介護離職からのおひとり様快適生活

定年まで数年を残して介護離職したのち、父を自宅で看取り、その二年後に母も天国へ。風の時代の上昇気流に乗りながら、日々の暮らしでの気づきと心象風景を綴っています。

2018年11月

何かと話題の日産自動車から配当金をもらいました

日産自動車から配当金をもらいましたので、報告します。

まあ、株に関しては別ブログのほうで、書いているのですが、たまにはこちらのブログでも書かないと、おめえ、本当に株やってんのかよ、みたいに、なってしまうので、今日はちょっと株の話題を。

僕が日産自動車の株を買ったのは去年の初めで、配当の良さに釣られたわけです。その時買ったときよりも、値を下げてはいますが、放置で持ち続けています。

今回もらった配当は、以前よりも少なくなっていますが、それでも、悪い金額ではありません。


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僕にとっては、この2850円も、貴重な収入です。何しろ、日給5000円で働いている身ですからね。

まあ、半日勤務で、長めの半日勤務ですが、8時間労働を基本とすると、5時間労働なので、まるっきりの半分というわけではなく、まあ、6割程度の負荷ではないでしょうかね。

今月は、午前勤務だったため、朝が早く、起きるときには外は真っ暗。

6時過ぎに、家を出るころに、何とか明るくなるといった感じ。午前勤務の良いところは、直帰すれば、13時ごろには帰れることですね。つまり、午後の時間を私用に使える点です。

その午前勤務だった11月も今日で終わり、12月からは、昼からの勤務になります。

寒い冬は、昼からの勤務のほうが楽かなあ、などとも考えますが、どちらも5時間で長さは同じ。

まあ、5時間とは言っても、実際は、5.5時間くらいにはなってしまいますね。それに、往復の通勤で約1時間。6.5時間くらいは、アルバイトに費やしていることになります。

話は戻って、株式投資ですが、長期保有が基本なので、まだ手放さずに持ち続けるつもりです。と言うか、今売ったら、損切りなので、配当収入を加味してもマイナスになってしまいますからね。

まあ、気長に持つといたしましょう。

そうは言っても、多少なりとも利益の出ているものは売っていき、現金比率を高めていく予定は変わりません。やっぱ現金が、モノを言いますからねえ。

スタッドレスタイヤに換えて、新潟に住んでいた頃を思いだす

介護離職後のローコスト生活では、極力出費は避けたいのですが、今日、仕事帰りに、中古自動車販売店によって、スタッドレスタイヤに交換してきました。

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去年までは、雪が降ったら車を運転しない、と決めていましたから、スタッドレスタイヤに換える必要はありませんでした。

スタッドレスタイヤなんて、新潟の湯沢町で暮らしていた頃、以来です。新潟は豪雪地帯ですからねえ、ノーマルタイヤでは話になりません。昔は、スパイクタイヤなんていうのもありましたね。

坂口安吾が新潟の出で、湯沢で生活している頃は、海を見に新潟市へ行くと、坂口安吾の碑のあるあたりで、安吾もこうして寝そべって空を見ていたのかなあ、などと考えたりもしました。

新潟市はものすごく広かったけど、僕はバスには乗らず、ひたすら歩くのみ。

まあそんな、ずいぶん昔の、湯沢町や新潟市のことを思いだしたのも、スタッドレスタイヤに換えたからなのですが、この出費が4万円弱。最初はケチって中国製のタイヤにしようかとも思ったのですが、ブリヂストンに落ち着きました。

この出費も、アルバイトの通勤で、たとえ雪が降っても仕事に行かなければならないからです。まあ暖冬らしいのですが、雪の対策だけはしておかないと。

新潟で暮らした経験があるおかげで、雪をなめてはいけない、という思いが強いのです。湯沢町の冬は、ほとんど毎日雪掻きでしたからねえ。

住宅ローンの支払いも含めて、だいたい13万円以内でやりくりしている家計ですが、スタッドレスタイヤは、貯金から下ろしての支払いです。

やっぱ貯金は大事だよ、ポジションをキャッシュに移行中だよ、でも、持ち株も今は切ない状況だよ、っていう感じですかね。

年金について、次に政府が画策していること

年金支給の年齢を上げる、これは、ほぼ間違いないでしょう。

70歳まで働ける社会とは、別名、年金支給は70過ぎね、という意味でしょうからね。

さて、政府は、さらにこんなことも画策していると思いますよ。

それは、所得税住民税の非課税額を下げることです。

たとえば、今、65歳以上で年金をもらっている人だと、確か、153万円くらいまでは、非課税ではなかったかと思います。

この非課税額を、区切りの良い150万円に下げる。あるいは、思い切って140万円くらいまで下げてくるかもしれません。

こういうことを、こそこそっと、してくるのではないでしょうかね。

「あれ、今まで住民税と所得税がなしだったはずなのに、今年から引かれてるな」と思って調べたら、非課税額が変わっていた、なんてことになるかもしれません。

それまで非課税を満喫していた人にとっては、寝耳に水です。

僕は、非課税年金の安全圏は、150万円以下だと思っています。140万円だと、さらに安全ですが、これだと月の手取りは、12万円を切りますね。

僕などは、もともと、月の年金が9万円ほどなので、どう転んでも非課税枠です。

老害先輩社員から、また、絡まれました

何の因果なのか、以前記事に書いた僕を些細なことで怒鳴りつけた老害先輩社員が、アルバイト先でのパートナーと言うか、いちばん一緒に時間を過ごさねばならない相手なのです。

他に二人、同じような立場のアルバイトがいますが、こちらはどちらもおだやかな性格で、問題はありません。

問題は、いつも面突き合わせているその先輩社員なのですが、今日も、何が気に食わないのか、絡んできました。

だいたい、顔つきでわかるのですが、こちらが身構える前に、ボディブローのような攻撃を仕掛けてきます。

まあ僕を、言いなりになる後輩だから何を言ってもいいくらいに、思っているのですね。

僕も、対処することはできますが、自分の気分次第で絡まれたら、気持ちのいいものではありません。

お天気屋、というタイプがいますね。機嫌がいいときは気持ちが悪いほど愛想がよかったりして、で、機嫌が悪いときは、絡んでくるというタイプ。

まあ、一言で言えば、子供です。60を過ぎた子供を、毎日相手にするのは、それなりに苦労ですが、人生は苦なり、と看破した仏陀釈尊の教えに習い、甘んじてその苦しみを受け入れています。

ただ、こういう老害先輩社員も、モノを考える縁にはなります。

たとえば、もし、あのような男が自分の親だったらと思うとぞっとします。お天気屋の親を持った子供は、精神不安定になるでしょうね。

いい年をした僕でさえ、多少のダメージは受けるのですから、子供だったらもろに影響を受けるはずです。そして、情緒が不安定になるでしょう。

ああいう、バカな老害先輩社員と毎日接するおかげで、自分の親への感謝がますます深まります。

また、自分は、可能なかぎり上機嫌で生き、自分の気分次第で相手に当たるような、子供じみた行いは絶対にしないようにしようと、反面教師として活用しています。

まあ、そうは言っても、60過ぎの子供と毎日関わるのは疲れます。

今年2度目の歴史研究会は城跡めぐり

今年1度目の歴史研究会は、6月22日で、この日は板碑や古墳めぐりをして、古代への思いを深めました。

実は9月に、2度目の歴史研究会があったのですが、その日は日頃世話になっているAさんの不動産売買契約の付き添いをすることになり、やむなく不参加となりました。

そして昨日は、会としては今年3度目ですが、僕自身としては2度目になる歴史研究会となりました。

今回は、OY氏は体調不良で不参加となり、歴研主催者のKM氏と僕の2名での会となりました。

まずは、松山城跡へ。


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その後、菅谷館跡へ。

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どこの城跡にも、こうした空堀が見られます。

そして、今回は、KM氏も初めて行くという小倉城跡へ。


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この小倉城跡は、急勾配を上ったため、息も絶え絶え。歴史通のKM氏も、この城跡はそれまで一度も来たことはなかったそうです。

その後、杉山城跡へ。


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杉山城跡は造りが複雑で、敵から容易には攻め込まれないものになっていました。

この杉山城跡を立ち去ろうというときに、歴史好きのお爺さんにつかまってしまい、その講釈を聴くことに。いかにも、迷惑そうなKM氏も無下に断ることもできず、しばらくはその話に付き合っていましたが、秋の日の暮れるのは早いので、何とか話の腰を折らない程度にして、お暇し、最後の鉢形城跡へ。


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僕が二十代の頃に来たときとは、だいぶ様子が違って、整備されていた鉢形城跡でした。

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この日、歴史に疎い僕の専属ガイド役も兼ねてくれたKM氏の後ろ姿。

どうも小食のほうが体調がいい、ついでに家計にも優しい

食べること自体は好きなのですが、アルバイトをするようになって、特に午前勤務のときは朝が早いので、ためしに朝食を抜いてみました。

そしたら、ことのほか、調子が良いのですよ。

ちなみに、今月は午前勤務なので、まったく朝食は食べていません。

6時過ぎに家を出、12時20分まで働き、直帰の場合は、家に着くのが13時ごろ。

それから、食事を作って食べると、13時半とかになりますが、全然大丈夫ですね。

さらに言えば、直帰しないこともあり、たとえば、帰りの道のほぼ途上に、ベイシア電器というのがあるのですが、そこで30分ほど無料でマッサージをしてもらい、これは、マッサージ機を勝手に使ってという意味ですが、それから帰って食事となると、14時を軽く過ぎたりしますが、それでもあまり空腹を感じません。

で、少し昼を食べ過ぎたりするのですが、そうしたときは、夕食を抜くか、軽食程度にとどめます。

するとまた、体調が良い。

で、さらに言うと、どうも家計にも優しいようだと、こういうことになっております。

小食を推奨している人は、皆、けっこう年齢よりも若く見えますね。

僕は年相応の外見だと思いますが、小食はいいということを、最近身をもって感じているので、記事にしてみました。

日雇い派遣労働の重苦しい雰囲気を忘れない

今の僕は半日労働のアルバイトで、ゆるく働いています。

これは、僕のペースに合っていて、疲労もさほどたまりません。勿論、仕事である以上、それなりには疲れるのですが、仕事に行くのが嫌になるほどではありません。

募集要項に、50代60代が活躍中、とあったのに反応したのは正解でしたね。

で、今思いだしてもきつかったのは、倉庫での仕事でした。

僕は、その倉庫で直接雇用されたのですが、他に派遣労働者も何人もいました。

結果から言うと、僕は一日でギブアップでした。その仕事については、以下の記事で書いています。


お金がないと、怯えた生活になる

あの倉庫に派遣されてきた若者たちの絶望的な目、あるいは、無気力な目、それを、今も忘れることができません。

その若者たちと比べ、僕は恵まれています。

何よりも、彼らほど今後生きなくて良いのです。つまり、彼らよりも残りの人生が短いのです。

そして、あと数年で、年金の報酬比例部分がもらえます。そしてさらに言えば、若者と違い、将来の不安がないのです。

将来の不安がないなんて、嘘っぽく聞こえるかもしれませんが、僕は、20代30代で苦しんだ自分自身と比べたら、今の僕の生活は楽すぎて、極楽です。

若いときの苦しみは、過酷です。残酷です。まだ欲もあるし、自分の人生を何とかしないと、と真剣に思い悩みますからね。

今はもう、余生なので、本当に楽です。だって、すべてを受け入れて生きていくだけですからね。何とかしようなどと、何も考えていませんからね。

ただあるがままに生きる、それで十分です。

でも、だからこそ、あの日雇い派遣の若者たちの暗い目を忘れてはいけないと、思っています。

言いたいことがうまく言えないので、また、このことは改めて考えてみます。


雨の日と月曜日が重なると憂鬱ですか

雨の日と月曜日が重なると、憂鬱ですか。

確かにね。



独り言を言いながら、老けた気分

終わろうと思うときもある

何もうまくいかない

ブラブラして、しかめっ面するだけ

雨の日と月曜日はいつも落ち込むの


あのね、気分に負けちゃだめですよ。

気分なんて言うものは、ころころ変わるものなんです。

でも、憂鬱なときに聴く曲って、あってもいいと思うのですよ。






カレンさんは死んでしまいましたが、その歌声は今でも聴くことができます。

今日は実母の命日だったので墓参りに行ってきました

僕の実母が死んだのは、今から43年前になります。

43年前の今日、実母は51歳で亡くなりました。

今年、義理の母を末期がんで亡くして、天涯孤独のおひとり様となったわけですが、アルバイト暮らしのローコスト生活で、普段は仏壇に花を供えることもありません。ときどき、食べ物を供えるくらいです。

さて、今日は、奮発して花を買い、お墓参りに行ってきました。

途中、美杉台の紅葉を見たのですが、もう盛は過ぎていましたね。


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実母が眠り、生まれてすぐ亡くなった弟が眠り、2年前に亡くなった父が眠り、今年亡くなった義母が眠る墓からは、僕の産まれた家を見下ろすことができます。

小さな家なのではっきりとは見えませんが、だいたいあのあたりだな、というのが認識できる程度には見渡せます。

その風景を見ながら、もう43年が経ったのか、と思ったものでした。

帰りは、下の道から帰っても良かったのですが、少し贅沢をして、入間から圏央道に乗り、隣の狭山日高飯能インターで降りました。

これは、軽に買い替えて、初めてのETCを確認したかった意味もあります。

また、途中にある狭山パーキングに立ち寄って、ちょっとした旅行気分を味わいたかったのもあります。

土曜日だけあって、昼時を過ぎているのに、パーキングはかなり混んでいました。

実母を偲び、実母に感謝した一日でした。

何しろ、生みの母がいなければ、今の僕はいませんからね。

墓前で僕が思ったことは、残された人生を幸せに生きることが供養になる、でした。

なぜ僕は結婚しなかった(できなかった)のか

僕は、子供は嫌いなほうではありません。

先日の同窓会で、「M君なら、いいお父さんになれたと思う」と何人かの女子に言われました。ちなみに、Mというのは、僕の本名の苗字の頭文字です。

で、そう言われてみると、子供がいたら、子供の教育には熱心だったかもしれません。がり勉を強要するとか、塾に行かせるとかではなく、自分の哲学を教え込もうとしたかもしれません。

まあ、それはさておき、僕が結婚しなかった、できなかったのは、ひとえに、臆病だったからだと言わざるを得ません。

もし、できたとしたら、勢いのある20代前半でしたね。

それ以降は、だんだん自分のダメさ加減がわかってきて、とても妻子を養う甲斐性はない、と思っていましたから。

何よりも、生活を人質にとられて社畜に飼いならされることを怖れていたのだと思います。

こんな甲斐性なしの僕でも、妻子のためとあらば、かなりがんばると思います。

でも、どんなにがんばってもダメなときもあります。最悪、過労死の可能性もあります。

僕は、自分の弱さを知るようになってからは、とても臆病になっていました。

だから、結婚するとしたら、20代前半の、まだ、恐れを十分知らず、自己認識も甘いままだったときであれば、可能性はありました。

ただ、そうした場合、その後の苦労は目に見えていますが。

いずれにせよ、僕はずっと独り者で、それで今は幸せなのだから、何の不満もありません。

あとは、自分に残された時間を悔いなく生きるだけですからね。
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