63になる人。

で、その人が、気功師を名乗るいかがわしい男にお金を巻き上げられ、今は廃人同様。

悲劇なのは、今も騙されていることに気づかず、すべて自分が悪いと思い込んでいる点。


属性としては、僕が近いので、お役に立てればと出向いた次第。

僕自身、親のお金も含めると、複数のカルト教団に2000万円以上を巻き上げられた経験があり、天涯孤独なのも共通点。

それであれば、その人も、僕に親近感を抱いて、少しは話を聞く気になるのではないか、とのSさんの配慮。 

しかし、結果としては、洗脳の度合いが強く、被害者でありながら、今も、その先生というのを慕い、悪いのは自分だと言い張る始末。

付ける薬のない状況ではあっても、とにかく、相手の話を聞き、理解しようと努めるも、こちらの言うことは受け入れず、自分は闇の存在であり、このままだと、麻原彰晃として生まれ変わるしかないとか、わけのわからないことを語り続けるありさま。

時間だけが無為に過ぎ、状況としては、Sさんの善意に甘え、自分を悲劇の主人公にして、マイナスのナルシズムに陥っている状況。

埒があかないのは、早々に見えたので、1時間半ほどで引き上げました。

まあ、考えようによっては、一時間半も、よく相手の話を聞いたものだとも言えます。


洗脳の怖さを改めて感じるとともに、Sさんの善意に甘え続けるその人に、憤りを感じた次第。

すでにその人は身寄りは弟しかなく、その弟も、兄を完全に見放している状態。

今は、事実上、Sさんだけが、その人を気にかけて世話をしている状況。

僕も、まったくお役に立つことはできませんでしたが、Sさんにも、あまり深入りはしないほうがいいのでは、との助言だけはしておきました。

世の中には、人の善意に甘える人がいますし、その人自身も、気功師を名乗る詐欺師にみぐるみを剥がされた被害者であり、オセロの中島や、XJapanのトシの例に見るまでもなく、いったい全国には、どれほどの、その気功師のような詐欺師がいるのだろうと思うだけで、めまいがしてきました。

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帰りは、醬遊王国に寄って、Sさんから、おなめのプレゼントをいただきました。

いろいろと、考えることの多かった昨日、でした。





洗脳された人間が気づきを得ることの難しさを実感した日でした。





キャッシュで払えない人に待つ「サラ金並みの利息」



今日はちょっと、おそろしい話を。

まあ、大半の人には関係のない話、なのですが、ね。

以前、僕の働いていたホテルで、よく撮影が行われていた話をしたことがありますが、僕が立ち合ったドラマの中に、遺産争族、というのがありました。

過去記事で、そのことについては詳しく書いているので、割愛しますが、向井理と榮倉奈々が撮影現場にいて、僕は、ホテルの屋上で、立ち合い。

社長が、うるさかったのは、屋上にある設備機器が破壊されること。

そのときのことを、思いだしました。

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以下は、相続税に関する記事からの抜粋。


 10カ月間にわたる「相続地獄」を経て、とうとうすべての書類が整い、税務署に相続税の申告をする日がやってきた。長く暗いトンネルの中を歩むような地獄の日々でもあったし、あっという間の10カ月間でもあった。

申告を済ませた結果、父の残した全遺産は基礎控除7000万円(2011年当時)を上回って課税対象となった。相続税を期日までに支払わないと、期日から2カ月までは年利7.3%、期日から2カ月以降は年利14.6%の利息がかかる。サラ金並みの恐ろしい利息だ。

我が家の場合、高田馬場のマンションはだいぶ古かったため、千数百万円の評価額にしかならなかった。これは幸いなことだった。「サラリーマン大家になる」と山っ気を出し、アパートを1棟もって家賃収入を得ていたとか、とんでもない金額のタワーマンションをもっているとなると話は違う。ポルシェやメルセデス・ベンツなど高級車のコレクターだと、それらも全部資産に計上される。

相続税は原則、キャッシュで納めなければならない。キャッシュがないからといって、あわてて親のマンションや車、金目のものを売り払おうと思ってもそうは簡単にいかない。マンションの中身が遺品だらけでゴミ屋敷のような状態なのに、不動産がポンポン売れるわけがないだろう。新型コロナウイルスショックで世界経済が悪化している今は、なおさらだ。

だが相続税の督促状は、容赦なく役所から送られてくる。手持ちのキャッシュがない人は、サラ金並みの金利がどんどん乗っかり続ける「第二の相続地獄」を味わうことになる。


うーん、持っている者の地獄。

で、持っていない者は、お気楽。

何という逆説。





だから、人生は、不思議なのかもしれません。




被害者が泣き寝入りする時代は終わった



今はもう、風の時代。

いろいろなことが明らかになっていきます。

またその話かい、と言われるかもしれませんが、

今回で3回目になるこの話題。


 マリエはインスタライブで涙ながらに訴えた。

 その主張した内容はこうだ。マリエは18歳の時、紳助氏と共演する際、楽屋挨拶ができなかったことがあったという。すると紳助氏に「お前だけ挨拶に来なかったので後日来い」と言われ、日時と場所を指定され呼び出されたという。マリエがそこに行ってみると、その部屋にはアーチ状になったソファーがあり、中央に紳助氏が陣取り、他にも複数の芸人やグラビアアイドルなどが座っていたという。マリエが芸能人らに囲まれている中、紳助氏は「セックスをしよう」と堂々と言ってきたという。これが事実だとしたら、それだけでも驚きだが、そこにいた出川哲朗やお笑いコンビのやるせなすらは同調するように「マリエちゃんやりなよ」と促したという。

 当時未成年だったマリエは恐怖を感じ、断り続けると紳助氏は「じゃあ別の日にしよう」と言って日時を指定されたが、それも断ると、マリエは紳助氏が司会を務めるレギュラー番組2つを降板させられたというのだ。

〈これは事実です。訴えたら絶対に勝てるから〉
〈出川さんがいまだに企業のCMとかに出ているのが本当に許せない!!〉


うーん、マリエさんは今33歳らしいので、紳助は65歳だから、

当時18歳の彼女からすれば、紳助は50歳。

そう考えると、おぞましい話です。

長いものに巻かれ続けて出世したきた出川らしい弁解を聞くにつけ、

彼女を応援したくなります。


ハリウッド映画のプロデューサーに対して、

女優たちのセクハラ告白が相次いだように、

マリエさんと同じような被害に遭った人が、

声を上げてくれることを願っています。

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風の時代は、悪いことが明るみに出る時代。

そして個人が、モノ言う時代でもありますからね。





嫌な仕事を続けると少しずつ体調が悪くなる



今はまた無職に舞い戻ってしまった僕ですが、

そのアルバイトが気に入っていたのは、

自分にとって、負担の少ない仕事だったから。

もう、この年になってくると、その点は、特に重要。


今日のタイトルは、まさに、転職の多かった僕自身のこと。

僕は、体力も精神力もないほうなので、

本当に仕事がいやだなあと思ってくると、

如実に体調に現れるのですよ。

そして、だんだん、鬱にもなってくる、と。

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そうなるともう、自分が壊れてしまうので、逃げ出すと。

その結果としての、転職の多さ。

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ただ、逃げてきたことで、今、無事でいるのだと、思って今s。

だって、世の中には、過労死や、鬱病から退職し、

それきりダメになっていく人もいるじゃないですか。
 

その点僕は、根性なしだったからこそ逃げて、

逃げて逃げて、また逃げて、

何とか続けられそうな仕事を見つけて、

生き延びてきたという寸法。


そのため、年金こそ少ないのですが、後悔はありません。

その年金受給を、今は、待ちわびている日々なのです。




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