7日に、トラックでの配送のアルバイトに行ってきました。助手席に乗り、ルート配送の手伝いをしたのですが、運転手は、Oさんと言い、僕と同じ50代で独身。

さらに共通していたのは、父親の介護の経験があることでした。しかし、Oさんの介護は、23年と長く、壮絶なものだったようです。

境遇が似ていることから、僕に親近感を持ったらしく、初対面にして、人間関係は問題なく進展しました。

ただ一つ、つらかったのは、彼が車内でタバコを吸ったときです。狭い空間にたばこの煙が充満し、たちまち僕の肺は副流煙の侵入を受けて、痛みを感じました。

窓をあからさまに開け放つのも嫌味かもしれないと思い、我慢しました。僕自身も以前はタバコを吸っていたため、多少の煙は大丈夫ですが、トラックの室内は狭いため煙の濃度は半端ではありません。

12時半から始まった仕事を終えたのは19時半でした。

所沢、春日部、岩槻を周りました。仕事自体は難しいものではありません。トラックは4トンで、後ろが見えにくいため、バックをするときには注意が必要です。

Oさんは市営団地に住んでおり、今は母親と二人暮らしだそうです。

住まいの状況は違いますが、母親との二人暮らしという点でも共通点があります。

ただ一つ、大きな違いがありました。

それは、彼が極めて悲観的な人間だということでした。会話の端々で、それを感じました。

僕は、どちらかと言うと、楽観的な人間です。

Oさんは、医者を恨み、兄弟を恨み、住まいを提供している市を恨んでいました。彼がそれらを話すときは、僕は同意するでもなく、聞き役に回っていました。

病院に対する評価も僕とは正反対で、彼の父も僕の父も、同じ病院に入院していたことが分かったのですが、彼は「あんなひどい病院はない」と言っていました。

僕は、病院には感謝しかありません。医者も看護師も、みなよくやってくれていました。

同じ病院に対して、これほど評価が分かれるのはびっくりしましたが、彼があまりに病院をけなすので、僕は褒めるわけにもいかず、黙っていました。

彼は男ばかりの4人兄弟の次男で、長男はじめ、他の二人の弟も、一切、介護に協力してくれなかったとぼやいていました。お金も一切出してくれなかったそうです。

親と同居している彼だけが、介護の負担を負ったそうです。

彼は、老朽化した市営団地に老いた母と住み、その暮らしぶりの悲惨さを訴えていましたが、確かに、彼からは、貧困にあえぐ人の雰囲気を感じました。

23年間の介護の末、今は市営団地に母親と二人暮らし、59歳、独身、貧困。それが、Oさんでした。

長くなったので、Oさんについては、また改めて、書いてみたいと思います。