介護離職からのおひとり様快適生活

定年まで数年を残して介護離職したのち、父を自宅で看取り、その二年後に母も天国へ。風の時代の上昇気流に乗りながら、日々の暮らしでの気づきと心象風景を綴っています。

2016年05月

ねんきん定期便を公開します

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 921000円。

 これが、僕が、65歳から受け取ることのできる、年間の、見込み額です。

 しかし、これは、僕が60歳の定年まで、働くことを前提とした見込み額です。このねんきん定期便は、去年のものなので、その時はまだ、僕は会社勤めをしていました。

 今年の2月に介護離職した僕の、見込み額は、さらに下がらざるを得ません。

 921000円というのは、額面です。これだけ低ければ、所得税と住民税は非課税になるはずです。しかし、国民健康保険料は、取られるでしょう。

 今後再就職できたとしても、給料は間違いなく下がりますから、それに比例して、厚生年金の支払額も減ります。つまり、受け取る年金の見込み額も、それに合わせて下がるというわけです。月にすると7万円ほどの手取り額になると、予想しています。

 年金の支給は2か月に1度ですから、14万円を、2か月で、消費することになります。住宅ローンさえなければ、僕は月7万円でやっていく自信があります。

 しかし、僕の住宅ローンは、あと12年。65歳時点でも、まだ、支払いは終わりません。仮に、住宅ローンの支払いが、終わっても、固定資産税を始め、浄化槽の維持管理費用などのお金が必要です。

 僕が、ねんきん定期便を見て決意を新たにしたことは、何としても、65歳までには、住宅ローンの支払いを終わらせよう、ということでした。

 ねんきん定期便は、僕の発奮材料には、なっています。

介護が、悔悟にならないように

 昨日、ホテルに勤めていた頃の、すでにその存在すら忘れかけていたブログを読み直した時に、当時の状況がつぶさによみがえり、特に、あの、4年前の夏の慌ただしさは、きついものがありました。

 2012年の7月7日、本当は、父も一緒に、川越のプリンスホテルに行く予定でした。斎藤一人さんのパーティーに参加するために、すでに3人分のお金を払い込んでいました。一人1万円で、計、3万円だったと記憶しています。

 ところが、父が行きたくないと言い出し、そのときは理由は言いませんでしたが、今思えば、すでに体調に異変が生じていたのでしょう。その数日後、緊急入院となりました。

 それからは、仕事と、僕自身の生活と、病院通いと、実家通いで、ブログの更新どころではなくなっていました。

 そしてその1か月後の8月に、長いお別れ、という、一文を書いて、そのブログは放置、ということになってしまいました。

 あれから、もう4年近くが経ったのかと思うと、感慨深いものがあります。

 2012年7月に入院した父が、最終的に退院し、家に戻ってきたのが、その翌年の2013年8月です。

 その間に、僕は、住んでいたマンションを売り払い、実家に戻り、さらに、その実家を建て直すために借家に移り、その後新築の家に戻って、父を迎え入れる準備をし、といったことをしていたわけです。

 2013年8月から、2015年7月に再入院するまでの、約2年間は、バリアフリー化した新築の我が家で、楽しく暮らしました。僕も仕事を続けながら、介護をすることが可能な状況でした。父は、杖をつけば歩くことができましたし、トイレも、自分の力で行くことができました。デイサービスにも、週に3回ほど、行っていました。

 去年の7月に再入院し、今年の1月末に、退院してきたときには、要介護5で、オムツ交換と痰の吸引が必要不可欠だったため、僕は仕事と介護の両立はあきらめ、介護離職による早期リタイアとなりました。

 今では、さらに、常時、酸素吸引が必要となったため、深夜でも、父が寝ているベッドをのぞき込み、ちゃんと鼻から酸素吸引ができているかを、確認します。

 仕事と介護が両立できていた時から数えると、今年の夏で、介護生活は3年になります。先は見えませんが、介護が悔悟にならないようにと、ときどき自分に、言い聞かせるようにしています。

結果的サンラーメン

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 早期リタイアする前は、外食もよくしていたのですが、介護離職後は、ほぼ、自炊に徹しています。

 そう太っているわけではないのに、内臓脂肪の値が、12前後を、行ったり来たりしているため、なるべく野菜を食べるようにはしています。朝食には必ず、野菜サラダを食べますが、昼は、簡単な一品料理で済ませることが多いですね。

 父は、要介護5で、口からは全く食べられないので、食事は、母と二人で摂るのですが、父は食べることには全く興味がなく、いつも平気な顔をしています。食欲は、常に、ない、状態です。

 さて、写真は、全く質素な、今日の僕の昼食です。

 前日、ソーメンを二把半茹で、それを二人で分け合って食べたのですが、母が、少し残してしまい、その残ったソーメンを、まためんつゆで食べるのでは量が少なすぎるので、賞味期限が過ぎかけた、酸っぱくなってしまったキムチの残りをベースにして、ジャガイモとシイタケと長ネギを入れて、酸っぱいキムチソーメンを作ってみました。ジャガイモが入った分、麺の少なさを補っています。

 キムチソーメンなのですが、味は、サンラーメンに近く、自分で勝手に、結果的サンラーメンと名づけました。
 
 僕のブログには、節約というカテゴリーはないのですが、自炊をすることで、結果的には、食費が安く抑えられています。
 

生きている証しでもあります

 訪問看護は、祝日と重なると休みになるのですが、今週は運がいいことに、月曜日と金曜日が祝日を外してくれたため、いつも通りのローテイションで、2回、サービスを受けることができました。
 
 月曜日の看護では、通常60分のところを、30分オーバーで、いろいろなケアをしてもらいました。もちろん、オーバーした30分の料金は加算されますが、いろいろなケアをしているうちに、時間をオーバーしてしまうことも、時にはあります。

 このときは、排便させるのに、かなりの時間を要しました。
 浣腸が必要である、と、言われました。 硬い便を出すのにだいぶ苦労している様子でした。

 排便が、しばらくないのは、気にしていました。

 僕には、排便を促す技術がないため、どうしても、出てきた便を処理することしかできません。あまり便がたまってしまうと、体にもよくないので、今後は、浣腸を使用することになりそうです。

 今日も、看護師さんに、排便の手伝いをしてもらいました。まだ便は硬く、詰まりがちです。
 火曜日から、水分摂取量を増やしているので、尿の出は多く、痰の吸引もしやすくなったようには感じています。

 便、痰、目脂。

 それらは、父が、生きている証しでもあります。
 

過労が原因だったら、悲しすぎます

 山陽道での多重事故が報じられた時、真っ先に頭に浮かんだのが、過労、の二文字でした。

 運転していたのが、50代の女性とのことでした。
 この容疑者は逮捕前、警察に「ぼーっとして運転していた」と話していたようですが、このぼーっとしてしまうということは、僕も、仕事中、ときどき経験しています。
  
 僕の仕事は、ビジネスホテルの営繕及び設備管理でしたから、すぐに大きな事故につながるということではありませんでしたが、ボイラーを扱ったり、高いところに上ったり、また、地下ピットで作業したり、天井裏を這い回ったりするので、それなりに危険は伴いました。通常は、緊張が眠気を遠ざけますが、それでも、疲れがたまってきたり、寝不足であったりすると、集中力は途切れがちとなります。

 トラックドライバーの方は、疲労が蓄積しすぎると、運転中に、意識が飛ぶ、といったこともあるようです。

 まだ、この50代の女性ドライバーが、過労運転であったかどうかはわかりませんが、その可能性は高いように思います。トラック業界は、休みも少なく、長時間勤務が常態化していると聞きます。

 過労で働いている人は、もちろんトラック業界以外にも、大勢いるとは思いますが、過労が事故につながり、本人だけでなく、他者も巻き添えにしてしまうところに、ほかの業種以上に、悲劇性を感じてしまいます。

 この50代女性は、気丈な頑張り屋さんだったのかもしれません。生活を背負い、ストレスを背負って、頑張っていたのかもしれません。もしかしたら、借金も背負っていたかもしれません。過労でも、ハンドルを握らなければならない事情があったのかもしれません。

 すいません。少し、感情移入しすぎました。だけど、きっとまじめな人だったような気がしてなりません。

 トラックドライバーに限らず、過労から事故や病気を引き起こしてしまう人たちというのは、総じて、まじめです。

 僕は、もうこれ以上仕事を頑張れないという時は、可能な範囲で、手を抜いていました。それを、身を守るすべであると、自分を納得させてもいました。

 その考えは、今でも間違っていなかったと思っています。
 

やっぱり、早期リタイアは価値があります

  今日は、14時半に、訪問入浴サービスの業者さんが来てくれて、父を、セッティングした浴槽で、洗ってくれたのですが、その間、僕は台所に立ち、その様子を見ていました。

 訪問入浴サービスの浴槽は、業者さんが持ち込んでくれるのですが、かなりスペースを取ります。父と母の共同の居室である一階の部屋の中央で、それも、斜めに置かれるため(そのように置くのが、作業上最も合理的なのですが)、窓際にある父のベッドと、浴槽に追いやられる形で、母が部屋の隅に椅子を移動して座ると、ほぼ、僕の立ち位置はなくなります。

 以前、住宅事情カテゴリーでお話ししたように、1階には一部屋しかなく、14畳の、リビングダイニングとなっていますが、カウンターを挟んで、向こう側のキッチンに、4畳分を取られているため、事実上の居室空間は、10畳ほどです。

 立ち位置のなくなった僕は、必然的に台所に追いやられるのですが、そこで逆転の発想(それほどでもないか)で、カウンター越しに父が気持ちよさそうに体を洗ってもらうのを見ながら、夕食の料理を一品作ることにしたのです。今日は、レンジでチンした二つのジャガイモをつぶし、それに、キュウリのスライスと、残り物のリンゴを入れ、マヨネーズで混ぜるという、簡単な一品を作りました。

 自分の居場所の確保兼、おかずを一品作るという時間の節約にもなります。父の見守りも兼ねて、作るので、のんびりと、一品を作るというのが、ちょうどいいようです。

 早期リタイア生活の利点は、そんなふうにして、ちょこちょこと、気に入ったおかずを自分で作れることも、その一つです。

 父は今年、90になりますし、母はこの3月で、86になりました。もう、いつお迎えが来ても、おかしくない年齢です。だからこそ、僕は、定年まで数年を残しての、早期リタイアは、価値があると思っています。両親と過ごす最後の時間を、こうして、一緒に、充実した形で過ごせるからです。

 働いていた時の僕は疲れ切っていて、気持ちはあっても、体が動きませんでした。だから今ほど、マメに、料理も作れませんでした。

 今日は、訪問入浴サービスの業者さんが帰った後、床を蒸気洗浄しました。掃除も、働いていた時よりも、やる回数が増えました。それも、早期リタイアの利点です。
 

初めて、緊急時訪問看護を利用しました

 今日は、昼近くに出かける予定があったのですが、朝、父の痰を吸引後、しばらくして、階下にいる母の叫び声を聞き、急いで階段を駆け下りてみると、父が、ベッドの上で、蒼白な顔でのたうち回っていました。

 一目見て、危ない状況であることがわかりました。

 すぐに、パルスオキシメーターで、酸素飽和度を見ると、44。
 これは、初めて見る、異常に低い値で、そのような数値以上に、父の、血の気を失った顔を見て、死、という文字が頭に浮かび、すぐさま、酸素吸入の量を増やすとともに、訪問看護ステーションに、電話をしました。

 待機していた看護師さんが、すぐに駆けつけてくれることになりました。

 同時にそのあと、訪問診療をしてくれている医師の携帯にも電話しました。
 看護師さんが今、こちらに向かっていることを告げると、まずはその人に任せ、何かあったら、また電話するように言われました。

 20分ほどで、看護師さんが到着しましたが、その前には、父の酸素飽和度は、正常値にまで、戻っていました。看護師さんに痰の吸引をしてもらい、いくつかの質問をされ、指導も受けました。

 その結果、水分量が不足していたために、痰が出にくくなっていたことがわかりました。
 また、便の詰まりも、それが原因しているようでした。

 45分ほどの看護を受け、父は、今、疲れたのでしょう、眠っています。

 緊急時訪問看護加算という項目が、毎月受け取る請求兼領収書に記載されていますが、普段は気にも留めていませんでした。これは、利用してもしなくても、毎月、540単位が加算されています。
 それ以外にも、訪問看護特別管理加算や、訪問看護体制強化加算などが、それぞれ、500単位、300単位で、加算されて支払っています。
 
 父は、年金額がそう多くはないので、1割負担で済んでいますが、年金を多くもらっている人は、2割負担になったと聞いています。

 今は、本当に、国の制度に助けられているのを、実感しています。
 

住宅ローンは、あと12年、続きます

 3年前に、家を建て替えたとき、父はまだ病院にいました。そのときも胃瘻による栄養注入を行っていましたが、同時に、口から食べる訓練もしていました。

 3年前の6月、バリアフリー化をして新しく建て直した家に、まず、母と僕が、借家の仮住まいから、引っ越してきました。その6月に、住宅ローンの1回目の引き落としがありました。そして、今月末、5月の引き落としで、丸3年が経ったことになります。

 3年前も50を過ぎていましたから、長期のローンは組めません。15年の変動ローンを組みました。金利は、0.775。

 その時点では、マンションを売却していましたが、それまで払っていたマンションのローンに比べれば、格段に借りやすい金利です。そのおかげで、利息は低く抑えられています。だから今まで、滞納もありませんでした。普通に仕事をしていれば、支払える金額でした。

 しかし、今は無職で、早期リタイアの身です。失業保険が打ち切られるまで、2か月を切りました。

 いただいた退職金の中から、約半年分の金額の住宅ローンを、すでに銀行の口座に入れました。だから、半年間は、住宅ローンが払えない、という事態に陥ることはありません。しかしそのあとは、未知数です。不安は、あります。

 それでも、家を建て替えることができたおかげで、その年の8月に退院してきた父が、9月には、胃瘻を除去することができ、つまり、再び、口から物が食べられるようになり、再び入院することになった去年の7月までのおよそ、2年間、僕は仕事と介護を両立しながら、数か月に1度くらいは、両親を連れて、旅行にも行くことができました。

 そして再び入院し、再び胃瘻をつけて戻ってきた父の状況は、以前退院して戻ってきた時よりも、重篤なものでしたが、またこの家で過ごせることを喜んでいました。そして今も、酸素吸引をしながら、寝ています。

 あと、12年。
 何とか踏ん張って、住宅ローンを返済していきます。

誰もがみんな、重い荷を背負って

  熊本地震で被災した人は、健常者であっても大変だと思いますが、高齢者や要介護の人たち、発達障害や認知症の人たち、さらには、視聴覚に障害のある人たちや、難病の人たちの大変さは、察するに余りあるものがあります。

 難病の中でも、希少疾患の場合、医療チームも薬を持っていない可能性が高いと思います。

 5月は、紫外線も強く、皮膚に疾患がある人などは、長いことお風呂に入れなかったりすると、悪化したりもするでしょう。

 今後は、日に日に、気温も上昇してくるでしょう。

 九州で、僕が行ったことのある県は、福岡、佐賀、長崎の3県で、熊本は行ったことがありませんが、ブラタモリで見た熊本城が、石垣から崩れている光景は、ショックでした。

 看護や介護の現場は、通常であっても大変だと思います。おそらく、ぎりぎりの人員で、まわしているところが多いでしょう。そうした中での震災ですから、看護や介護をするほうも、過労で共倒れになりかねません。

 被災した人たちの大変さに比べれば、僕の状況など大したことではないと、思えてきます。誰もがみんな重い荷を背負って生きているのだと、思えてくる今日この頃です。

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